第17話 八重樫の古文書
江戸時代の失せ物帳に、二〇二一年の受付印があった。
虫食いの和紙を綴じた帳面の中ほど。
墨で書かれた人名の脇に、現行制度と同じ長方形の赤い枠が押されている。
印影の上半分は欠けていた。
読めるのは〈受付〉と、姓の最初らしい〈蔵〉だけだった。
「第一種、国立歴史民俗博物館の収蔵品です」
ねむが所有照合票を出した。
「展示替え中に消失。今朝、第一ダンジョン第四層から排出。博物館は即時返却を求めています」
「返す前に、現代人が落書きした理由を調べる」
相崎は赤い枠へ拡大鏡を置いた。
「落書きとは手厳しい」
遺失物課の扉から八重樫が入ってきた。
よれたジャケットの内ポケットから、白い手袋が左右別々に出てくる。
「文化財への行政印は、だいたい落書きより消しにくいですよ」
「学術調査部の閲覧申請は」
「三日前に出しました。承認予定日は来月です」
「予定どおり待て」
「帳面の方が待たずに地下へ来ました」
課長が八重樫の後ろから紙を一枚差し出した。
臨時閲覧許可だった。
「俺の印だ。今度は消えてない」
課長はそれだけ言い、扉を閉めた。
八重樫は帳面の文字を一行ずつ読んだ。
金子、煙管、帯留め。
一般的な落とし物の間に、形のない品目が混じっている。
〈亡父への恨み〉
〈妻の顔を思い出せぬこと〉
〈隣家との絶交〉
右端には、返す、預かる、焼く、申し立てを聞く、に相当する処置が墨で記録されていた。
「現代の四決裁に似ています」
ねむが言った。
「似すぎています」
八重樫は綴じ糸を見た。
前半と後半で糸の撚りが違う。
赤い受付印のある一丁だけ、和紙も薄い。
繊維検査をすると、紙そのものは江戸後期。
墨も同時代。
赤い顔料だけが二〇二一年以降に管理局で使われたものだった。
博物館の保存担当を画面へ呼ぶと、白衣の女が開口一番、照明を落とすよう求めた。
『その頁は、来月から修復展示へ出す予定でした。調査は必要です。でも、必要という言葉で和紙の寿命は延びません』
「二〇二一年に別の古紙を差し込んだ可能性は」
ねむが訊いた。
保存担当は、隣り合う三丁の虫穴を画像で重ねた。
穴の縁は同じ虫食いの道を連続している。
受付印のある一丁だけ後から挟んだなら、三枚を貫く曲線は繋がらない。
「では、印影だけを別紙から転写した可能性」
八重樫が赤い枠へ斜光を当てた。
顔料は和紙の表から裏へ毛細管状に浸透している。
転写なら潰れるはずの繊維が、印面の圧力で四か所だけ沈んでいた。
古い一丁へ、二〇二一年に現物の印を押した。
紙の時代と印の時代を、どちらかの鑑定誤りで片づける余地はなくなった。
「古文書を参考に制度を作ったのか」
相崎が訊いた。
「逆かもしれません」
八重樫は受付印の下を指した。
肉眼では見えない針穴が四つ並んでいる。
現行の遺失物ラベルを一時固定する穴と同じ間隔だった。
「制度を作った誰かが、古文書へ現行ラベルを載せ、起源が昔からあったように見せた」
「国家に長い伝統があると、説明会の資料が一枚減ります」
相崎は言った。
「由緒は予算要求に便利ですからね」
八重樫は笑わずにページをめくった。
帳面の末尾に、二〇二一年の鉛筆書きがある。
〈第一号、受理済。決裁者は別〉
文字の一部は消しゴムで擦られていた。
ねむが画像強調をかける。
受理時刻は十七時五十一分。
現行の遺失物課が正式運用を始めた初日だった。
「000001番」
ねむが小さく読んだ。
品目も申請者も、古文書には書かれていない。
受付印だけが〈蔵〉で始まり、決裁者は別、とある。
「主任が最初に受け付けた案件ではない?」
「この記録が正しければ」
相崎は言った。
「では、誰が」
八重樫が受付印へ透明シートを重ねた。
創設準備室の印鑑台帳と照合するという。
だが台帳の該当ページは、三年前に保存期限満了で廃棄されていた。
廃棄承認者は不明。
記録上、古文書はその同じ日に博物館へ返還されている。
なぜ第一号案件の受付に使われた帳面が、博物館へ戻ったのか。
なぜ五年後、再びダンジョンから出たのか。
「博物館の返却要求と矛盾する証言があります」
ねむが展示担当者の聴取記録を開いた。
帳面が消える前日、管理局の職員を名乗る人物が収蔵庫へ来ている。
目的は〈制度史調査〉。
入館証の番号は偽造。
監視映像では顔が白く飛び、所属章だけが映っていた。
旧式の遺失物課章だった。
第一則で学芸員が不要としたのではない。
誰かが持ち出し、第一ダンジョンへ入れた可能性が高い。
それでも第二則で排出された判定主体は、博物館だった。
収蔵品管理システムが欠落を検出し続け、返還要求を自動送信している。
組織の欲求をダンジョンが拾った事例になる。
「物証は保存しました」
ねむが受付印、針穴、鉛筆書き、監視映像を監査領域へ複写した。
「現物を国に保留すれば、博物館の展示と研究を止めます」
「返せば、こちらは原本を失う」
「複写の真正証明を博物館にも付けてもらいます。双方で持てば、一方だけでは消せません」
相崎は返却可を選んだ。
文化財を制度の秘密ごと抱え込めば、国家による二度目の持ち出しになる。
相崎は帳面の返却欄へ押した。
返却通知と同時に、博物館は次期展示の中止を決めた。
帳面は戻るが、偽造入館の捜査が終わるまで収蔵庫から出せない。
保存担当から、貸出中止の受領書が届いた。
共同展示を予定していた地方館への違約金と、研究助成の成果公開延期が記載されている。
既に刷った展示目録三千部には、公開中止の訂正紙を挟むことになった。
返却送料は国が負担する。
中止費用の負担先は、空欄のままだった。
原本を返したことと、見せられる状態で返したことは別だった。
失せ物帳は、再び誰にも見られない場所へ返される。
八重樫は扉の前で振り返った。
「相崎主任」
古文書の複写を丸めず、両手で持っている。
「あなたは第一号の決裁者だったかもしれない。ですが、初代担当は、あなたではなかったはずです」
相崎は机の引き出しを閉めた。
中で白いラベルの端が、金属に触れる音がした。
誰が最初に受け取ったのか。
複合機の排熱が止まったあとも、その問いだけが地下三階に残った。




