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14.閉店の多い喫茶店

 二週間前の喫茶店の店内には、相変わらず客の姿は見えない。それでも店主は、忙しそうにカウンターとその奥のバックヤードとを行き来していた。


 伊倉がカウンターから店の奥を覗き込む。


「忙しそうだな。それこそ、誤発注を起こしても不思議でないくらいに」


 伊倉はそう言うと、躊躇なくカウンターを乗り越えて奥の部屋へと入っていく。時任もそれに続いた。



 ◇



 おそらく事務室と思われる奥の部屋は、おしゃれな店内が嘘のように散らかっていた。


 予備の備品が入った段ボール箱が乱雑に置かれていて、机の上には書類や領収書が散らばっている。


 ぼんやりと机の上を眺めていた時任は、一枚の紙に目を留めた。


「おい、これじゃないか?」


 その声に反応し、伊倉が駆け寄ってくる。そして、二人でその紙を覗き込んだ。


 それは、コーヒー豆の注文書だった。この時代にわざわざ手書きである。様々な種類のコーヒー豆の横に「×100」との記載がある。


 伊倉は首を傾げた。


「喫茶店の経営には詳しくないんだが……この100個ってのは多いのか?」

「単位が一瓶なのか、一箱なのかによるな」


 時任は周囲を見回した。そして、机の上のもう一枚の紙を指差す。


「これを見ろ。一週間前の注文書だ。これだと10個ずつになっている」

「ということは、やはり100個の方が間違いか。しかし、手書きで桁数を間違えるなんて、そんなこと本当にあるのか?」


 伊倉はせわしなく動き回る店主と注文書に、疑いの眼差しを向ける。しかし、目の前の注文書には間違いなく「100個」と書かれている。伊倉はやれやれとため息をついた。


「釈然としないが、この注文書を処分してしまおう。さすがに、二回連続で書き間違えるなんてことはないはずだ」

「やってみるか」


 時任は頷いた。そして、間違っている方の注文書をつまみ上げ、雑に放り投げた。


 紙はひらひらと宙を舞い――部屋の隅の、熱帯魚の泳ぐ水槽へと吸い込まれていった。


「ナイスコントロール」


 伊倉はウインクするが、時任は取り合わない。


 一方の店主はというと、驚きで固まっていた。何しろ、机の上の注文書が突然舞い上がり、都合よく水槽へとダイブしたのだ。


「わー! 待った、待った」


 店主は慌てて水槽に駆け寄るが、もはや手遅れだ。注文書はずぶぬれで、文字のインクがにじんでいる。店主はがっくりと肩を落とした。


「なんてことだ……せっかく昨日、夜なべして作ったのに」


 伊倉は気の毒そうな表情で、時任にチラリと目を向けた。


「少し可哀そうだが……」

「窮地から救ってやったのだから、とやかく言われる筋合いはない」

「まあ、そうだな。よし、元の時間に戻ろう。これで閉店も回避できるはずだ」


 伊倉の言葉に時任は頷き、スマートフォンを操作した。二人は、元の時間へと戻っていく。



 ◇



 戻ってきた二人は、喫茶店の店内を見回した。


 先ほどまでコーヒー豆で溢れていた店内は……やはり、大量のコーヒー豆で埋め尽くされていた。伊倉は呆然と立ち尽くす。


「何も変わっていない……」


 店主は依然としてカウンターで頭を抱えている。伊倉は時任を小突いた。


「どういうことだ? 間違った注文書は処分したはずだ。まさか、過去改変をリセットしたとか」

「そんなわけはない。ちゃんと過去は変わっている。その上で、なぜか同じ事態になっているんだ」

「うーむ……」


 伊倉は顎に手を当て、考え込んだ。


「過去を変えたのに結局元通りになる、そんなことってあり得るだろうか?」

「ある」


 時任はあっさりと頷いた。


「過去を変えようとしても、運命の引力に吸い寄せられることがある」

「運命の引力?」

「『そうなる運命だった』というやつだ。二週間前の書き間違えを防いだところで、三日前にも同じ間違いをされたらどうしようもない」

「そんな」


 伊倉は時任をすがるような目で見る。


「もう一度、過去を変えにいこう」


 時任は伊倉を睨んだ。あからさまに乗り気しない様子で、伊倉の提案を突っぱねる。


「言っただろう。変えたくても変わらないこともある」

「今回もそうかどうかは、やってみないと分からない。それに、澄野玲香の事故を前にして、同じことを言えるか?」

「……」


 時任は目を逸らし、チッと舌打ちをする。そして、観念したように目を閉じると、再びスマートフォンを取り出した。


「さっきの時間でいいか?」

「ああ」


 伊倉は嬉しそうに頷いた。



 ◇



 二人は再び誤発注の現場へと戻ってきた。店主は、水没した注文書を前にいまだ肩を落としているところだ。


 しかし店主はすぐに気を取り直すと、引き出しから一枚の紙を取り出した。


「念のため、予備を印刷しておいてよかった」


 店主はひとりごとを言いながら注文書を書き直し始めた。時任は呆れた表情でその様子を見ている。


「発注ミスはするのに、そういうところは用意周到だな」

「まあまあ、そう言ってやるな」


 店主はスラスラと書類に必要事項を記入していく。注文の個数を記載する段になって、伊倉と時任は身を乗り出して注文書を覗き込んだ。


 店主の手元の動きは淀みなく、スムーズだ。そして、コーヒー豆の個数を書き込む。


 ……100個と。


 さすがの時任も、思わず頭を抱えてしまう。


「阿呆じゃないのか、こいつは。わざとやっているとしか思えない」

「ま、まあまあ」

「こんなもの、放っておいたら週に十回は閉店するだろう」


 時任はギリギリと音がしそうなくらいに、スマートフォンを強く握りしめた。伊倉は遠慮がちに声をかける。


「……どうする?」

「この様子じゃいくら書き直させても一緒だ。ならば、こちらで勝手に書き換える」


 店主が注文書を書き終えて席を外した瞬間、時任が動いた。個数の欄に書かれた「100」という数字を二重線で消し、すぐ横に「10」と書く。


 しばらくして戻ってきた店主は、机の上の注文書を拾い上げた。時任が中身を書き換えたことなど気づくそぶりもない。


 注文書を持っていく店主を見届けながら、時任は乱暴にスマートフォンを叩いた。


「これ以上は、面倒見切れんぞ」

「……そうだな」


 イライラを隠そうともしない時任を横目に、伊倉はやれやれと首を振る。


「どうか、うまくいきますように」


 伊倉はそうつぶやくと、祈るように天を仰いだ。




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