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「オリビア、ここにいたのか。」
あの三人を見送った後、兄が私を迎えにきた。
「お兄様。」
「探したぞ。こんなところで何をしている?」
兄とは5つ離れている。真面目で人当たりも悪くはないが、少々おっとりしていて気が優しすぎるところがある。今日もだれかのおしゃべりに付き合わされて私を見失ったのだろう。もう少し早く私を探し出してくれればよかったのに。
「ちょっと、沈没していたのよ。」
「そうか。それは大変だったな。」
いつもそんなかんじで私の事を気にしてくれたりしないので別に構わないけれど、どこで沈没したのかとか、どうして沈没したのかとか、もう少し聞いてくれればいいのに。
兄に連れられ舞踏室へ戻ると、ウィリアムが先ほどの愛人とダンスを踊っているのが目に入った。ふたりは見つめ合っている。二人のいたわり合うようなそのまなざしをみて胸が震える。商売客だなんて訳の分からない言い訳をどうしてするのだろう。どうして私がこのような気持ちにならなければいけないのだろう。彼はどうして私との結婚を決めたのだろう。たとえ、彼の家が傾いていたとしても気に入った相手と結婚し、彼が家を立て直せばよいのではないのだろうか。
「どうした?気分が悪いのか?」
すっかり気落ちしてしまい、元気のない私を見てさすがにおかしいと思ったのか、兄が私に聞いてきた。
私は小さくうなずいて家に帰らせてほしいと告げた。
舞踏会をそうそうに切り上げ、家に帰った私は使用人に湯の準備をしてもらった。ドレスを脱ぎ、湯船に体をあずける。なんともいえない舞踏会だった。あのような場面に出くわし庭に飛び出すなんて、私のしたこととは思えない。お辞儀をかわし礼儀正しく話をすべきなのにそれすらもしていない。非常事態だったといえばそうだけど。よくよく考えれば彼の態度もなんだか私を馬鹿にしたものだったわ。私を試すような、あの態度。かといえば私の態度を大笑いして。どういうつもりなのかしら。
ナイトドレスに着替えて髪を整えて、ベットに体を横たえた。きちんとしたドレスを着て舞踏会に出かける日は準備やらなにやらでとても疲れる。まぶたが閉じそうになったとき、そういえば、と思い出す。あの方はまたあとで、とおっしゃっていた、もう家に帰ってきたからしょうがないけど…。うとうとそんな事を思いながら眠りについた。
翌日。
家族で朝食をとる。よく焼いたベーコンにスクランブルエッグ、パン、フルーツ、紅茶。悩み事はすこし脇においておいてしっかりと食事を取る。いつもと同じ日常が私の気分を少し和らげてくれる。まるで昨日の出来事がどこか違う世界の話のようだ。
「オリビア、昨日はウィリアム様もいらしてた?」
お母様は朝から元気だ。そしてその辺の確認も抜かりない。
「ええ、お母様。ご挨拶だけさせていただいたわ。」
「それだけ?他になにかお話しなかったの?」
「ええ、なんだかお忙しそうだったわ。」
「そうでしょうね。ウィリアム様ほどになればご挨拶だけでもお忙しいでしょうから。オリビアがそんな方と結婚するだなんて。本当によかったわ、ねっ、あなた。」
お母様の視線はお父様に移り、お父様は満足げにうなずいている。なんといってもお父様の商才なくしてこの縁談もない。位の高い結婚適齢期の嫡男ともなればひくてあまた。適齢期の娘を抱えた親なら、こぞってなんとか娘を嫁がせようとしている。そのなかで特に容姿もぱっとしない平凡な娘が選ばれたとなれば、お父様もさぞ感慨深いことだろう。
私以外にお相手するご愛人といろいろ忙しそうだったなんて話したらどうなるのかしら。しかも抱き合っていましたなんて…。でもまあ、愛人までいるウィリアム様のような人気のある殿方とご一緒できるなんてあなたも幸せね…といわれるのがおちかしら。
今度は、兄に昨日の舞踏会はどうだったのかとお母様は聞いている。兄はいかにも興味のない顔で当たり障りなく返答している。商才に恵まれた父の後、この兄でこの子爵家は大丈夫なのかしら、といつものように思案していると、執事が父に手紙を持ってきた。そして手紙を読んだ父が言った。
「オリビア、明後日の予定を空けておきなさい。ウィリアム様がお前にご挨拶したいとのことだ。」
「まあ。どうしましょう、忙しくなるわ。」
お母様は満面の笑みでお父様に喜びを伝えている。全身から喜びが溢れ出している様子をみると、まるでお母様が嫁ぐかのようだ。そして、わたしに視線を向け感慨深げにため息をついた。
「オリビア、あなたは本当に幸せ者ですよ。ほんとうによかったわ。」
「…ええ、お母様。」
食事が済んだ後、お母様は早速準備に取りかからなくては、とメイド長を呼び出しあれこれ指示を出している。父と兄は片付けなければいけない仕事があるらしく連れ立って行ってしまった。
明後日、きちんとお行儀よくいられるかしら。
あの方を前にしていやみを言わなくてすむ方法が知りたい。これでも小さいときよりマナーを身につけ、他人を故意に不快にさせないように気遣ってきた。そんな私にこんな感情があっただなんて。けれど当然と言えば当然だ。これから一生をともにしようとする相手にあからさまに愛人を見せられ、黙っているだなんて。いくら私が平凡だからってこのような仕打ちを受ける理由にならない。あくまでもお飾りの奥様をご所望ならばそのような条件で相手を捜せばよいのでは?いえ、もしかして彼はその手の話をいずれするのではないのだろうか。お飾りになってほしいと…。
ベットに体を横たえ、考え事をしているとコン、コン、コンとノックの音がした。
「はい。」
「オリビア、お前に渡したいものがあるんだ。入ってもよいか?」
兄だ。朝食が済んでからお父様と出かけたのかと思っていたのに。そう思ってベットから離れ立ち上がった。
「ええ、大丈夫よ。入って。」
部屋に入った兄はまっすぐに私のところまで歩いてくると、一通の手紙を差し出した。
「これは?」
「お前宛に預かってきた。読んでごらん。」
誰からなのかまったく予想もつかない私は手紙を受け取り、表と裏を確認する。やはり何も書かれていない。兄の顔を見れば、開けてごらんと手紙に視線をおとす。私が手紙を読むまで何も話す気はないらしい。
『明日の午後、お兄様とお出かけ下さい。どなたにも口外しませぬように。 ウィリアム』