【第6話】 初めての『ご近所づきあい』と、幻のドッグラン
コカトリスの極上唐揚げを堪能した翌日。
またしてもノアの「お手柄」により、我が家の領地はさらに周囲5メートル広がった。
「ルリさん、新しく手に入ったこの南側のエリアなんだけどさ」
「はっ、開拓のご指示でしょうか、主殿!」
朝一番、いつものように直立不動でスタンバイしているルリに、俺は畑の図面を見せながら提案した。
「いや、ここは野菜を植えるんじゃなくて、全面に芝生を植えてノア専用の『ドッグラン』にしようと思うんだ。やっぱり犬は思いっきり走り回れる場所があった方がストレス解消になるからね」
「どっぐらん……。魔王様が広大な聖域を縦横無尽に駆け巡り、その覇気を滾らせるための『練兵場』ですね! 承知いたしました、直ちに整地いたします!」
(いや、ただノアが遊ぶための広場なんだけどな……)
相変わらずのミリタリーな解釈に内心でツッコミを入れつつ、俺たちは作業に取りかかった。
ルリがその圧倒的な怪力で、新エリアのゴツゴツした岩や不要な雑草を瞬く間に撤去していく。俺はその後に続いて、神様から貰った【栽培】の生活スキルを使い、地面に満遍なく特製のふかふかな芝生の種を撒いていった。
「わふんっ! わふんっ!」
完成間近の芝生の上を、ノアはすでに楽しそうにお尻をフリフリさせながら跳ね回っている。
まだ子犬なのに、走る速度が時速100キロくらい出ているような残像が見える気がするが……気のせいだろう。楽しそうだから何よりだ。
そんなのどかな開拓風景の真っ最中、菜園のフェンスの向こう側から、おずおずとした声が響いた。
「あの……失礼いたします。山の神様、いらっしゃいますでしょうか……?」
声のした方を振り向くと、そこには昨日逃げ帰ったはずの革鎧の村人と、その隣に、立派な髭を蓄えた、仕立ての良さそうなローブを着た老人が立っていた。二人とも、生まれたての小鹿のようにガタガタと膝を震わせている。
「あ、昨日の回覧板の人だ。こんにちは!」
俺が笑顔でフェンスに近づくと、二人は「ヒィッ!」と短い悲鳴を上げ、揃って地面にドサッと五体投地した。泥に頭を擦り付けるスピードが昨日より洗練されている。
老人の正体は、この最果ての森の麓にある開拓村の『村長』だった。
昨日、村人が持ち帰った「竜人族の戦士と、魔王らしき黒獣を従える絶対神が森の奥にいる」という、にわかには信じ難い報告を受け、村の存亡を賭けて直接の挨拶(という名の命乞い)にやってきたのだ。
村長の脳内は、すでに恐怖と緊張で破裂寸前だった。
(お、恐ろしや……! 報告は真実、いやそれ以上だ……! わずか一晩で、あの禍々しいコカトリスの群れの気配が完全に消滅しておる……。そればかりか、神聖なる結界がさらに森の奥へと押し広げられ、そこに見えるは……神界の絨毯(※ただの芝生です)ではないか……っ!)
さらに村長は、その芝生の上を、凄まじい神速の残像を残しながら駆け回っている黒柴の子犬を見て、完全に魂が抜けかけた。
(あ、あれが世界を滅ぼすと予言された【魔王様】……っ! なんという恐るべき神速、目でおうことすらできん。あの御方を『よしよし』と笑顔で呼び戻すあの若者こそ、世界の理を書き換える真の支配者……!)
「あの、お二人とも、そんな泥だらけのところで平伏してないで、顔を上げてください。何か御用ですか?」
陣ができるだけ優しく声をかけるが、村長にとっては『逆らえば一瞬で村が消滅する神託』にしか聞こえない。
「と、突然の御訪問、大変失礼いたします……っ!」
村長は震える手で、大切そうに抱えていた木箱をフェンスの隙間から差し出した。
「我が開拓村を代表し、新たなる山の主様へ、日頃の非礼をお詫びすべく『貢ぎ物』を持参いたしました……! 村の特産である【極上の塩】にございます! どうか、どうか我が村をお見捨てなきよう……!」
「えっ、お塩ですか? わあ、ちょうど切らしそうだったから助かります!」
陣が嬉しそうに受け取ると、村長は「受け入れられた……! 村は滅ぼされずに済んだのだ……!」と、感動のあまりボロ泣きし始めた。
「こっちの人間って、本当に親切だけど涙もろいんだなぁ」
陣が感心していると、ルリが背後から感動に満ちた声を漏らした。
「(な、なんと……。一歩も動かずして、周辺の領民たちを完全に心服させ、塩の専売権(貢ぎ物)まで手に入れられるとは……! さすがは主殿、これぞ血を流さない絶対的な統治術……っ!)」
ルリの目が、尊敬の念でさらにギラギラと輝き出す。
「あの、これ、昨日のお礼です。うちの畑で採れたてのトマトなんですけど、よかったら皆さんで食べてください」
陣が手渡したのは、【栽培】スキルで最高に瑞々しく育った真っ赤な大玉トマトだった。
それを見た村長と村人は、「し、神の御神体をいただけるというのか……!?」と、再びヒィヒィと言いながらトマトを宝物のように抱え、
「ありがたき幸せにございますぅぅぅ!!」
と、脱兎のごとき勢いで、またしても砂煙を上げながら森の奥へと走り去っていった。
「……また走って帰っちゃった。本当にせっかちなご近所さんだなあ」
「ふんっ!」
腕の中のノアが、不思議そうに首を傾げる。
こうして、陣の全く知らないところで、最果ての菜園とふもとの開拓村との間に、奇妙極まりない『ご近所づきあい』の第一歩が踏み出された。
貰った極上の塩を使って、今夜はどんな美味しい料理を作ろうか――陣がそんなのんきなことを考えている間、麓の村では、持ち帰られた「神のトマト」を巡って、村長たちが再び大パニックになるのだが……それはまた、別のお話である。




