第11話 葛西の追跡
葛西は、第12ダンジョンの資料保管区画へ無許可で入った。
警備員に拘束される直前、抱えていた書類だけが浅層の排出口から先に出て、遺失物課へ送られてきた。
本人は今朝、事情聴取を終えた足で地下三階まで来た。
書類の一枚は、前日の心臓審査で確認した《公開五名、物証六人分》を、別系統から裏付ける装備貸出票だった。
公開編成表の罫線は、六人目だけが初めからいなかったように作り直されている。
「違う」
面談机の向こうで、葛西が左胸を押さえた。
「俺と、あの四人と、班長だ」
「班長の氏名は」
ねむが訊いた。
葛西は相崎を見た。
「目の前にいる」
相崎は公開編成表を机へ戻した。
「この表に俺の名前はない」
「だから、記録の方を追ってきた」
葛西の頬から顎にかけて無精髭が伸び、作業着の袖には乾いた泥がついている。
公開事故記録では死亡四名、生還一名。
初報時には五名全員が死亡扱いで、葛西が四十七分後に蘇生しても《全滅事故》の名だけが残った。
葛西が別の紙束を押し出した。
情報開示請求の回答、当時の装備貸出票、救助隊の活動記録、保険会社からの照会書。
どの紙にも赤い不開示部分がある。
「返却要求は二つだ」
葛西が言った。
「この書類を返せ。心臓も返せ」
「後者は継続審査中です」
ねむは声を変えずに答えた。
「前回の保留決裁に対する異議申立ても、医学審査が終わっていません」
「医学で説明できるなら、心臓がない俺が五年も働けるわけがない」
葛西の胸元で、作業着の布だけが一定の間隔で動いていた。
脈を数えるには速く、呼吸と呼ぶには浅い。
相崎は装備貸出票を抜き出した。
「久住さん。公開編成表と照合」
「済ませています。数が合いません」
ねむが二枚の紙を並べた。
「数は前回審査の物証と一致します。問題は、六人目の受領番号です」
ねむが六組分の欄を示した。
相崎は貸出票を照明へ透かした。
六人目の受領番号だけ、数字の輪郭が荒い。
上から複写したのではなく、下の原票から圧力で転写された文字だった。
「これ、コピーじゃありません」
ねむが席を立ち、廊下の複合機から感圧照明板を持ってきた。
管理局の備品票は三枚複写になっている。
一枚目が装備庫、二枚目が探索班、三枚目が監査保管。
葛西が持ち出したのは、二枚目だった。
斜光を当てると、消えた受領番号の隣に筆圧だけが残った。
英字一字と、数字六桁。
「職員番号です」
ねむが端末へ入力した。
画面は一度検索中になり、すぐ灰色へ変わった。
該当者なし。
「退職者ですか」
「退職なら履歴が残る」
相崎は答えた。
「該当者なしは、番号が存在しなかった場合か、記録単位で切り離された場合だけだ」
「人間一人を、書式から切り離せるのか」
葛西が訊いた。
「役所は人を消さない」
相崎は照明板の電源を切った。
「行を非表示にするだけだ」
葛西の口元が一度だけ曲がった。
笑いにはならなかった。
ねむは端末の監査履歴へ進んだ。
公開編成表は事故の十一日後に差し替えられている。
変更理由は「重複登録の整理」。
承認者欄は黒く塗られ、移管先には三桁の数字だけが残っていた。
「主任」
ねむが相崎へ画面を向けた。
「あなたの当時の職員番号と、圧痕の桁数が同じです」
「職員番号は全員同じ桁数だ」
「では、事故当日のことを」
葛西が身を乗り出した。
「俺はなぜ心臓を置いてきた。六人目は誰だった。あんたは、どこから地上へ戻った」
冷凍保管庫の圧縮機が切り替わった。
低い振動が面談机の脚を伝い、透明袋の端を細かく動かした。
相崎は動いた袋を指で押さえた。
「当時のことは覚えていない」
葛西の椅子が後ろへずれた。
「便利だな」
「診断書も公開記録に含まれています」
「公開記録を調べて、公開記録が嘘だと分かったところだ」
葛西は立ち上がった。
ねむが扉と葛西の間へ移る。
両手は下げたままだったが、職員証の非常ボタンへ親指を置いている。
「書類の返却前に確認します」
ねむは言った。
「この資料を受領すると、あなたが提出している生還者給付の資格が再審査に入ります。申請者自身が公式記録と矛盾する資料を所持し、その真正を主張したことになるためです」
「金を止めるぞ、って?」
「止まる可能性を、先に通知しています」
「止めろ」
葛西は座り直した。
「心臓まで預けて、国から正しい記録ひとつ買えない方が高くつく」
相崎は返却書式を開いた。
書類そのものは葛西の所持品であり、違法侵入の証拠として警備部が複写を確保している。
ここで保留する理由はない。
「第一種、返却可。事故記録の異議申立ては別件で継続」
ねむが受領端末を葛西へ渡した。
葛西が署名すると、端末上部の表示が緑から黄へ変わった。
〈生還者給付・確認中〉
支給停止の予告日が、その場で三十日後に設定された。
「再審査中の生活保護特例を案内します」
ねむが別画面を出した。
申請には、事故資料の真正を自分で立証する理由書が必要だった。
記録の誤りを訴えた本人が、記録を直すまでの生活費まで説明しなければならない。
葛西は案内を自分の端末へ送り、画面を閉じた。
「使うかどうかは、心臓より後に決める」
返却は、葛西へ真実だけを返さなかった。
生活費の期限も一緒に返した。
相崎は返却書へ押し、事故原本の閲覧条件を追記した。
葛西が資料を鞄へ入れた拍子に、一枚の写真が床へ落ちた。
五年前のギルド前を写した粗い画像だった。
端に、焦点の合っていない人物が半身だけ写っている。
相崎は拾わなかった。
ねむが写真を証拠袋へ入れ、人物の右手を拡大した。
「主任。この指輪をした人は、誰ですか」
相崎は二枚目の継続審査票を引き寄せた。
回答欄は空けたまま、印面を朱肉へ置いた。




