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「勘違いだ。」
ウィリアムは私の手を離した後、自らの傍らに咲く薔薇の花を見つめそして触れながらそう言った。
「別にいい訳は結構です。あなたのような方と私では違いすぎることは分かっています。」
私が彼に望む事はもうない。私の理想はささやかなどではなかったのだ。心通じ合い、穏やかに暮らすことなど望んではいけなかったのだ。愛人の存在をむしろ気づけた方がよかったのだ。ウィリアムのような人物にとって私のような平凡な女をだます事など朝飯前で、私にとって彼が心休まる相手になる前に知れてむしろ感謝しなければならない。
愛人と抱き合うウィリアムを知らなければ、きっと私は恋に落ちていたにちがいない。あの優しいまなざしに包まれ手を取られ手の甲にキスを落とされたその場所は今も熱を持っている。けれどその口づけは決して私のためではなく、愛人との関係を滞りなく続けるための作戦にすぎないのだろう。そうではないと言われても、私は疑いを持たなければいけない。そうして彼との間に一つの壁を作ってしまえば、結婚生活はおだやかなものになりうる。理想通りにいかずとも、妥協点を見つけ出せば、すこしはささやかな理想に近づける。そうだ。そうしよう。
「私の言っている意味を君は分かっているのか?」
「えっ?」
うつむき視線を合わせようとしない私を見て私の一つの壁を作ろう大作戦を見破ったのかどうなのか、深くため息をついた彼は、私の手を取りもう一度手の甲にキスをしてこう言った。
「彼女とはなんでもないんだ。本当に。」
「…」
「誰にも言わないと約束するなら、白状してもよいが…。」
「…」
「どうする?」
私の目をみつめ、その返事を待っているウィリアム。
その瞳には、いたずらなまなざしとこちらを試す視線、けれど信用を失いたくないという決意のようなものを感じる。だ、だまされてはいけない。けれど、言い分を聞いてみようと思う私はやはり彼の罠にはまろうとしているのかしら。
「わかりました。どなたにも口外いたしません。」
おやっという表情の後、笑顔になった彼のその瞳の輝きが私に向けられ、その輝きは私の返答によってもたらされたものであるという事実が私の心をくすぐる。恋に落ちてしまいそうな私はやはり、顔と同じで平凡な思考回路なのだ。
「最後の商売客だといえば、どうする?」
「!!!」
しょ、しょ、しょうばいきゃく??
ウィリアムから発せられる台詞を聞き逃すまいと固唾をのんで待っていた私は、おそらく人生においてもっとも目を見開いたに違いない。口をあんぐりとあけ、もはや理解の域を超えてしまった。
商売客だといった?商売って?何が商売なの?愛人ではなくお客様?えっ?どちらが?彼が客?えっ?
「くっくっく…」
目を白黒させ、いまにも沸騰しそうな思考回路をなんとかまとめ上げようとする私の何とも言えない仕草を見てこらえきれなくなった彼は笑い出した。完全に遊ばれている。完全に笑っている、私を見て。
あいかわらず、一言も発せない私を見て、なんとか笑いを収めた彼は、こう言った。
「気に入ったよ、オリビア。君が気に入ったよ。楽しい結婚生活になりそうだ。」
先ほど触れていた薔薇を一輪手折ったと思えば、私に差し出す。
「よろしく願おう、未来の僕の奥様。」
咲き誇る薔薇と庭園をほそぼそと照らす三日月。目の前には容姿端麗の婚約者になる予定の人。やわらかでゆるくウェーブのかかる髪に、表情ゆたかな瞳。改めて見るととても背が高く、私と三十センチはゆうに違うだろう。引き締まった体としゃんとした背筋にはどこか彼のゆるぎない意思が現れているような気がする。ブルーの瞳は、どこかはかなげな憂いさも含んでいるのではないだろうか。かすかに漂うラベンダーの香りは潔さを表しているような気がする。先ほど私の手にくちづけたとき触れた指はとても大きく、けれどしなやかな動きをものともせず、すべての欲望をその手でつかもうとしているに違いない。
こんな彼が、私の婚約者になる予定の方だなんて。
ありえない。ささやかな私の計画では、子爵とはいえどもそこそこ稼いでいるお父様のお見立てで、平凡な私にぴったりな方と結婚。莫大ではなくとも代々引き継がれてきた城があり、また多くは望まなくとも相応の収入があり、領地の小作人とも順調に信頼が築かれていて、ロンドンの社交シーズンではすこし領地を離れるけれども、それ以外の時間は夫婦でのんびりと田舎暮らしが出来て、そのうち跡取りとなる息子とそこそこかわいい娘が出来て、そのうち成人となった息子が跡を取り、その息子がそこそこのご令嬢を娶り、爵位を退いた夫と二人、仲睦まじく孫の成長を見守りながら、人生を終えていく…というはずだったのに。
商売客ってどういうこと?しかも私の様子を見て大爆笑して、よろしくって、いったいどういうこと。
お父様のばか。ばーーかーー。
「ウィリアムーー。」
差し出された薔薇を受けとるべきかどうなのかと薔薇と距離をとりつつ、うおさおしている私を知ってか、知らずか、助け舟がやって来た。こんな場面をうまく乗り切れるはずのない私を知って助けてくださる方がいただなんて。とても有り難いわ。感謝しなければいけないわ。
その声の先を追ってみれば、なんと後見人らしきレディと先ほどの愛人だった。まあ、なんということ。助け舟などという有り難いものではなかった。沈没されかかった船をさらに撃墜する大砲だった。ああ、なんてこと。私はどうすればいいの?修羅場?めっめっめっめっそうもない。抱き合っているシーンが頭のなかでフラッシュバックする。まだ婚約のことは公にされていないはずだから、私は何も関係なくふるまえばいいと思うのだけれど、ウィリアムが今私とふたりっきりというのはまずくはないのかしら?とウィリアムを見れば、彼はすました顔で愛人を見つめている。えっと、なにか私にこうしろとかああしてくれとかなにか指示はないわけ??この泥棒猫とか、なんとかののしられたら私はどうやり返せばいいの?どどどどどうしよう。
「早く来て。」
愛人はウィリアムの側までくると、そっと腕を取り、舞踏会に戻る事を促した。
ウィリアムは、ふう、と一息つくと、手折った薔薇をオリビアに手渡すと、口パクで「またあとで」といい、愛人に寄り添う形で舞踏室へと来た道を戻りはじめる。愛人の後見人らしきレディはオリビアを一瞥した後、その二人の後をついてそっと歩みを始めた。
そしてオリビアは、手折られた薔薇を手に三人の後ろ姿を見送った。




