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ダンジョン遺失物課――その心臓を返せば、持ち主は五年前に死んだことになる  作者: 他力本願寺


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第29話 真鍋の約束

婚約報告カードは、返却先を二人必要とした。


表には、二つのマグカップと《婚約しました》の活字。


裏には宛名も差出人もない。


真鍋が五年間、潜行服の内ポケットへ入れていたため、角が丸く擦れていた。


「第一種としての持ち主は、あなたです」


ねむが真鍋へ言った。


「預かっていただけ」


「受取人は」


真鍋は相崎の前へカードを置いた。


「この人」


カードはダンジョンから排出された遺失物ではない。


監査開始を受け、真鍋が自分で持ち込んだ物品だった。


「業務窓口で私物を渡す理由は」


相崎が訊く。


「五年前、あさひと約束した」


「内容は」


「相崎に渡すか、処分するか、私が決める」


真鍋は椅子へ座らず、カードの端へ指を置いた。


「私は渡さなかった。あなたが本当に忘れたのか、忘れたことにしたのか、どちらも確認できなかったから」


相崎はカードを見た。


活字の下に、青いペンで日付が書き足されている。


事故の十二日前。


「今は確認できた?」


「確認するのをやめた」


真鍋は指を離した。


「私が持っている限り、あの子の言葉を、あなたを裁く道具にできる。それは約束じゃない」


ねむが受領方法を三つ提示した。


真鍋から相崎への私的譲渡。


遺族であるねむへの遺品返還。


監査証拠としての一時保全。


「証拠価値があります」


ねむはカードを撮影台へ置いた。


「あさひの筆跡、紙、インクについて、汚染されていない対照資料になる。開局時の申請記録や、今後見つかる原本と照合できます」


「監査に預けたら、約束はまた管理局の物になる」


真鍋が言った。


「原本は返却した上で、鑑定データだけ残せます」


「相崎が同意するなら」


二人の視線が相崎へ向いた。


受け取れば、監査の当事者が一次資料を私有する。


拒めば、あさひが真鍋へ残した選択を、もう一度宙吊りにする。


撮影台の監査回線から、外部監査官が原本保全を求めた。


筆跡対照が終わるまで、カードを公証庫へ置く。


期間は最短六か月。


その間、真鍋にも相崎にも返さない。


「所有者は私です」


真鍋が言った。


「預かり物でも、五年間の占有と、本人からの処分権委任がある」


「遺族から異議が出れば、所有権審査になります」


監査官はねむへ確認した。


ねむが遺品返還を主張すれば、私的譲渡は止まる。


カードは家族へ戻る。


監査原本としても残る。


相崎へ渡る道だけが閉じる。


「異議は出しません」


ねむは遺族欄ではなく、監査担当欄へ署名した。


「姉の物だから私へ、とは言いません。ただし、原本を失くした場合の責任は受取人にも記録します」


相崎の前へ、私的受領と証拠保全を兼ねた二枚の書式が出た。


受け取ったあとも、監査終了までは焼却、譲渡、書込みができない。


私物でありながら、自由には扱えない。


「破棄したくなった場合は」


相崎が訊いた。


「私が決める期間は終わる」


真鍋は答えた。


「次は、受け取ったあなたが、捨てたいと記録に残して」


相崎は二枚とも閉じなかった。


相崎は監査用の撮影と非破壊鑑定に同意した。


カードの紙は、開局当時の申請書と同じ製紙ロットだった。


青いインクは、真鍋の日誌控えに残る本人確認署名の一部と一致した。


その署名は申請品目の手前で裂け、名字の最後の一画しか残っていなかった。


カードの筆圧と重ねることで、久住あさひの署名だった可能性が上がる。


ただし、品目欄は復元できない。


「一端だけです」


ねむが鑑定結果へ注記した。


「申請者の照合には使える。何を申請したかの証明には使えない」


「それでいい」


真鍋は言った。


「分からないことまで、あの子に喋らせないで」


カード表面のマグカップは、一つが黒、一つが白だった。


黒い方には砂糖の袋が二本描かれている。


量販店で売られていた既製品で、二人だけの暗号ではない。


それでも相崎の机上には、同じ配置が毎朝残っていた。


「指輪と一緒に撮影された記録があります」


ねむがカード作成時の写真データを見つけた。


工房の注文控えに添付された画像だ。


あさひの左手に、保留中の青い石の指輪がある。


画像の撮影日時は、カードの日付と一致。


製造番号は見えないが、対の刻印と石の台座形状が同じだった。


「指輪の所有者照合にも使います」


「好きにして」


真鍋は言ってから、言い直した。


「監査の範囲で使って。配信素材にはしないで」


ハルの事件を冗談にする声音ではなかった。


ねむは利用目的を監査、原受理ログ照合、所有者確認に限定した。


真鍋が電子署名する。


原本の返却先欄には、相崎悠人と入力された。


「私の決裁ではありません」


相崎が言う。


「知ってる。だから、私が決める」


真鍋は五年間、自分に委ねられていた選択を実行した。


行政の返却可ではない。


友人から、書かれた相手への引渡しだった。


相崎は受領欄へ署名した。


受領と同時に、相崎の個人保管箱へ監査封印が付いた。


カードは相崎の物になる。


監査が終わるまでは、自分だけで開封も処分もできない。


紛失させれば、約束を守れなかったという私事ではなく、証拠保全違反になる。


ねむは封印番号を読み上げた。


相崎も同じ番号を復唱した。


受け取ることだけを感情へ逃がさず、失くした場合の責任まで書類へ残した。


冷凍保管庫の低周波音が、撮影台の脚から伝わってくる。


カードを透明袋へ入れる前に、ねむが裏面を返した。


そこに一行だけ、青い筆跡があった。


《あなたが忘れてくれたなら、私はそれでよかった》


ねむは指輪の非破壊鑑定図を呼び出した。


二本の線のうち、所有者から出る濃い方へカード画像を重ねる。


「この文も、姉から相手へ向いています」


「相手は未照合だ」


「カードの返却先は主任です」


「返却先と、指輪の相手が同一とは限らない」


「だから、今は矢印だけ記録します」


真鍋は相崎の反応を待たなかった。


「約束は終わり」


扉へ向かう足音が、地下三階から遠ざかる。


相崎は決裁印を手に取り、監査用複製の受領欄へ押そうとした。


親指が印面へ触れる。


一周撫でる途中で、止まった。


印は押さなかった。


電子署名で足りる書式だった。


机上には、返されたカードと、半分だけ撫でられた決裁印が残った。


カードの紙繊維から検出された保管用防黴剤は、真鍋の潜行服のものだけだった。


M04の識別粒子は、一つも付いていない。


汚染されていない筆跡対照資料が、ようやく一枚できた。

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