【第3話】 畑仕事の効率化(※ただし本人は必死)
「ル、ルリさん、ストーーップ! それは雑草じゃなくて、俺が昨日植えたばっかりのナスの苗ぇぇぇ!」
「はっ!? し、失礼いたしました、主殿! 邪悪な気配を放つ新種の魔植かと誤認し、つい……!」
最果ての家庭菜園に竜人族の美少女・ルリが加わってから、三日が経った。
結論から言うと、畑仕事の肉体的な負担は劇的に減った。何しろ彼女は、俺が両手で抱えてもビクともしなかった巨大な切り株を、片手で「ふんっ」と引き抜いてしまうほどの怪力の持ち主だ。
しかし、別の意味で俺の心労はマッハだった。
彼女の脳内では、未だに俺が『魔王を従える絶対神』ということになっているらしく、あらゆる農作業を命がけのミッションに変換してしまうのだ。
「いいですか、ルリさん。農業の基本は『優しさ』です。そんなに殺気立ってクワを振るったら、土の中のいい虫まで逃げていっちゃいますからね」
「優しさ……。なるほど、ただ力で制するのではなく、大地に慈悲を与えることで、より強大なエネルギーを宿らせるのですね。深い……あまりにも深い教えです……!」
(いや、ただ単に優しく耕してほしいだけなんだけどな……)
話が通じているようで、1ミリも通じていない。
俺が遠い目をしていると、足元から「きゅ〜ん」と可愛らしい声がした。
見ると、ノアが前足でせっせと土をかき分け、小さな大根の苗の周りに土を寄せる『土寄せ』の作業をしていた。見た目は完璧な黒柴の子犬なのに、お尻をフリフリさせながら手伝ってくれる姿は、文字通り天使だ。
「よしよし、ノアは本当に賢いなぁ。ルリさん、見てください。ノアみたいにリラックスしてやるのがコツですよ」
「な、なんと……! 魔王様が、自らの爪で大地に魔力を直接注ぎ込んでおられる……!? 邪気の塊である大根(※ただの野菜です)を、お座り一発で手懐けるだけでなく、内側から浄化されるとは。私も負けていられません!」
ルリの琥珀色の瞳に、ブワッと紅蓮の炎のような闘志が宿る。
彼女はクワを握り直すと、まるで戦場に赴く戦士のようなステップで、ものすごいスピードで残りの雑草をむしり始めた。その手つきは、もはや残像しか見えない。
「ワンッ!」
ノアが「あきれたね」とでも言うように、小さく鼻を鳴らした。
「はは……。まあ、苗を抜かれないだけマシか」
◇◆◇
その日の夕方。
今日も一日、過酷な(主に精神的な)農作業を終えた俺たちは、ログハウスのテラスで休憩していた。
「よし、二人ともお疲れ様。庭の井戸から冷たい水を汲んできたから、これで畑の初収穫のキュウリを冷やして食べよう」
俺は、ログハウスを建てた時に一緒に作っておいた敷地内の井戸から、手押しポンプでたっぷりと水を汲み上げた。キィコ、キィコと音を立てて木製のバケツに満たされた水は、驚くほどひんやりと冷たくて心地いい。
その澄んだ井戸水に浸けておいた瑞々しいキュウリを取り出し、パキッと二つに割った。
まずはノアの皿に、細かく刻んだキュウリを一切れ入れてやる。ノアはシャキシャキと小気味いい音を立てて、実においしそうに食べ始めた。
「はい、ルリさんにはこれね。自家製の味噌をつけて食べると美味いよ」
「は、拝領いたします……!」
ルリは震える手でキュウリを受け取った。彼女は生唾をゴクリと飲み込み、まるで覚悟を決めるように、その緑色の野菜に口をつけた。
シャキッ。
一口噛んだ瞬間、ルリの身体がビクッと硬直した。
彼女の目が限界まで見開かれ、背中の漆黒の翼がピンと跳ね上がる。
「な……なんという、濃厚な生命の息吹……! 口の中に広がった水分が、体内のドロドロとした不純物をすべて洗い流していくようです……! 主殿、これは一体……!?」
「え? いや、ただのキュウリだけど。さっきの井戸水で冷やしたから、水分補給にちょうどいいだろ?」
「ただの……キュウリ……? 馬鹿な、そんなはずは……。かつて我が一族の長が、数年に一度しか実らない『精霊樹の若芽』を口にした際、これほどの衝撃はなかったと言っていました。それが、これほどの手軽さで……。やはり、ここは神の菜園……!」
(だから、ただの趣味の家庭菜園だってば……)
ルリは感動のあまり涙目を浮かべながら、キュウリを大事に、大事に噛み締めている。
そんな彼女の様子を横目に、俺はノアの頭を撫でた。
「ノア、美味いか?」
「ふりふり(尻尾の音)」
ノアは満足そうに目を細め、俺の手のひらに顎を乗せてきた。中身がどうあれ、このもふもふの温もりと、美味しい野菜があれば、俺の異世界スローライフはそれだけで満点だ。
――だが、世界はそんな俺たちを、いつまでも放ってはおいてくれなかった。
「……グルルルル……」
ふと、家庭菜園を囲む簡易的な木製フェンスの向こう側から、地を這うような低い唸り声が響いた。
夕闇の迫る森の奥から現れたのは、大人の男が3人並んでも敵わないほどの巨体を持つ、巨大なイノシシ型の魔獣――『ワイルドボア』だった。
その目は血走り、畑に実るトマトやナスの匂いに釣られて、完全に興奮状態になっている。
「あ、害獣だ。せっかくの畑が荒らされる……!」
俺が焦って立ち上がろうとした、その時だった。
「主殿、お下がりください! 不浄なる獣め、神聖なる菜園を汚すことは、このルリが許しません!」
ルリがキュウリを素早く飲み込み、迎撃に出ようと翼を広げた――が、それよりも早かった。
「ワン」
俺の膝の上から、ノアがトトッとテラスの端へ歩み出、ほんの少しだけ、首を傾げて短く鳴いた。
一瞬、空気がピキリと凍りついた。
ノアの小さな身体から、鑑定ステータスにあった『魔王の覇気』が、ほんの一滴だけ漏れ出たのだ。
それは、ルリが感じていた微弱なものとはワケが違った。世界の頂点に君臨する絶対的な捕食者が放つ、本物の、底知れない「死の圧迫感」。
「――ッ!?」
ルリはその場から一歩も動けなくなり、冷や汗を流して硬直した。
そして、フェンスの向こうにいた巨大なワイルドボアはというと――。
突如として目の前に現れた「世界の終焉」のようなプレッシャーに直面し、
「ブヒィィィッ!?」という情けない悲鳴を上げた次の瞬間、白目を剥いてその場にバタリと横転した。恐怖のあまり、一瞬でショック失神したらしい。
ピピッ。
俺の視界の隅で、境界線の拡張を告げるアナウンスが流れた。
『害獣の無力化を確認。領地が周囲10メートル拡張されました』
「え? あ、倒れた……? ノアの声にびっくりして心臓麻痺でも起こしたのかな。野生のイノシシって意外と繊細なんだなぁ」
俺は胸をなでおろし、ノアを抱き上げた。
「ノア、威嚇して追い払ってくれたんだな。ありがとな!」
「きゅ〜ん!」
ノアは先ほどの冷酷な覇気が嘘のように、前足をパタパタさせて俺の胸に甘えてくる。
しかし、その横で、ルリはガタガタと膝を震わせながら、完全に狂乱していた。
(ワン一言で、あのBランク魔獣を一瞬で精神崩壊させた……!? しかも、主殿はそれを『びっくりしただけ』と笑い飛ばしている……! なんという恐るべき主従。やはりこの菜園に仇なす者は、世界の調停者たる魔王様と、それを飼い慣らす絶対神によって、瞬時に消し去られるのだわ……っ!)
「よし、ルリさん。せっかくあそこに新鮮なお肉が転がってることだし、今夜はジビエ鍋にしよう。畑の冬菜やネギもたっぷり入れてさ」
「え……? あ、あの巨獣を、食すのですか……?」
「当然。家庭菜園の基本は、荒らしに来た害獣も美味しくいただくこと。これも大地の恵みだからね。ルリさん、ちょっとハウスのキッチンまで運ぶの手伝ってくれる?」
「(い、生贄の肉を貪り、自らの血肉とせよと……! これぞ神界の弱肉強食……!)」
ルリはゴクリと喉を鳴らし、ビシッと背筋を伸ばした。
「御意にございます、主殿! 直ちに厨房(祭壇)へと運搬いたします!」
「うん、助かる。あ、ノアの分は味付けする前に、細かく刻んでよく火を通してやらないとな」
「きゅ〜〜んっ!」
こうして、ノアの初めての「害獣退治(?)」により、俺の家庭菜園は図らずも少しだけ広くなった。
そしてその日の夕食は、もぎたての新鮮野菜と、ノアが気絶させたワイルドボアの極上ジビエ鍋。あまりの美味さにルリが再び涙を流して感動したのは言うまでもない。




