第28話 ねむの家族
ねむの兄は、偽造した入館証を首から下げたまま、地下四階の防火扉に押さえつけられていた。
午前四時十二分。
警備員が片腕を床へ固定し、もう一人が工具袋を遠ざける。
袋から出たのは、ボルトカッター、内視鏡カメラ、三枚の職員証だった。
「動かさないでください」
ねむの兄は、警備員ではなく相崎へ言った。
床に落ちたスマートフォンの画面が点灯している。
地図アプリには、本庁の公開図面にない通路が赤で引かれていた。
終点は第三地下区画十七号室。
「この人物を知っていますか」
警備責任者が訊いた。
相崎は職員証の氏名を確認した。
「職員ではありません」
「そうじゃない。久住さんの兄だ」
課長が階段から下りてきた。
呼吸を整える前に、警備員へ身柄の保全と警察への通報を命じた。
「課長」
「身内だから局内で済ませる、は一番やるな」
兄の手首に拘束具がかかる。
抵抗はしなかった。
「姉を二人とも、そっちに取られた」
兄は床に頬を付けたまま言った。
「一人は死んだことにされて、一人は職員にされた」
相崎は答えず、床のスマートフォンを証拠撮影した。
画面右上に、残り十七分の表示がある。
《B3―17 移設開始まで》。
単なる侵入時刻の計算ではない。
外部から動くカウントダウンだった。
「端末を通信遮断袋へ」
警備責任者が拾い上げる。
表示は袋へ入る直前、十六分五十九秒になった。
兄は地上の警察車両へ移される前に、警備室で所持品確認を受けた。
相崎と課長は、防犯映像の確認者として同席した。
ねむが到着したのは五時一分だった。
短い髪の片側だけが寝ている。
「関係は」
警察官に問われ、ねむは兄を見ずに答えた。
「実兄です」
「侵入の相談を受けていましたか」
「いいえ。姉の記録を調べているとは聞いていました。管理局へ近づかないよう、三度伝えました」
「連絡記録を提出できますか」
「全部出します」
兄が顔を上げた。
「ねむ」
「今は話さない」
「あさひのことだ」
「だから話さない。姉を理由に、侵入をなかったことにはしない」
ねむは右耳へ触れなかった。
警察官から家族引受けの可能性を尋ねられても、職員として捜査へ協力するとだけ答えた。
弁護人の手配先は伝えた。
供述の代わりになる説明はしなかった。
兄の工具袋から、写真が二十七枚見つかった。
M04アーカイブズの搬送車。
本庁裏口へ入る時刻。
空で出た車が、二時間後に別の倉庫へ着く様子。
撮影日は過去四か月に分散している。
「尾行したのか」
相崎が訊いた。
「最初は、姉の遺品を売ってると思った」
兄は言った。
「配信で、五年前の事故班の持ち物が映った。削除される前に番号を控えた。B3―17だった」
「どの持ち物」
「写真の端だけだ。誰の物かは分からない」
品目を知らずに、番号を追った。
M04の作業員が使う入館証を、闇市場から購入した。
残る二枚は、廃棄された職員証から認証部品を移したものだった。
「扉の場所は、どう知った」
「売ったやつが地図も寄越した」
「連絡先は」
「消えた。送金先は残ってる」
兄の供述は、犯罪の手段で得た情報だった。
それだけで監査証拠にはできない。
だが、防犯映像には、偽造証で第一、第二の扉を通過する様子が残っていた。
廃止済みの認証番号が、現在も有効だった。
誰かが外部侵入のためではなく、日常の搬送に使い続けている。
「三枚目で止まった理由は」
ねむが警備ログを見た。
「十七号室だけ、二人分の同時認証が必要だった」
兄は答えた。
「一枚は創設責任者。もう一枚は決裁担当」
相崎の職員番号が、偽造証の候補データに入っていた。
印影だけでなく、入室権限も複製対象にされている。
課長が壁へ手をついた。
「俺の番号は、通ったのか」
「通った」
「五年前の権限が生きてる」
課長は警備責任者へ、十七号室周辺の物理封鎖を命じた。
命令を入力すると、端末に《対象施設なし》と表示された。
存在しない部屋は、封鎖もできない。
兄のスマートフォンは警察の証拠品となった。
カウントダウンの発信元保全を依頼し、監査側には防犯映像と認証ログだけを複製する。
兄の犯罪と、管理局の不正を一つの書類で相殺しない。
警察官に連れられる直前、兄はねむへ言った。
「お前まで、あいつらの側に行くな」
「私は私の側にいる」
ねむは答えた。
「あなたのために嘘はつかない。姉のためにも」
自動扉が閉じ、兄の姿が見えなくなる。
地上へ向かうエレベーターの表示が、一階で止まった。
地下三階へ戻ると、冷凍保管庫の低周波音だけが通常時刻を守っていた。
ねむは兄との連絡履歴を監査フォルダへ移し、家族関係者としての利益相反申告を作った。
「担当を外れますか」
相崎が訊く。
「兄の侵入事件からは外れます。倉庫監査は、家族だからではなく担当職員として続けたいです」
「理由欄は」
「証拠の発見者ではない。侵入を事前に知らない。必要なら外部監査の監督を受ける」
ねむは申告書を送信した。
送信から三秒で、ねむの画面から兄の押収品一覧が消えた。
写真二十七枚も、偽造証の購入記録も、閲覧には外部監査官の立会いが必要になる。
兄が残した地図の赤い線だけが、灰色の枠へ変わった。
「今なら申告を撤回できます」
相崎が取消猶予を指した。
撤回すれば、ねむはカウントダウンの発信元を自分で追える。
その代わり、兄から得た証拠を家族である自分が選別する。
「撤回しません」
ねむは端末を閉じた。
自分が最も早く調べられる理由を、自分を担当に残す理由にはしなかった。
次に開いたのは、外部監督を受けるための閲覧予約だった。
最短時刻は正午。
兄の画面が示した移設開始時刻は、もう過ぎている。
ねむは次の七時間、押収品を自分で確かめられない。
それから、空の証拠品トレイを二人の机の間へ置いた。
「私、姉の代わりじゃありません」
相崎はコーヒーの袋を開けた。
「それでも、隣に居ていいですか」
相崎は黒い液体へ砂糖を一本沈めた。
二本目も、同じ場所へ落とした。
ねむは返事を催促せず、自分の椅子を机へ戻した。
午前五時二十九分。
警察が遮断袋を開けた時、カウントダウンはゼロで止まり、《移設開始》へ変わっていた。




