09.骨折の老婦人
カプセルから放たれる白い光が、少しずつ収まってくる。カプセルの横に取りつけられたモニターには、「09月01日」と表示されていた。
時任はカプセルを開いて外に出た。横の伊倉も、ゆっくりと身体を起こしている。
時任はカプセルの横に置かれていた、タイムマシン操作用のスマートフォンを手に取ると、すぐに扉の前へと向かった。早く来い、と伊倉に向かって手招きする。
「さっさとしろ。時間は有限なんだ」
しかし、伊倉は時任の指摘なんてどこ吹く風だ。
「おいおい。せっかくの過去の世界、楽しまないともったいない」
「俺は時空警察だぞ。毎度のことに、いちいち感動してられるか」
時任は伊倉のことなどお構いなしに、タイムマシンルームを出た。やや遅れて、伊倉がその背中を追いかける。
「真面目だな、時任」
「お前と比べれば、誰だって真面目に見える」
時任の態度は相変わらずそっけないが、伊倉は愉快そうにクスクス笑う。
◇
二人は警察署の外へとやってきた。
9月1日の空はよく晴れていた。電脳世界では天気など関係ないのだが、伊倉は気持ちよさそうに両手をあげて伸びをする。
伊倉は時任に尋ねた。
「まずは、どこから攻める?」
「ひとまず、澄野玲香の住むマンションだ。彼女の周辺を洗うのが一番早そうだ」
「了解」
二人は玲香の住むマンションへと向かうべく、駅へと向かって歩き出した。その道中、時任はスマートフォンをワンタップする。
すると、目の前の道が黄色く点滅し始めた。そして、矢印で二人が進むべき方向が示される。
伊倉はそれを見て、驚きの声を上げた。
「ナビ機能? これは便利だ」
「当然だ。ここは電脳世界なんだ。この程度のこと、出来ない方が不自然だ」
時任はポケットにスマートフォンをしまい、ナビに従って歩き出す。対する伊倉は、時任のスマートフォンに興味津々だ。
「他には何か、面白い機能はないのか?」
「いずれ必要な時が来たら説明する」
「そんなにもったいぶらなくても」
「……」
伊倉はその後も、あの手この手で時任にスマートフォンを使わせようと話題を振る。
時任も最初のうちは冷たいながらも返事をしていたが、途中からは面倒くさくなったようで、伊倉の話を無視し始めた。それでも、伊倉は同じ調子のまま、一人でしゃべり続けている。
◇
電車を乗り継ぎ、最寄りの駅から歩き続けること十数分。二人は、玲香の住むマンションへと到着した。
そのマンションは、お世辞にも綺麗とは言えない建物だった。灰色の外壁は手入れがされていないのか、ところどころ汚れが目立っている。
駅からも遠く、人通りも少ない。お世辞にも女性の一人暮らしに向いているとは言えない立地だ。
玲香の部屋は五階だった。エレベーターの表示は、二階で止まっていて、動く様子はない。二人は階段を選択した。
五階にたどり着くと、伊倉は数ある部屋の中から一つの表札を見つけ、嬉しそうに指差した。
「ここだ。澄野玲香の部屋だ」
「ああ」
時任は頷くと、玲香の部屋に入ろうと足を一歩踏み出した。しかし、そこで止まる。
伊倉が、時任の腕を掴んで止めたからだ。時任は振り返って伊倉を睨んだ。
「何の真似だ」
「それはこっちのセリフだ」
伊倉は真剣な表情で諭すように言う。
「ここは澄野玲香の部屋だろう」
「ああ」
「女性の一人暮らしの部屋に、勝手に入るわけにはいかない」
「伊倉、お前な」
時任はあからさまに大きくため息をついた。伊倉の手を振り払おうとするが、伊倉の掴む手は意外に力が強く、振りほどけない。
「捜査だと言っただろう。ここまで来て部屋に入らないでどうするんだ」
「無断で部屋を覗くのはさすがにまずい。彼女は別に犯罪者ってわけじゃない」
「伊倉。お前、彼女を助けたいのか、助けたくないのか、どっちなんだ」
時任の問いに伊倉は一瞬固まった。刹那の思考の後、伊倉は答える。
「なるべく波風を立てずに、助けたい」
「無茶言うな」
時任が再び伊倉の手が振り払おうとすると、今度はあっさり離れた。怪訝な表情をする時任を見て、伊倉は笑みを浮かべる。
「そこまで言うなら、見てくればいい。確かに、彼女は結構美人だった気がする」
「……」
時任は立ち止まったまま動かない。伊倉は追い打ちをかける。
「どうした、調べないのか」
「わざわざ、調べにくくなるようなことを言わなくてもいいだろう」
時任はそっぽを向いた。伊倉は伊倉で、居心地が悪そうにそわそわしている。二人とも、その場に立ったまま動かない。
「……」
「……」
ときどき、マンションの住人がその場を通りかかる。しかし、彼らは過去の世界の住人だ。
伊倉が助けを求めるように視線を送っても、当然二人の存在に気づくことなく、その場を通り過ぎていく。
その時、ガチャリという音が聞こえた。二人は音のする方に視線を向ける。
音の出どころは隣の部屋だった。開いた扉から出てきたのは、松葉杖をついた老婦人だ。包帯でグルグル巻きの右脚が痛々しい。
伊倉が同情の声を上げる。
「これは、可哀そうに」
そんな伊倉を、時任はジロリと睨んだ。
「おい、本題から目を逸らすな」
「いいや、これは重大事だ」
伊倉は時任の圧にもめげず、老婦人の松葉杖を指差した。
「この様子だと、足を骨折しているかもしれない。ご高齢の方にとって、骨折というのは重傷だ。今後の生活にも差し障りが出るかもしれない」
「それは分かるが、どうしようって言うんだ」
「原因を調べてみよう」
「……」
時任は伊倉の意図を理解し、口をつぐんだ。理解はしたが、承服しかねるという表情だ。
「確かに、少々気の毒ではあるが」
「そうだろう?」
「だが、過去を変えるというのは時空警察でも気軽にできるわけじゃない」
「そうなのか?」
伊倉の疑問に、時任はゆっくりと頷いた。ポケットからスマートフォンを取り出し、そこに映る画面を伊倉に示した。
「時空警察用の、過去改変の申請フォームだ。変更内容と理由を記載して、上層部の承認を得ないといけない」
「もらえばいいじゃないか」
それのどこが問題なのだ、と首を傾げる伊倉に、時任はイライラと言い返す。
「簡単に言うな。うちの署の場合、承認できるのは署長だけだ。こんなくだらない案件に、時間を取らせるわけにはいかない」
「目の前に困ってる人がいるんだ。だから、助ける。それだけのことだ」
伊倉のあっけらかんとした答えに、時任は返答に窮した。二人は無言のまま向かい合う。
伊倉は、期待に目を輝かせて時任を見つめている。時任は時任で、腕を組んだまま動かない。
しばし続いた沈黙の後――先に折れたのは、時任だった。
「今回だけだ」
「……え?」
「協力してやる、と言ってるんだ」
「おお!」
伊倉の表情がパッと明るくなる。
「ありがとう、心の友よ!」
「うるさい」
時任が画面を操作し、再び時を巻き戻していく。
怪我をする前の、自分の足で元気に歩く老婦人の姿を見つけたのは、玲香の事故からさらに一週間前のことだった。




