表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬麗(とうれい)の光射す喫茶店 ― ひと冬の奇跡 ―  作者: ちとせ鶫
第1章 ―― 出会い・結像

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/11

第3話 未織

冬の光が、

まだ輪郭を持たないものを

そっと浮かび上がらせる瞬間があります。


第3話では、

その“結像の瞬間”を描きました。


光と香りと空気が揃い、

世界のほうが先に反応する。


その静かな立ち上がりを、

一つの場面として置いています。

 透明な冬の光が、写真立ての額縁を斜めに横切っていた。

 粒子が見えた。あ

 光の帯の中を、細かい何かがゆっくりと流れていた。

 写真の中の像は、光に塗り込められて見えなかった。


     * * *


 カウンターの内側に、女がいた。


 男は動かなかった。

 一歩踏み込んだ姿勢のまま、立っていた。


 女は男の方を見ていなかった。

 カウンターの下、棚の方を向いていた。

 何かを探していた。

 指先が、棚の縁を沿って動いた。


 その指先が、異様に鮮明だった。


 店内のほかのものとは、解像度がちがった。

 木の棚も、

 並んだカップも、

 カウンターの板目も、

 すべて通常の鮮明さを持っていた。

 女の輪郭だけが、一段、際立っていた。

 肌の質。指の関節の陰影。

 光が当たる角度と、影が落ちる角度が、ほかのどの物体よりも正確だった。


 女が顔を上げた。


 目が合った。


「いらっしゃい」


 声は低くなかった。

 高くもなかった。

 店内の空気の密度に合った、過不足のない声だった。

 大阪の言葉だった。


 男は何も言えなかった。


 女はカウンターの上に、カップをいくつか並べ始めた。

 棚から一つずつ取り出して、横一列に置いた。

 音が小さかった。

 磁器が木に触れる、薄い音だった。


六つ、並んだ。


 どれも形がちがった。

 色もちがった。

 

 白磁の薄いもの。

 土の色の厚いもの。

 青い染付の小ぶりなもの。

 金縁のもの。

 白い背の高いマグ。

 緑釉のもの。

 

 どれも、長く使われてきた気配を持っていた。


「好きなの、選んでもらえますか」


 女が言った。

 それだけだった。

 説明はなかった。


 男は並んだカップを見た。


 手が、白磁の薄いものの前で止まった。

 縁が少し欠けていた。

 欠けた部分が、使い込まれてなめらかになっていた。

 光を透かすと、わずかに青みがあった。


 手を伸ばした。


 持ち上げた。

 軽かった。

 指の腹に、薄い磁器の冷たさが伝わった。


 女はそれを見ていた。

 何も言わなかった。

 カウンターの奥へ向かった。


 コーヒーの香りが濃くなった。

 さっきまでとはちがう層が加わった。

 柑橘に近い、明るく鋭い酸の気配だった。

 花とも湿った葉とも取れる、判断のつかない複雑さだった。

 冷えた空気の中に、その香りが粒子のように溶けていた。


 しばらくして、女が戻ってきた。

 白磁のカップに、コーヒーを注いだ。

 湯気が上がった。


「今日は浅めに焼いてあります」


 女が言った。


「最初、酸いと思わはるかもしれへんけど」


 それだけだった。


 男はカウンターの椅子に座った。

 カップを両手で包んだ。

 薄い磁器越しに、熱が掌に伝わった。


 飲んだ。


 酸みがあった。

 舌の奥まで届く、透明な酸みだった。

 その後ろに、花に似た何かが残った。


 女はカウンターの奥にいた。

 何かをしていた。

 男の方を見ていなかった。


 光が動いていた。

 窓からの帯が、カウンターの板目をゆっくりと移動していた。

 どこへ向かっているのか、男には見えなかった。


     * * *


 男が立ち上がる頃、光の角度がずれていた。

 写真立てへの直射が弱まり、ガラスの反射が消えていた。

 額縁の中に、女が微笑んでいた。

 色の薄れた写真の中で、輪郭だけが鮮明だった。

 カウンターの内側は、静かだった。

写真の中の像と、

目の前の輪郭が、

一瞬だけ重なることがあります。


それは、

光が記憶を呼び戻すのではなく、

光そのものが像を作る瞬間。


第3話は、

未織が“姿を持つ”最初の場面でした。


次の話では、

彼女の存在がもう少しだけ、

日常の中に滲んでいきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ