S7−20
“自分の想いは、自分だけが理解できる。
どんな形になってもいいと思うわ。
周りがどう見たとしても、
しっかり見据えていればいい。
思うままに、従うべきね。”
あの時、理解するのが難しかった
橋本先生の言葉を思い出した。
今なら、少し。分かるかもしれない。
形は変わっても。
大事な人であることには、違いない。
この想いは、自分だけが理解できる。
思うままに、従うこと。
自分にウソつかず、正直に。
出会いの話を聞いたお陰なのか。
魔法の言葉が効いたからなのか。
触れないようにしていた重い気持ちが、
少しだけ軽くなった気がした。
それと同時に。
明日の、限られた練習時間まで
待ちきれないほどに。
ピアノが、すごく弾きたくなった。
今なら、緊張することなく。
世界に、浸れそう。
ママ推しのイタリアンは、もう
めちゃくちゃ美味しくて。
食べすぎちゃって、お腹が苦しい。
唱磨くんは、
“これ、バリうまい”って言いながら、
ボロネーゼとマルゲリータを
すごい勢いで頬張っていた。
自分は、“アマトリチャーナ”っていう
トマトのパスタに感動して。
作れるようになったら、
毎日食べたいと思うくらい。
ホテルに帰ってくるまで、ずっと
余韻が残って。笑いっぱなしだった。
食べものの力って、すごい。
橋本先生が、美味しいもので
満たしている気持ちがよく分かる。
人間って、考えることができる分
本能が隠れてしまう。
素直に、なれない。
食べることで、考えることを
停止させるのも。大事なのかもしれない。
食べるという、息抜きが。
的野先生が言う脱力に、繋がるとしたら。
これから先、ピアノと真っ直ぐ
向かい合えそうな気がする。
*
翌朝。
目覚ましのアラームを解除する
一時間前に、夏芽は目を覚ました。
緊張で眠れなかったわけではなく。
ぐっすりと、深く眠れた為だった。
隣のベッドに目を向けると、まだ沙綾は
気持ちよく寝息を立てている。
母親と語り合いながら、
同じ部屋で寝るのは久しぶりだった。
たまにはいいかな、と。彼女は思う。
スマホを手にして画面を開くと、
通知が届いていた。
彼からのメッセージである。
しかも、1分前に。
何だろう、と。
ドキドキしながら、確認する。
《起きとる?》
その一言だけだったが、きゅうっと
胸が苦しくなった。
既読が付いて、もう彼は。
こちらが起きていることに、
気づいているだろう。
なので、敢えて返事をしなかった。
すると、1分後くらい置いて
メッセージが届く。
《少しは眠れた?》
これは、返事するべきかな。
《うん》
短く送ると、すぐに既読が付いた。
それから、しばらく何も
返ってこない時間が続く。
こんなに早く、彼も目を覚ましたのか。
それとも、眠れなかったのか。
どっちにしても。
こうして会話できるのは嬉しい。
隣の部屋に行けば、会える。
でも、その距離は遠く思えた。
彼女は、ドキドキしながら
返事を待つ。




