第21話 間に合わなかった朝
写真立てのガラスに、光は当たっていなかった。
反射もなかった。
でも、暗がりでもなかった。
三月の朝の光が、写真立ての少し手前まで来ていた。
そこで止まっていた。
額縁の縁には届かなかった。
像が見えた。
女が少し下を向いていた。
微笑んでいた。
* * *
扉を引いた。
開いた。
店内に入った。
未織がいなかった。
男は扉の前に立ったまま、店内を見た。
カウンターが見えた。
椅子が四脚、整然と並んでいた。
カップが棚に並んでいた。
取っ手の向きが、全部同じだった。
誰もいなかった。
コーヒーの香りがあった。
薄かった。
前日か、もっと前の香りが、木材に染み込んで残っているだけの薄さだった。
男は一歩、店内に入った。
扉が閉まった。
窓からの光が、店内に差し込んでいた。
三月の朝の光だった。
カウンターの上を、光の帯が走っていた。
写真立ての手前で、帯が止まっていた。
写真立てには届いていなかった。
男は椅子に座った。
いつもの椅子だった。
カウンターの前に座って、写真立てを見た。
像が見えた。
女が写っていた。
カウンターの内側に立っている。
視線はこちらを向いていない。
少し下を向いている。
でも、微笑んでいた。
男はそれを見た。
光の帯が、写真立ての手前で止まったままだった。
動いていた。
ゆっくりと動いていた。
写真立てに向かっていた。
でも、まだ届いていなかった。
男は待たなかった。
待つつもりで座ったわけではなかった。
ただ、立ち上がる動作が、すぐには起きなかった。
窓の外で、何かが動いた。
鳥だった。
屋根の縁を伝って、視界を横切った。
見えなくなった。
工事の音が届いた。
遠かった。
今日も遠かった。
金属を叩く、低く鈍い音が、一度届いて、消えた。
男はカウンターに両手を置いた。
木の表面が、手の平に触れた。
拭かれていた。
均質に光っていた。
誰かの手が、今朝もこの木を拭いた。
男は立ち上がった。
扉を引いた。
外に出た。
三月の朝の光が、路地を照らしていた。
影が長かった。
男は少しの間、扉の前に立っていた。
それから歩いた。
* * *
光の帯が、写真立ての縁に触れた。
金属の縁が、細く光った。
ガラスの面に、薄い反射が生まれた。
像がぼやけ始めた。
店内に、誰もいなかった。




