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冬麗(とうれい)の光射す喫茶店 ― ひと冬の奇跡 ―  作者: ちとせ鶫
第4章 ―― 揺らぎ・空白

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第15話 曇天続き

 写真立ては、暗がりの中に在り続けた。

 何日も、光が届かなかった。

 ガラスの面は何も反射せず、像はそこにあり続けた。

 女が少し下を向いていた。

 男には見えなかった。


     * * *


 一日目。


 天井が白かった。

 影のない白さだった。

 男は起き上がった。

 着替えた。

 歩いた。


 扉の前に立った。

 手をかけた。

 動かなかった。

 来た道を戻った。


 二日目。


 天井が白かった。

 一日目と同じ白さだった。

 男は起き上がった。

 着替えた。

 歩いた。


 扉の前に立った。

 手をかけなかった。

 一日目に手をかけて動かなかったことを、体が覚えていた。

 立ったまま、扉の木目を見た。

 雨でも、曇りでも、木目は変わらなかった。

 長い年月が染み込んだだけの茶色だった。

 来た道を戻った。


 三日目。


 天井が白かった。

 男は少し長く、天井を見た。

 それから起き上がった。

 着替えた。

 歩いた。


 路地に入ったとき、石畳の目地に光がないことを確かめた。

 確かめるまでもなかった。

 空を見上げた。

 厚い雲だった。

 どこにも隙間がなかった。


 それでも扉の前まで歩いた。


 立ち止まった。

 木目を見た。

 来た道を戻った。


 四日目。


 天井を見なかった。

 目が覚めた瞬間に、空気の質でわかった。

 光がない朝の空気だった。

 重く、均質で、方向がなかった。


 それでも着替えた。

 それでも歩いた。


 扉の前に立った。

 木目を見た。

 引き戸の溝の砂を見た。

 砂は変わっていなかった。

 積もったままだった。

 雨が降れば固まり、乾けば元に戻る。

 それを繰り返しているだけだった。


 来た道を戻った。


 五日目。


 天井を見た。

 白かった。


 男は起き上がる前に、自分の呼吸の音を聞いた。

 部屋の空気が静かだった。

 風が凪いでいた。

 光が届かなかった。


 それでも起き上がった。


 着替えながら、男は何も考えなかった。

 何も考えない、という状態ではなかった。

 頭の中が、静かだった。

 扉の木目の色が、静かな頭の中にあった。

 長い年月が染み込んだだけの茶色が、そこにあった。


 歩いた。


 商店街の抜け道を通った。

 惣菜屋の前を通った。

 金物店の前を通りすぎた。


 扉の前に着いた。


 立ち止まった。


 今日は、手をかけなかった。

 木目を見なかった。

 扉から少し離れた位置に立って、扉全体を見た。


 木の扉だった。

 塗り直された痕跡のない、ただそれだけの扉だった。


 男はそこに五日間、毎朝来た。

 そのことに、今初めて気づいた。

 気づいて、それを頭の中に置いた。

 置いたまま、何もしなかった。


 来た道を戻った。


 路地の空気が重かった。

 石畳の目地が、光のない中で平らに並んでいた。

 どれも同じ深さだった。

 どれも同じ色だった。


 男は歩きながら、空を見た。


 雲の端が、わずかに白く光っていた。

 太陽がその向こうにあることを、雲の色が示していた。

 届いていなかった。

 ただ、そこにあることだけが、わかった。


     * * *


 写真立ては、暗がりの中に在り続けた。

 五日間、光が届かなかった。

 像はそこにあった。

 女が少し下を向いていた。

 店内は静かだった。

 コーヒーの香りが、あったかどうか、男には知る方法がなかった。

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