【第5話】 『レシピ本』の攻略と、魔王様の「お座り」
昨日、怯える村人から(なぜか)もたらされた、この森の危険魔獣リスト――通称『回覧板』。
朝の農作業を終えた俺は、ログハウスのテラスでその板切れを真剣に見つめていた。
「ふむ……ルリさん、これを見てくれ」
「はっ、御用命でしょうか、主殿!」
クワを磨いていたルリが、瞬時に直立不動の姿勢をとる。
「この『コカトリス』っていう大きなニワトリみたいな魔獣なんだけどさ。警戒情報に『非常に凶暴、鋭いクチバシと蹴爪に注意』ってある一方で、ギルドの補足欄に『肉質は非常にジューシーで、特にモモ肉は極上の地鶏に匹敵する』って書いてあるんだよ」
「コ、コカトリス……! 確かに奴らは、石化の邪眼と猛毒の爪を持つ危険な魔鳥。一時期は我が一族の若手でも手を焼くほどの――」
「よし、今夜は唐揚げ(からあげ)にしよう」
「――は?」
ルリが間の抜けた声を上げたが、俺の頭の中はすでに、カラッと揚がった黄金色の唐揚げと、冷えた麦茶のことでいっぱいだった。家庭菜園の新鮮なサニーレタスを添えたら最高に違いない。
「幸い、回覧板のマップによると、うちの畑から少し南に下った川沿いが縄張りらしい。畑を荒らされる前に、こちらから『収穫』に行こう」
「し、収穫……。なるほど、災厄の魔鳥すらも、主殿にとってはただの『実り』に過ぎないのですね。畏れ入りました……!」
(いや、ただの食材調達なんだけどな……)
相変わらずのルリの重々しい反応をスルーしつつ、俺は立ち上がった。足元では、ノアが「お出かけ?」と首を傾げて、嬉しそうに尻尾を振っている。
「ノア、お前もお留守番は退屈だろ? 一緒に行こうか」
「わふんっ!」
少し歩き、菜園のフェンスから外に出た森の奥。
せせらぎが聞こえる川の手前で、俺たちは身を潜めていた。
「ルリさん、ドッグトレーナーの基本は『相手の行動パターンの予測』です。まずはこれを使って、あいつらを誘き寄せる」
俺はポケットから、神様から貰った【食品加工】の生活スキルで、昨日収穫した小麦の殻を香ばしく炒っておいた『特製の炒り糠』を取り出した。地面にパラパラと撒くと、穀物の良い匂いが周囲に漂う。
「(な、なんと……! 魔術の触媒もなしに、あの香りのみで魔鳥を惑わす禁忌の誘引剤を仕込まれていたとは……っ!)」
ルリが物陰で冷や汗を流しながら感動していると、森の奥から「コケェェェーーッ!」と、およそニワトリとは思えない重低音の鳴き声が響いた。
現れたのは、ダチョウほどもある巨体に、色鮮やかな羽毛、もちろん見事なモモ肉(候補)をした魔鳥――コカトリスだ。
コカトリスは地面の餌を見つけると、狂ったように突っ込んできた。
「主殿、危ない! 奴の眼光を見たら石化して――」
「よし、ノア」
ルリが飛び出そうとしたのを手で制し、俺は腕の中のノアを地面に下ろした。
散歩のついでに、ちょっとした「しつけ」の応用だ。
「ノア、あそこにいる大きな鳥さんに、ご挨拶だ。――『お座り』」
「わんっ!」
ノアはトトッと前に出ると、コカトリスの真正面で、お尻を地面につけてピシッと綺麗に「お座り」をした。
ただ、それだけだった。
しかし、その瞬間。
ノアの小さな身体から、昨日よりもさらにピンポイントに絞られた、純度100%の『魔王の覇気』が、コカトリスだけに向けて放たれた。
「――ピギャッ!?」
突進していたコカトリスは、目に見えない巨大な壁に激突したかのように、その場で急ブレーキをかけた。
赤い瞳が恐怖で限界まで見開かれ、全身の羽毛が逆立つ。
彼らにとって、ノアの「お座り」は、世界そのものが陥没するような絶望の質量を持っていた。
コカトリスはガタガタと震え、泡を吹いてその場にバタリと倒れ伏した。完全に気絶している。
ピピッ。
『害獣の無力化を確認。領地がさらに周囲5メートル拡張可能です』
「お、また気絶した。やっぱりこっちの鳥もメンタルが弱いな。ノアがちゃんとお座りして、お利口に威嚇してくれたから驚いちゃったんだね。よしよし、お利口さんだ!」
「きゅ~ん!」
俺がノアを抱き上げてワシャワシャと褒めちぎると、ノアは嬉しそうに前足をパタパタさせた。
一方、その背後で、ルリは完全に脳内がキャパシティオーバーを起こしていた。
「(ま、魔王様が……『お座り』という神の御言葉によって、一歩も動かずに災厄の魔鳥の精神を完全破壊なされた……!? しかも、主殿はその一連の儀式を『メンタルが弱い』の一言で片付け、さらに領地を広げている……!)」
ルリは自分の胸に手を当て、激しく高鳴る鼓動を抑える。
「(恐ろしすぎる……。やはりこの御方たちは、この世界そのものを『庭』として作り変えようとしているのだわ……!)」
「ルリさん、新鮮なうちに運んじゃおう。神様から貰った【調理】スキルがあるから、捌くのも一瞬だしさ。今夜は最高の唐揚げパーティーだ!」
「は、拝承いたしました! 直ちに厨房(生贄の祭壇)へ運搬いたします!」
夕暮れ時、最果てのログハウスからは、香ばしいニンニク醤油と、鶏肉がカラッと揚がる最高の音が響き渡り、ルリが「神界の黄金肉……!」と涙を流して唐揚げを頬張るのだった。




