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冬麗(とうれい)の光射す喫茶店 ― ひと冬の奇跡 ―  作者: ちとせ鶫
第1章 ―― 出会い・結像

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5/10

第4話 光が動く

冬の光は、

ものの輪郭を浮かび上がらせるだけでなく、

そっと奪っていくことがあります。


第4話では、

光が動くことで起きる“変化”を描きました。


姿が現れ、

そして消える。


その境界にある静けさを、

一つの場面として置いています。

 冬の朝日が写真立ての額縁に当たり、ガラスが強く光っていた。

 白い光だった。

 芯のある、骨まで透けるような白さだった。

 その中心で、写真の像は完全に消えていた。


     * * *


 男はまだ、カウンターの椅子に座っていた。


 コーヒーは半分残っていた。

 飲み終えてもいいはずだった。

 立ち上がる理由はあった。

 それでも、手がカップから離れなかった。


 光が動いていた。


 窓からの帯が、カウンターの板目の上をゆっくりと動いていた。

 最初に気づいたときより、確実に角度がずれていた。

 太陽が動いているのか、雲が動いているのか、男には判断できなかった。

 ただ、光の帯の端が、写真立てから少しずつ離れていくのがわかった。


 女はカウンターの奥にいた。

 背を向けていた。

 何かを拭いていた。

 布が棚の木を滑る、小さな音がした。


 男は女の背中を見ていた。


 輪郭が鮮明だった。

 肩の線。首の後ろ。

 光の当たり方が、ほかのどの物体とも違った。


 口を開こうとして、閉じた。

 もう一度、開いた。


「あの」


 女が振り向いた。


「名前、聞いてもいいですか」


 女はしばらく男を見ていた。

 何かを測るような間ではなかった。

 ただ、答えるための時間だった。


「未織、です」


 それだけだった。


 男は一度、その音を頭の中で繰り返した。

 み、おり。

 繰り返したことを、口には出さなかった。


 未織は男から視線を外して、また棚の方を向いた。

 布が木を滑る音が、また聞こえた。


 光が、写真立ての縁から外れた。


 音はなかった。

 ただ、写真立てのガラスの反射が消えた。

 代わりに、額縁の中に像が現れた。

 女が写っていた。

 こちらを向いていない。

 少し下を向いている。

 輪郭が鮮明だった。


 男は写真を見た。


 それからカウンターの内側に視線を戻した。


 未織は、いなかった。


 棚も、布も、そのままだった。

 拭きかけの木の面が、光を均一に反射していた。

 カップが一列に並んでいた。

 コーヒーの香りが、まだ空気の中にあった。


 男は写真を見た。

 写真の中の女が、微笑んでいた。


 窓からの光が、床まで届いていた。

 石畳の目地の上を、帯が静かに移動していた。

 どこへも向かわず、ただ動いていた。


 男はカップを置いた。

 カウンターの上に、静かに置いた。

 薄い磁器が木に触れる音がした。


 立ち上がった。


 扉の方へ歩いた。

 引いた。

 冷気が入ってきた。


 外に出た。


 扉が閉まった。


     * * *


 写真立てのガラスに、路地からの反射光が細く当たっていた。

 額縁の中で、女が微笑んでいた。

 店内には、コーヒーの香りだけが残っていた。

光が当たる場所と、

光が離れていく場所。


そのわずかな差の中で、

あるものは姿を持ち、

あるものは静かに消えていきます。


第4話は、

未織が“光とともにある存在”であることが

初めて明確になる回でした。


次の話では、

彼女の“現れ方”が、

もう少しだけ深く描かれていきます。

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