第6話 白鷺館の九時
白鷺館の玄関には、レインの月給より高そうな花が飾られていた。
「触らないでね」
「触ると分かるものですか、貧しさって」
「花粉。服に付くと取れないの」
ミラの隣で、レインは手を背中へ回した。
競売の目玉は、銀枠の記憶鏡だった。
柄の黒い石を押すと、正面の光景を三十秒間だけ保存する。白い石を押せば、それを何度でも再生できる。百年前の魔道具で、保存できる映像は一つだけ。黒い石で上書きすれば前の映像は消える。
思考も音も記録しない。ただ、光を残す道具だ。
「七年前、聖ラザロ施療院の院長室から回収された品です」
主催者が紹介した。
ミラの手が、赤い襟巻きを握った。
「父の病院」
レインは鏡から彼女へ視線を戻した。
「話せるときに、聞かせてください」
鏡はガラスの箱に入っている。八時の警備開始時に封鎖結晶を設置。館の職員は、その前に展示準備を済ませていた。
午後には枠の補強が行われたという。重い鏡を運ぶため、木製の保護枠を付け直したのだ。
その作業をした錠前師が、まだ壁際にいた。
「ルカです。鏡というより、箱の仕事ですが」
若い男は右手を差し出した。左手は薄い革手袋のまま、工具袋を押さえていた。
「階段の角、釘が出てますよ」
彼がレインの靴へ目を落とす。
「修理したばかりでしょう。もう壊すと泣きます」
レインは礼を言った。ルカは、ミラの徽章を見ると急に丁寧な顔になった。
「鏡の値段は、何で決まるんでしょう」
レインが尋ねると、ルカは展示台へ目をやった。
「誰が欲しがるか」
「性能ではなく?」
「昔の肖像が入っているから欲しい人もいれば、銀が重いから欲しい人もいる。見たくないものを、誰にも見せないために欲しい人も」
ミラが、そこで彼を見た。
「仕事で、そんな客に会うの?」
「鍵を付ける仕事ですからね。閉じておきたいものは、人の数だけあります」
ルカは右手で小さな銅貨を弾いた。指の間へ消し、レインの胸ポケットから出してみせる。
「あなたのポケットは、少し危ない」
「財布なら、そちらにありません」
「賢明だ」
「中身も、ありません」
ルカが笑い、ミラも口元を緩めた。
そのとき、給仕の少女が鏡の箱に触れそうになった。ルカは彼女の手ではなく、盆の端を支えた。
「落とすなら、安いものからね」
少女が、安心したように彼を見上げる。
見知らぬ職人へ向けるには、ずいぶん親しい目だった。
八時四十五分、楽団の演奏が止まった。
給仕の少女が盆を取り落としたのだ。
客の一人が怒鳴る。ルカが床へしゃがみ、割れた皿を拾い始めた。
「弁償なら、私の工賃から。釘の点検を忘れた責任です」
「あなたの責任ではありません」とミラが言う。
「じゃあ、誰にも責任がないことにしませんか。皿は増えないでしょうが」
少女が小さく笑った。
九時の鐘が鳴る。
館の明かりが消えた。
暗闇で、一人だけ拍手をした。
「皆さま。高価なものを見るとき、人は大事なものを見落とします」
天井の灯が一つ点いた。
白い仮面の男が、銀の鏡を掲げていた。




