第11話 光の中にいる時間
写真立てのガラスが、金色に近い光を正面から受けていた。
二月の朝日が、路地の角度と建物の隙間が一致した短い時間だけ、
店の窓へ真っすぐに届いていた。
ガラスの面が強く光っていた。
像は飛んでいた。
完全に、白く、飛んでいた。
* * *
その朝は、光が強かった。
扉を引いて入った瞬間に、それがわかった。
窓からの光が、店内の奥まで届いていた。
カウンターの上に、金色に近い帯が走っていた。
埃の粒子が、その帯の中で光りながら動いていた。
静止ではなかった。
緩やかに、しかし確実に流れていた。
未織がカップを並べた。
男の手が、金縁のカップの前で止まった。
金縁だった。
縁に細い金の線が一本、均質に走っていた。
今日の光の色と、同じだった。
持ち上げると、白い磁器の表面が光を柔らかく返した。
未織はカップを受け取って、奥へ向かった。
男はカウンターに両肘をついた。
写真立てを見た。
今日の光の強さだと、ガラスの面が飛んでいた。
像が見えなかった。
金色の反射だけがあった。
男は、その反射がいつ外れるかを考えた。
考えた、というより、そのことが頭の中に浮かんだ。
太陽は動く。
路地の角度と建物の隙間の一致は、長くは続かない。
朝が深まれば、光の角度はずれていく。
今強く当たっているこの光は、いつか弱まる。
弱まれば、反射が消える。
消えれば、像が現れる。
そのとき、未織はまだここにいるか。
考えが、そこまで行った。
男は、そこで考えを止めた。
止めた、という動作はなかった。
香りが来たから、そちらに意識が向いた。
ナッツだった。
焙煎の熱がナッツの脂を引き出したような、乾いた温かみのある香りだった。
その下に、チョコレートとも取れる甘みが静かに続いていた。
落ち着いた香りだった。
主張しなかった。
ただ、空気の中に在った。
未織が戻ってきた。
金縁のカップにコーヒーを注いだ。
湯気が上がった。
金色の光の中で、湯気が金色に見えた。
「バランスがいいです、今日のは」
未織が言った。
「どこも突出せえへんかわりに、全部ちゃんとあります」
男はカップを持った。
金縁の線が、指の腹に触れた。
細かった。
飲んだ。
丸かった。
酸みも苦みも甘みも、均等にあった。
どれかが主役ではなかった。
全部が同時に、静かにそこにあった。
窓からの光が、カウンターの上を動いていた。
男はそれを見ていた。
帯の端が、写真立てから少し離れた位置にあった。
最初に入ったときより、ずれていた。
確実にずれていた。
男は時計を見なかった。
壁に時計があるかどうか、男は知らなかった。
カウンターの上に時計はなかった。
男は自分の腕時計に視線を落とさなかった。
どのくらいここにいるかを、数字で確認しなかった。
ただ、光の位置が変わっていた。
それが、時間の経過だった。
コーヒーを飲みながら、男は光の帯の動きを見ていた。
ゆっくりだった。
見ていても、動いているとわからないくらいゆっくりだった。
でも、確かに動いていた。
次にカップを置いて視線を戻すと、帯の端がまた少し移動していた。
未織はカウンターの奥にいた。
何かをしていた。
男の方を見ていなかった。
光が、写真立てに近づいていた。
逆方向だった。
最初は写真立てから離れる方向に動いていたのに、今は戻ってきていた。
路地に差し込む光の角度が、時間とともに変化して、
また別の向きから写真立てに近づいていた。
近づいて、縁に触れた。
ガラスの面が、また薄く光り始めた。
今度は金色ではなく、もっと白に近い光だった。
像がぼやけ始めた。
「今日は長くいてはりますね」
未織が言った。
振り向かずに、言った。
男はカップを持ったままだった。
コーヒーはもう残っていなかった。
「そうですね」
男が言った。
それだけだった。
立ち上がった。
カップをカウンターに置いた。
「ごちそうさまでした」
「おおきに」
扉を引いた。
外に出た瞬間、光の質がちがうことがわかった。
店内の光より、外の光は平らだった。
方向があって、角度があって、影を作っていたが、
あの金色の帯とは別のものだった。
石畳の上を歩いた。
影が男の足元で動いた。
* * *
写真立てのガラスに、白に近い光が当たっていた。
像がぼやけていた。
金縁のカップが、カウンターの上に置かれていた。
金色の帯は、もうカウンターの端まで移動していた。
未織は、カウンターの奥にいた。




