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ダンジョン遺失物課――その心臓を返せば、持ち主は五年前に死んだことになる  作者: 他力本願寺


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9/30

第9話 真鍋詩織、来訪

真鍋詩織の移管要求書は、対象物より一日早く届いていた。


対象は、前日に排出されたカラオケ端末の履歴データ。


要求書の作成時刻は、その二十三時間前。


「予知能力は危険物審査課の採用条件でしたか」


ねむが時刻を二度確認した。


「手当が付くなら、全員が昨日から知っていたと言う」


相崎は訪問者用面談室のロックを解除した。


真鍋は椅子を使わず、壁際に立っていた。


三十歳。


S級探索者証。


危険物審査課の腕章。


机には何も持ち込んでいない。


机上に遺失物がない面談は、受付記録にも少ない。


現物より先に要求書と当事者が揃う案件は、管轄争いから始まる。


「業務連絡です」


真鍋は挨拶を省いた。


「第12層由来の記録は危険物審査課へ移管。端末の操作履歴、地図、指紋照合結果を渡して」


「根拠条文」


「深層事故記録の二次汚染防止」


相崎は要求書を机へ置いた。


「その条文は、生体毒と呪物が対象だ。カラオケの選曲履歴に感染性があるなら、歓送迎会は全件隔離になる」


真鍋は笑わない。


ねむが照会結果を差し込んだ。


「移管要求の起案元が空欄です。予測警報から自動起案された可能性を調べましたが、警報ログもありません」


排出予測が事前共有されたなら、警報ログが残る。


空の記録が、その説明を退けた。


残るのは、真鍋本人が端末の所在を五年前から知っていた可能性だった。


「端末を見たことがあるんですか」


ねむが訊いた。


真鍋は相崎を見た。


「五年前の装備回収一覧に、未照合の電子機器が一件あった。昨日、排出口の監視値が上がったから要求を出した。それだけ」


「監視値は今朝まで危険物審査課へ共有されていません」


ねむの文が短くなった。


「どこから知りました」


真鍋は答えず、移管受領用の端末を机へ置いた。


相崎は真鍋の靴を見た。


黒い靴底の溝に、白い粉が固着している。


第12層の封鎖材だった。


昨日、危険物審査課から正式な入層者はいない。


ねむは白い粉を簡易分光器へ入れた。


封鎖材だけではない。


黒い粒が二つ混じっている。


第12層北側の通路で、十九時間前に散布された位置標識剤だった。


月例点検で使う白色材とは配合が違う。


真鍋が現場へ行った時刻は、要求書の作成より四十一分前まで絞れた。


位置標識剤のロットは、真鍋が前月に補充申請した一本と一致した。


ただし保管庫から払い出した記録は、個人名の残らない緊急共通アカウント。


本人の靴を現場へ結ぶ一方、単独で入ったことまでは証明しない。


「誰かが靴へ付けた可能性は」


相崎が訊く。


ねむは靴底だけでなく、紐の裏と裾の内側を綿棒で拭った。


同じ黒い粒が、歩行時に下から巻き上がる順序で付いている。


袋から振りかけたなら、紐の表が先に汚れる。


危険物審査課の夜勤記録へ照会を入れると、当直者が音声で答えた。


『真鍋さんは四時過ぎに戻りました。除染室を開けようとしたら、庁舎の埃だから要らないって』


「入層先は聞きましたか」


『聞くな、引継ぎに書くな、と。書かなかったことは、今ここに書きました』


当直者の追記時刻が監査ログへ残る。


真鍋の無許可入層は、彼女の靴だけの主張ではなくなった。


「現場へ行ったのか」


真鍋は靴を隠さなかった。


「月例の安全確認」


「月例記録は」


「提出前」


「入層許可は」


「S級には緊急裁量がある」


緊急を証明する記録はない。


新しい粉は、真鍋が今も第12層へ入り、五年前の何かを監視している可能性を残した。


デンモクの排出を現地で知った。


それなら要求書が一日早い理由になる。


「何を確認している」


「業務上の危険物」


「品目名」


真鍋の口は動かなかった。


ねむが彼女の靴から落ちた粉を採取票へ載せようとした。


真鍋は止めない。


むしろ採取時刻が画面へ記録されるのを見届けていた。


証拠を隠しに来た人間の態度ではない。


相崎に調べさせるため、わざと持ち込んだ可能性が残った。


相崎は五年前の装備回収一覧を開いた。


公開版には、未照合電子機器の記載がない。


真鍋の主張を裏付ける物証は、彼女自身が持つ非公開記録だけだった。


「移管しない」


「あなたに決定権はあるの」


「昨日の決裁で、店への返却と当課での証拠保全が成立している。覆すなら正式な異議を」


「正式」


真鍋はその二文字を、検査するように口にした。


「あなた、まだあの判子を押してるの」


相崎は机上に手を置いたまま動かさなかった。


ねむが二人を交互に見た。


真鍋の要求には、まだ一つ根拠があった。


第12層の地図データは、封鎖区域への経路を示す。


流出すれば探索者が侵入する危険がある。


移管を拒めば、遺失物課の保管設備で深層機密を守る責任を負う。


移管すれば、五年前の事故資料が、相崎の閲覧できない部署へ消える。


四つの判子を使う案件ではなかった。


管轄争いは、物より先に人間を移動させる。


「原本は当課。暗号化複製を危険物審査課へ。閲覧は双方の立会い制にする」


相崎は協議記録へ入力した。


真鍋は受領端末をしまった。


「半分ずつ持てば安全だと思ってる?」


「半分ずつ責任を持つだけだ」


具体的な代償はすぐ出た。


共同閲覧の条件として、真鍋の無許可入層も監査記録へ残る。


彼女の緊急裁量権には仮の停止表示が付いた。


危険物審査課が異議を出せば解除される。


出さなければ、真鍋は第12層へ入れなくなる。


真鍋は停止表示を確認しても、取り消しを求めなかった。


「三日以内に共同閲覧の日程を出して」


「急ぐ理由は」


「深層では、保管しているだけでも状態が変わる」


何を保管しているのかは言わない。


ねむが質問を重ねようとした時、真鍋は面談終了を選んだ。


双方立会いの担当者が決まるまで、デンモクの返却執行は停止。


カラオケ店への保管費補償が一日ずつ増える。


事故記録は残った。


所有者へ物は戻らなかった。


真鍋は退室扉へ向かった。


ねむとすれ違う時、初めて足を止めた。


右耳に触れていたねむの指を見る。


「新人?」


「久住ねむです」


真鍋の呼吸が一度だけ長くなった。


それ以外は変わらない。


扉の外へ出た後、真鍋は相崎だけに届く声で言った。


「あの子、久住さんに似てるわね」


相崎は返事をしなかった。


真鍋の訪問証が失効する。


その証番号は、000001番の旧閲覧履歴に残る立会人番号と一致していた。


冷凍保管庫の低周波音が、面談室の空の椅子を震わせた。

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