02.過去改変の依頼
青年は、澄野直正と名乗った。
伊倉はどこからともなく座布団を取り出してきて、足元の空いたスペースに置いた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
座布団に腰を下ろした直正は、伊倉の奇天烈な格好に目を奪われた。しかし、続く言葉は出てこず、伊倉の様子をチラチラと伺うばかりだ。
そんな直正を見て、今度は伊倉の方から問いかけた。
「何か、変えたい過去があるのだろうか?」
直正は一瞬だけ目を見開いた。しかし、すぐに口元にわずかな笑みを浮かべると、ポリポリと頭をかく。
「……いや、ただの冗談ですよ。過去を変えるなど、そんな大それたこと――」
「その割には、期待と不安が入り混じったような目をしている」
直正の手が止まる。直正は小さく息を吐くと、座布団の上に正座で座り直した。
「先日、姉が交通事故を起こしました」
直正は落ち着いた口調で話し始めた。
◇
「姉は、澄野玲香といいます。誰よりも優しくて頼りになる、自慢の姉です」
伊倉がつい先ほどまでいじり続けていたイルミネーションコードは、いつしか伊倉の手を離れ、床に放置されている。
直正は淡々と話し続ける。
「仕事中に発生した、追突事故でした。幸いなことに、軽傷者が一名出た程度でしたが……。ですが、姉が事故を起こすなんて、私にはどうしても信じられない」
直正は膝の上で拳を強く握った。ギュッと目をつぶり、悔しそうに顔をゆがませた。
「あの日以来、姉はふさぎ込んでしまって、どうにも見ていられません。姉はいつだって人一倍、車の運転には気をつけているんです。そんな姉が不注意で事故を起こすなんて――」
「何か、別の原因があったのではないかと?」
直正はハッと顔を上げた。
「そうです! きっと何か……姉の運転を狂わせるような何かが、あったに違いありません!」
「なるほど」
伊倉は顎に手を当て、何度も小さく頷いている。
直正は、遠慮がちに問いかけた。
「依頼を受けていただけますか?」
「お受けしましょう」
伊倉は懐から手帳を取り出し、何やらメモを記していく。あまりにあっさりとした返答に、直正は目を丸くしている。
「本当に、いいんですか?」
直正は探るように伊倉の顔を見た。願ってもない話だが、さすがに話がうますぎる。そう言いたげだ。
「……本当に、過去を変えるなんてことが可能なんですか?」
「なんでも屋を舐めないでもらえるかな」
「答えになっていません」
直正は警戒を緩めなかった。何か怪しい点はないかと、部屋中に視線を巡らせる。
そうして直正の目に留まったのは、部屋の隅に落ちている領収書の束だった。そうだ、と直正は膝を叩く。
「そう、報酬。報酬は、どうなりますか?」
「ん? あー、報酬か。そうだな……」
直正の問いに、伊倉はなぜか困ったように天井を見上げた。直正は、その隙を見逃さなかった。
「先払いでウン十万……ですか? もしそうなら、この依頼の話は少し考えさせてほし――」
「タダで構わない」
「え?」
予想外の返答に、直正は言葉を失った。呆気にとられ、伊倉を見つめている。
当の伊倉は、何事もなかったかのように、再びコードを手に取った。そして、のんびりした口調で言う。
「過去を変えれば、お姉さんの事故自体が、なかったことになる。それはつまり、この依頼さえなかったことになる、ということだ。存在しない依頼に、報酬は要求できないだろう?」
「で、ですが」
「そもそもの依頼がなくなれば、私は働かなくていいのだ。それこそ、一石二鳥というものだろう」
直正は言葉に詰まった。過去改変など到底できるとは思えない。しかし、仮に出来るのだとしたら……。
黙り込む直正に向かって、伊倉はかすかに笑みを浮かべた。
「なにやら胡散臭い話だが、タダならまあいいか、と思わないか?」
「え、ええ……あ、いや、そんなことは」
直正は急いで否定した。
伊倉はそれ以上何も言わず、再びコードいじりに没頭し始めてしまう。
しばしの沈黙の後、直正は唐突にあれ、と首をひねった。
「でも……依頼がなくなるということは、過去を書き換えた事実も消えるということで……そうしたらまた、事故が起こるということになってしまいませんか?」
直正の指摘に、伊倉は上を向いて考え込んだ。
しかし、すぐに何事もなかったかのように表情を切り替え、平然と言い放った。
「どうなるか、やってみてから考えよう」
「は、はぁ……」
あいまいに頷いた直正に、伊倉は右手を差し出した。遠慮がちに差し出された直正の手を、ガッチリと握る。
「私にすべて任せたまえ。何の心配もいらん」
伊倉は力強く頷いて見せると、握手した手をブンブンと振り回す。
そんな伊倉にされるがままの直正も、やがてわずかに笑みをこぼした。
直正がつい先ほどまで見せていた深刻な雰囲気は、いつの間にかどこかへと消え去っていた。




