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冬麗(とうれい)の光射す喫茶店 ― ひと冬の奇跡 ―  作者: ちとせ鶫
第3章 ―― 深度・写真

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第12話 閉じた朝・二度目

 写真立ては、暗がりの中にあった。

 雨の朝だった。

 光がなかった。

 光がないから、ガラスは何も反射しなかった。

 反射しないから、像はそこにあった。

 女が少し下を向いていた。

 雨音が、扉の外から聞こえていた。


     * * *


 目が覚めたとき、雨の音がした。


 屋根を叩く音ではなかった。

 細かい雨だった。

 空気全体が濡れているような、方向のない湿気の音だった。

 男は天井を見た。

 窓からの光がなかった。

 灰色だった。


 それでも、起き上がった。

 着替えた。

 マフラーを巻いた。


 扉を開けた。


 雨が降っていた。

 傘を持っていなかった。

 戻って傘を取った。

 また扉を開けた。


 石畳が濡れていた。

 目地の溝に、細い水の流れがあった。

 反射光がなかった。

 濡れた石は光を散漫に返して、どこにも像を結ばなかった。


 男は歩いた。


 傘の布を雨粒が叩いた。

 細かい音だった。

 均質な音だった。

 その音の下で、石畳を踏む自分の靴音が聞こえた。


 商店街に入った。


 惣菜屋のシャッターが下りていた。

 金物店のシャッターが下りていた。

 どの店も、閉まっていた。

 いつもと同じだった。

 ちがうのは、シャッターが雨に濡れていることだった。 

 金属面が、均質な灰色に染まっていた。


 扉の前に着いた。


 傘を持ったまま、扉を見た。


 木の表面が、雨を含んでいた。

 乾いた年月の茶色ではなかった。

 雨気を吸って、色が一段深くなっていた。

 木目が、濡れることで鮮明になっていた。


 男は手をかけた。


 引かなかった。


 手をかけたまま、扉の木の感触を確かめた。

 冷たかった。

 湿っていた。

 木の繊維の細かさが、指の腹に伝わった。

 雨を含んだ木は、乾いた木より重かった。

 引き戸の溝に積もった砂が、雨に濡れて固まっていた。


 男は手を離した。


 引かなかった。

 最初から引くつもりではなかった。

 引けないとわかっていて、それでも手をかけた。


 傘を持ち直した。


 来た道を戻った。


 石畳の濡れた反射が、足元で散漫に揺れた。

 雨の音が続いていた。

 均質な、方向のない音だった。


     * * *


 写真立ては、暗がりの中にあった。

 像がそこにあった。

 女が少し下を向いていた。

 雨音が続いていた。

 店内に、人はいなかった。

 コーヒーの香りも、なかった。

 扉の木が、雨を含んで重かった。

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