06.時空警察・時任剛毅
伊倉は、事故の瞬間を助手席に座って眺めていた。一部始終を確認し、小さくつぶやく。
「これは……やはりどう見ても、ただの不注意だ」
伊倉は腕組みした。目の前では警察官とバスの運転手に責められ、玲香が何度も頭を下げている。
伊倉は手元のスマートフォンを操作した。目の前の世界が消え去り、伊倉は一瞬にして警察署のカプセルの中へと戻っていた。
プシューという音とともに、カプセルが開く。伊倉は身体を起こし、麦わら帽子を手に取った。
二重扉の一枚目を出ると、またしてもアナウンスが流れた。
『イクライッセイ、退出を確認しました。……利用時間、42分』
タイムマシンといっても、過去の世界を追体験しているだけなので、現実世界の時間は経過していく。最初にカプセルに入った、あの時間に戻って来られるわけではないのだ。
伊倉は部屋を出ると、そのままの足で入り口の受付窓口へと向かった。
ソファに腰かけ、順番を待つこと十数分。伊倉が受付に立つと、受付嬢がにこやかに問いかけてきた。
「いかがいたしましたか?」
伊倉は少しの間考え込むと、言葉を選びながら慎重に用件を伝えた。
「えー、いや、そうだな。高杉署長の用件で、依頼したいことがあるのだが」
伊倉の言葉に受付嬢はポカンと口を開けた。伝わらなかったか、と伊倉は頭をかく。しかし、受付嬢は何か思いついた様子で内線をつないだ。
「すみません。署長ご指名の案件で、お客様がいらしています」
それだけ言うと、受付嬢は電話を切った。伊倉はソファにもう一度腰かけて迎えを待つ。
しばらく待っていると、奥から一人の男が出てきた。
濃紺のスーツに身を包んだその男は、180センチを優に超える、立派な体躯の持ち主だった。迫力たっぷりの鋭い眼光と、腕に光るごつい時計が、歴戦の刑事を感じさせる。
刑事は伊倉を一瞥すると、その服装を見て目を細めた。
「用があるのは、あんたか。奥で話を聞こう」
低音の迫力のある声は、周囲の一般市民を震え上がらせるには十分だった。しかし伊倉は平然と、軽やかな足取りで刑事のもとへと歩み寄った。
「了解。さ、行くとしようか」
伊倉は右手を差し出して握手を求めたが、刑事は応じない。黙ったまま、くるりと背中を向けて、早足で歩き出す。
伊倉は急いで後を追いかけながら、刑事の背中に向かって問いかけた。
「あのマシンのことは、機密情報だと思ってたんだが。受付の人も知っているとは、意外だった」
刑事は振り返りもせずに言葉だけを返してくる。
「あれが"ただの受付"に見えたのなら、アンタも大したことないな」
伊倉は予想外の返答に目を丸くしたが、やがて合点がいった、と軽く手を叩いた。
「なるほど、おっしゃる通りだ」
◇
案内されたのは、小さな会議室だった。刑事が先に腰かけ、伊倉も続いて座る。刑事は警察手帳を取り出して、伊倉に向けて見せた。
「時任剛毅、だ」
時任はそれだけ言うと、鋭い眼光を伊倉へと向けた。多くの犯人たちを追い詰めてきたに違いない強烈な睨みだ。
しかし、伊倉は逆に微笑んでみせた。
「時任サン、か。はじめまして、俺は――」
「伊倉一勢、だな」
時任はイライラとした様子で言葉をかぶせた。伊倉はほお、と感嘆の声を上げる。
「知っていただけているとは光栄だ」
「……時空警察の間では有名人だからな」
時空警察。
耳慣れないこの言葉は、タイムマシンと並んでこの国のトップシークレットである。
タイムマシンは、警察の中でもごく一部の人間しか知らない。
そのごく一部というのが、時任の言う「時空警察」だ。警察の中でも群を抜いて優秀な人材だけを集めた組織で、タイムマシンの使用が特別に許可されている。
そのおかげで、タイムマシン発明以後の検挙率は、なんと100パーセント。
なにしろ、過去に戻って事件の起きた瞬間を確認できるのだ。アリバイトリックも、証拠隠滅も、時空警察の前には無意味だ。
そんな超エリート集団に名前を知られていると聞いて、伊倉は上機嫌だった。伊倉は鼻の穴を膨らませながら饒舌に語り出す。
「有名人だって? それはそうだろう。市民を救うスーパーヒーロー、伊倉一勢とは、何を隠そう俺のことだ」
どうだ、と胸を張る伊倉だったが、時任の視線は冷たい。
「たびたび時空警察に駆け込んでくる、厄介者だろう。くだらないトラブルを見つけてきては、過去を変えろ、とな」
過去を変える。
時任の口から出てきたその言葉に、伊倉はそれだ、と食いついた。
「話が早くて助かる。何しろ我々一般市民には、過去を変えるなんて不可能だ。その点、時空警察は違う」
時任は顔をしかめたが、伊倉の発言を否定はしなかった。
時空警察は、過去を変えることができる。その理屈は伊倉はもちろん、時任たちですら知らない。
しかし、電脳世界上で伊倉が体験した、あの過去の世界。そこに不思議な力を使って時空を捻じ曲げ、過去に干渉する。
それは、時空警察にのみ許された特権だった。
時任も時空警察の人間ならば、過去を変えた経験も当然あるはずだ。しかし、そんな輝かしい実績とは裏腹に、時任の表情は冴えない。
「タイムマシンは、この国の秩序を保つためのものだ。まかりまちがっても、"子どもが飛ばして木に引っかかった風船を取り戻す"なんてことに使っていいものではない」
時任はため息をつきながらテーブルに肘をついた。しかし、伊倉はなぜか嬉しそうに、目を輝かせた。
「ああ、あの時の子か。風船が戻った時のあの子の表情を見たか? あれ以上に大事なものなんて、この世に存在しないだろう?」
「大事かどうかを判断するのはアンタじゃない。我々、時空警察だ」
時任の返答はそっけない。




