第13話 手紙、宛先は未来
封筒は、五年早く届いた。
表には「十年後の自分へ」。
裏には二〇二一年の日付と、相崎悠人の署名がある。
「筆跡照合、九八・七パーセントで一致しました」
ねむは検査結果を机の中央へ置いた。
「紙は五年前、事故対策本部で配られていた公用便箋。インクも同時期の油性顔料です。後から作られたものではありません」
茶封筒は透明な保全袋に入っていた。
乾いた泥が角へ詰まり、封緘部分だけが新しい。
昨夜、第12ダンジョン浅層の排出口から出た。
所有者照合は相崎。
返却要求も、システム上は所有者本人となっている。
「申請した覚えは」
ねむが訊いた。
「ない」
「昨夜二時十四分、旧探索者証の生体鍵で受領意思が登録されています」
相崎の探索者資格は五年前に失効している。
失効した証明書で、現行システムへ申請はできない。
ねむは自分で三度試し、三度とも認証を拒否された記録を添えていた。
「機械が過去の資格を懐かしんだか」
相崎は封筒を裏返した。
「情報システム課に送れば、仕様ですと返ってきます」
「では、こちらも仕様として保留するか」
「まだ中身を確認していません」
ねむは封筒の封緘を指した。
糊ではない。
薄い透明膜が紙の繊維へ入り込み、開け口を一枚に融着している。
ダンジョンで時間指定を受けた郵便物に生じる封印だった。
指定日より前に開けば、内容の一部が失われる可能性がある。
だが検疫画像では、便箋に一行しか書かれていなかった。
「非破壊読取の結果です」
ねむが画面を回した。
自分を許すな。
それだけだった。
地下三階の照明が、一度瞬いた。
換気口から流れた風が、保全袋の表面に細かな波を作った。
相崎は画面を消した。
「十年後なら二〇三一年だ。返却期限前」
「第二則は期限を読みません。当人がもう一度欲しがったかどうかです」
「俺は欲しがっていない」
「第三則なら、あなた以外が欲しがった可能性があります」
ねむは申請ログを拡大した。
認証に使われた旧探索者証の番号は、相崎のものと一致する。
ただし発信場所は存在しない。
緯度と経度がともにゼロ。
「偽装申請なら、誰かが主任の旧証明書を複製しています」
「ダンジョンが申請者なら、座標を持たない」
「どちらでも、返却には危険があります」
ねむは旧探索者証の所在確認を求めた。
資格を失効した職員の証明書は、磁気部分を切断して人事保管庫へ移す。
二人は茶封筒を監視カメラの下へ残し、地下二階の資格管理室へ上がった。
相崎の旧証明書は、封印袋の中にあった。
右上から斜めに切られ、顔写真と生体チップが別々になっている。
袋の開封履歴はゼロ。
「物理カードの複製ではありません」
ねむは読み取り機へ切断片を近づけた。
認証拒否。
昨夜の申請ログと同じ番号は返るが、発信鍵が違う。
人事の鍵でも、探索者時代の鍵でもない。
資格管理室の担当者がログ仕様書を調べた。
〈本人申請〉には二種類ある。
職員が認証したもの。
ダンジョン側の所有者照合で、生体の輪郭が本人と一致したもの。
画面表示は同じだった。
「座標ゼロは後者です」
担当者が言った。
「申請者が操作した記録ではありません。排出物が、相崎さんを受取人として指した」
誰かが旧証明書を盗んだという仮説は消えた。
残るのは、封筒自身か、別の判定主体が相崎への返却を要求した可能性だった。
「表示が同じでは、職員が誤認します」
ねむが仕様書へ付箋を貼った。
「改修要求は情報システム課へ」
担当者は言った。
「優先度は」
「次期更改です」
次期が何年かは答えなかった。
地下三階へ戻る間に、便箋の末尾はさらに〇・二パーセント薄くなった。
移動そのものが、手紙の残り時間を使っている。
ねむは保管方法を三つ比較した。
常温、冷蔵、ダンジョン遮断容器。
遮断容器に入れた十秒だけ、文字の劣化が止まった。
同時に封筒の宛名も薄くなった。
時間を止めれば、誰宛ての手紙かまで失う可能性がある。
「保存は、現状維持ではありません」
ねむは試験結果を決裁資料へ加えた。
「どの方法でも、何かが減ります」
ねむは便箋の透過画像を二枚並べた。
一枚目は排出直後、二枚目は今朝の再検査。
文字の黒さが違う。
六時間で、末尾の「な」だけが薄くなっていた。
封筒は閉じたまま、内容が失われ始めている。
保管すれば原文が消える。
返却して開封すれば、五年早く書かれた命令だけが相崎へ残る。
「処分なら」
相崎が訊いた。
「読むかどうかを決めずに、命令ごと消せます」
「異議申立ての相手は」
「五年前のあなたです」
ねむの端末に、利益相反の警告が出た。
所有者と決裁担当者が同一。
現行規程なら担当変更が必要になる。
しかし画面下部には、旧制度帳票のため自動変更対象外、と表示されていた。
自動で外れないだけで、現行規程の利益相反が消えるわけではない。
「よくできた窓口ですね」
ねむが言った。
「相談者と審査官が同じなら、面談予約が一枠で済みます」
「予算削減の模範例だ」
ねむは手動の担当変更を起案した。
課長が内線画面へ出るまで、三分かかった。
「持ち主には希望を言わせろ。決裁は俺へ回せ」
「課長も五年前の制度担当者です」
「この手紙の持ち主ではない。異議があるなら、その記録も付けろ」
ねむは課長の関与歴を添付し、暫定決裁者として登録した。
相崎の画面から四つの決裁欄が消え、代わりに所有者意向の欄が開いた。
「開封しない。二〇三一年まで保全」
「文字が消えます」
「消える速度を記録しろ。消失も内容の一部だ」
「受け取らない理由は」
「期限前」
ねむの指が止まった。
「それだけですか」
相崎は封筒の「十年後」を見た。
紙の上では、あと五年ある。
「行政は、早く届いた郵便を急いで読むための制度じゃない」
ねむは所有者意向を、そのまま決裁理由にはしなかった。
〈所有者受領拒否。指定期日未到来。内容劣化を含め継続観測〉
担当者利益相反の申告と、課長の関与歴に対する留保意見も付けた。
送信と同時に、相崎の端末から当該案件の閲覧権限が外れた。
保留を希望した本人は、次の審査まで自分の手紙を見られない。
ねむの画面にだけ、文字濃度の観測窓が残った。
「保留は、見ないで済む決裁ではありません」
ねむが保全袋を持ち上げた。
「私が、消えるところまで記録します」
課長の電子承認が届いた。
保留理由には相崎の希望だけでなく、指定期日、文字劣化、申請経路不明の三項目が並んでいた。
自分の手紙を自分で決める欄は、最後まで相崎の画面へ戻らなかった。
保全袋が第三保管庫へ運ばれたあと、ねむの端末が小さく通知を出した。
便箋の文字濃度、前回比マイナス一パーセント。
十年後まで、残り五年。
手紙の方には、それほど時間が残っていなかった。




