第4話 光が動く
冬の光は、
ものの輪郭を浮かび上がらせるだけでなく、
そっと奪っていくことがあります。
第4話では、
光が動くことで起きる“変化”を描きました。
姿が現れ、
そして消える。
その境界にある静けさを、
一つの場面として置いています。
冬の朝日が写真立ての額縁に当たり、ガラスが強く光っていた。
白い光だった。
芯のある、骨まで透けるような白さだった。
その中心で、写真の像は完全に消えていた。
* * *
男はまだ、カウンターの椅子に座っていた。
コーヒーは半分残っていた。
飲み終えてもいいはずだった。
立ち上がる理由はあった。
それでも、手がカップから離れなかった。
光が動いていた。
窓からの帯が、カウンターの板目の上をゆっくりと動いていた。
最初に気づいたときより、確実に角度がずれていた。
太陽が動いているのか、雲が動いているのか、男には判断できなかった。
ただ、光の帯の端が、写真立てから少しずつ離れていくのがわかった。
女はカウンターの奥にいた。
背を向けていた。
何かを拭いていた。
布が棚の木を滑る、小さな音がした。
男は女の背中を見ていた。
輪郭が鮮明だった。
肩の線。首の後ろ。
光の当たり方が、ほかのどの物体とも違った。
口を開こうとして、閉じた。
もう一度、開いた。
「あの」
女が振り向いた。
「名前、聞いてもいいですか」
女はしばらく男を見ていた。
何かを測るような間ではなかった。
ただ、答えるための時間だった。
「未織、です」
それだけだった。
男は一度、その音を頭の中で繰り返した。
み、おり。
繰り返したことを、口には出さなかった。
未織は男から視線を外して、また棚の方を向いた。
布が木を滑る音が、また聞こえた。
光が、写真立ての縁から外れた。
音はなかった。
ただ、写真立てのガラスの反射が消えた。
代わりに、額縁の中に像が現れた。
女が写っていた。
こちらを向いていない。
少し下を向いている。
輪郭が鮮明だった。
男は写真を見た。
それからカウンターの内側に視線を戻した。
未織は、いなかった。
棚も、布も、そのままだった。
拭きかけの木の面が、光を均一に反射していた。
カップが一列に並んでいた。
コーヒーの香りが、まだ空気の中にあった。
男は写真を見た。
写真の中の女が、微笑んでいた。
窓からの光が、床まで届いていた。
石畳の目地の上を、帯が静かに移動していた。
どこへも向かわず、ただ動いていた。
男はカップを置いた。
カウンターの上に、静かに置いた。
薄い磁器が木に触れる音がした。
立ち上がった。
扉の方へ歩いた。
引いた。
冷気が入ってきた。
外に出た。
扉が閉まった。
* * *
写真立てのガラスに、路地からの反射光が細く当たっていた。
額縁の中で、女が微笑んでいた。
店内には、コーヒーの香りだけが残っていた。
光が当たる場所と、
光が離れていく場所。
そのわずかな差の中で、
あるものは姿を持ち、
あるものは静かに消えていきます。
第4話は、
未織が“光とともにある存在”であることが
初めて明確になる回でした。
次の話では、
彼女の“現れ方”が、
もう少しだけ深く描かれていきます。




