01.なんでも屋・伊倉一勢
住宅街の中にある小さな二階建てのアパートは、日常の景色に溶け込んでいる。しかし、その前を通り過ぎる人々は必ずと言っていいほど、そのアパートに視線を送った。
その視線の先にあるのは、101号室のドアに掛かったドアプレートだ。派手な装飾の中に、「伊倉なんでも事務所」と書かれている。そのドアは半開きで、中へと誘っているように見える。
◇
事務所の中は、四畳半のワンルームだった。散らかり放題の部屋で、若い男が床に座ってあぐらをかき、ノートパソコンとにらめっこをしている。
この事務所の所長、伊倉一勢だ。
鮮やかな紫色に、白い水玉の入ったスーツの上下。そんな奇妙な恰好で、伊倉はパソコンと格闘していた。ときどき、茶髪の天然パーマをかきむしっている。
その時、事務所のドアが音を立てて開いた。伊倉はパソコンの画面から顔を上げる。
「いらっしゃい」
やってきたのは、地味な服装の男だった。
「こんにちは! ご無沙汰しております。安井介護センターの者です」
介護職員はドアを押し開けながら事務所に入ってきた。両手には、大きな段ボール箱を抱えている。
伊倉はノートパソコンをパタリと閉じて、不思議そうに首を傾げた。その視線は、段ボール箱に注がれている。
「介護センターの。もちろん、覚えていますよ。それで、今日はどうしました?」
「それがですね……今日ご相談したいのは、これ、なんですよ」
そう言って介護職員は苦笑いをした。手に持っていた段ボール箱を置こうとしたが、部屋には足の踏み場もない。伊倉は腰を上げ、箱の中を覗き込んだ。
そこには、イルミネーション用のコードがぎっしりと詰まっていた。介護職員がため息まじりに言う。
「もうすぐ10月になるじゃないですか。うちの施設も、クリスマスには盛大に飾り付けをするんです。それでその準備を、と思って引っ張り出してみたら……これですよ。去年の片付け担当が雑な仕事をしたようです」
伊倉が段ボール箱を受け取ってひっくり返すと、段ボールの形そのままの、コードのかたまりが姿を見せた。
「なるほど、見ているだけで嫌な気分になるほどの、からまり具合だ」
「ええ、ええ。それで、伊倉先生にこれをほどいてもらえないか、と」
介護職員は申し訳なさそうに身を縮こまらせた。しかし、伊倉は迷いなく、そして力強く頷く。
「任せなさい。あやとり八段の腕を持つ、この私にね」
「こ、心強いです!」
「一週間で何とかしよう。来週、受け取りに来るといい」
「はい、よろしくお願いします!」
介護職員はペコペコと何度もお辞儀をしながら帰っていった。
伊倉は元の場所に腰を下ろし、早速コードに手を伸ばす。
そのタイミングで、また別の男が事務所にやってきた。真面目そうな、グレーのスーツを着た男だ。
「伊倉先生、こんにちは。清井ドリンク営業担当です!」
「いつもありがとうございます」
伊倉は絡まったコードの端を片手で探しながら、首だけで会釈した。営業は丁寧に頭を下げる。
「いえいえ、こちらこそいつもお世話になっております。こちら、10月分の試供品となります」
そう言いながら営業が差し出したのは、紙パックのドリンクだった。段ボール箱に、合計12本。
「こちら、新作のプロテインドリンクです。いつも通り、感想のレポートをいただければと思いまして」
「任せておけ」
伊倉は早速そのうちの一本を手に取ると、付属のストローを差し込んで一口飲んだ。ふむ、と感心したように頷く。
「前回のものよりも、ミルクの風味が強くなった気がする。なかなかいい味だ」
「えーと、その……今回お持ちしたのは、バナナ豆乳味です。牛乳は入っておりません」
「……コホン」
伊倉は誤魔化すように、軽く咳払いをした。
「いつも通り、全部飲み終わったらレポートを送ろう」
「は、はい! 今回もよろしくお願いいたします!」
営業は笑顔を崩すことなく、深々と一礼すると事務所を出て行った。
伊倉はその背中を見送りながら、プロテインの入った段ボール箱を雑に放り投げた。
そして、コードのかたまりに向き直る。プロテインをちびちびやりながら、コードと格闘を始めた。
◇
伊倉はしばらくコードをいじり続けたが、まったくほどける様子はない。伊倉はため息まじりにプロテインのストローに口をつけた。
しかし、すでに全部飲み干してしまったようで、ズズズ、という音が鳴るだけだ。伊倉は紙パックを後ろに向かって放り投げた。
そんな中、またしても事務所のドアが開いた。
やってきたのは、一人の青年だった。グレーのパーカーにジーンズという、ラフな格好だ。
青年はこれまでの依頼人たちとは違い、慣れない様子で事務所の中を注意深く観察している。
伊倉はそんな青年を見て首を傾げた。ふと、二人の目が合った。お互いにけん制し合い、何も言わない。
黙って見つめ合った後――ようやく、伊倉が口を開いた。
「初めての方だろうか。なんの依頼かな?」
伊倉の声に、青年はびくりと身体を震わせた。困ったような表情で、下を向いて考え込んでいる。
伊倉は無言のまま青年の返答を待った。すると、青年はついに覚悟を決めたか、姿勢を正して真っすぐに伊倉を見据えた。
「ここって、なんでも屋で合ってますか?」
「はい」
「チラシには『なんでもやる』って書いてありましたけど、本当ですか?」
「はい」
「それじゃあ、過去を書き換えることはできますか?」
「はい」
伊倉のあまりに自信満々な即答に、青年は思わず息を呑んだ。




