包囲された荷馬車と初めての実戦
神官の女性に教わった通り、いつでも動けるようにと「浅い眠り」を保っていたひよりは、まだ周囲が薄暗い早朝、鳥のさえずりと共にすっきりと目を覚ました。テントの外に出ると、パチパチと小さくなった焚き火のそばで、ベテランの冒険者たちがすでに旅の支度を始めている。
「みんな、おはようございます!」
ひよりが元気に挨拶すると、メンバーたちも
「おう、よく眠れたか?」
と温かく迎えてくれた。
朝食の手早い片付けを終えると、パーティーのリーダーである屈強な戦士が、全員を集めてきりりとした表情で告げた。
「よし、全員そろったな。予定通りいけば、今日の昼過ぎには隣町に到着する。……だが、昨日は一度も魔獣が出なかった。その分、今日はどこかで群れに遭遇する可能性が高い。全員、昨日以上に気を引き締めていこう!」
「「「「はいっ!」」」」
ひよりとスコットも、先輩たちに負けないように元気に返事をした。
【朝霧のなかの不穏な気配】
朝のひんやりとした空気の中、荷馬車は再び隣町へと向かって動き出した。
ひよりは自分の定位置である荷馬車の横につき、スコットと並んで歩きながら、周囲の生い茂る草むらや木々の合間にじっと目を凝らす。
サーシャちゃんが作ってくれた二重構造のお洋服は、朝の冷たい風をほどよく防ぎつつ、アクティブな動きをまったく邪魔しない。
胸元から腰に垂れるふわっとした布地が揺れるたび、ひよりは「よし、いつでも戦えるぞ!」と、ゴルドのおっちゃんに教わった短剣の構えを頭の中で復習していた。
街道を進むこと数時間。
太陽が少しずつ高く昇り始めたその時、ひよりの鋭い五感が、風の音に混じる「異質な雑音」を捉えた。
――ガサガサッ……ガサガササッ……!
それは一つの方向からではなかった。荷馬車を中心に、前後左右、文字通り四方の草むらから同時に近づいてくる、多数の生き物の気配。
《ひより、ボクの魔力探知にも引っかかった! 囲まれてる、数が多いよ!》
脳内でキュアが鋭く警告を発する。ひよりはハッと目を見開き、お腹の底から声を張り上げた。
「みんな! 周りからいっぱい来ますッ!!」
シャキィン!
と腰の訓練用短剣を力強く引き抜く。ひよりの声とほぼ同時に、四方の茂みからウルフ(狼の魔獣)の群れが、牙を剥き出しにしながら一斉に飛び出してきた。
【それぞれの防衛線】
「チッ、不意打ちか! 全員、それぞれの持ち場を死守しろ! 馬車に近づけるな!」
リーダーの怒号が響き渡る。ベテラン5人組は一瞬で戦闘態勢に入り、前衛の戦士や弓手が流れるような連携で襲いかかるウルフを迎え撃っていく。
スコットも
「ひよりさん、僕も頑張ります!」
と叫び、馬車の反対側で必死に水魔法の詠唱を始めた。
そして、ひよりの防衛線には、すぐ近くにいたリーダーの戦士がガツンと力強い足取りで助っ人に付いてくれた。大剣をどっしりと構え、ひよりの前に立ちはだかる。
「お前はここにいろ! そっち側には一頭も行かせねえつもりだが……如何せん数が多い。もし溢れちまった時は、自分で対処しろよ!」
「うん、わかった! おっちゃん(ゴルド)の特訓を思い出す!」
ひよりが短剣を逆手に握り直し、抜群の運動神経で低く身を構える。その美しい戦闘フォームと、揺れるドレスの隙間から覗く引き締まった大人の肉体に、リーダーは「大した度胸だ!」と内心で舌を巻いた。
――ザシュッ! ガキィンッ!
さすがは街でも有名なベテランパーティーのリーダーだ。大剣を一振りするたびに、襲いかかるウルフが二頭、三頭と一瞬にして斬り伏せられていく。その圧倒的な強さは、ひよりが見学するのには十分すぎるほど凄まじいものだった。
しかし――。
ガサガサガサガサッ!!
「……クソっ、思ったより数が多いぞ!? まだ奥から出てきやがる!」
リーダーが次々とウルフを倒していくものの、茂みの奥から這い出てくる魔獣の数はそれを上回っていた。血の匂いに狂った数頭のウルフが、リーダーの剣の隙間をすり抜け、鋭い爪を立ててひよりの方へとまっすぐ突進してくる!
《ひより、右から二頭、正面から一頭くるよ! 落ち着いて、特訓通りに体を動かすんだ!》
(うん……! やってみせるよ、キュア!)
大人のプロポーションを完璧にホールドした新しい服をひらりと翻し、魔法剣士としての才能を秘めたひよりは、ついに初めての本物の実戦へと踏み出すのだった。
「ガルルルルッ!」
血走った目を剥き出しにした3頭のウルフが、鋭い牙を光らせてひよりへと同時に飛びかかってくる!
右から2頭、そして正面から1頭。完全にタイミングを合わせた、逃げ場のない同時襲撃だった。
「しまっ――! 姉ちゃん、同時に受けるな! 横に移動して攻撃のタイミングをずらせッ!!」
引き返そうとしたリーダーの戦士が、間に合わないと察して大声で叫ぶ。
3方向からの同時攻撃をその場で受けてしまえば、どれだけ身軽でもなす術なく噛み殺されてしまう。それが冒険者の常識だった。
だが、ひよりの頭の中は驚くほど冷静だった。
ゴルドのおっちゃんとの特訓、そして脳内のキュアの存在が、10歳のひよりに最高の勇気を与えていた。
《ひより、動かなくていい! おっちゃんとの特訓を思い出して、ボクの魔法を合わせるよ!》
(うん! 攻撃される前に……やっちゃうんだから!)
ひよりはリーダーの指示にあえて逆らい、その場にドッシリと踏みとどまった。
そして、右側から迫る2頭のウルフに向けて、パッと右手を突き出す。
「――『ストーンバレット(石弾)』ッ!!」
ひよりの叫びと同時に、突き出した手のひらの目の前にラグビーボール大の鋭い岩の弾丸が出現した。ウルフの鼻先、わずか数十センチという超・至近距離での魔法発動!
ズドォォンッ!!
「ギャウンッ!?」
凄まじい衝撃波と共に放たれた岩の弾丸が、右側の2頭の顔面にクリーンヒットする。不意の爆撃を受けたウルフたちは、鋭い突進の勢いを完全にへし折られ、もんどり打ってその場に激しくひるんだ。
右の脅威を魔法で一瞬にして止めたひよりは、すぐさま正面の敵へと意識を切り替えた。
サーシャちゃんが仕立ててくれたお洋服は、どれだけ激しく上半身をひねっても胸元を完璧にホールドし、ひよりの視界と動きを一切遮らない。
「えーいっ!!」
トォンッ! と滑らかな踏み込み。
ひよりはゴルド直伝の綺麗なフォームのまま、逆手に握った短剣を鋭く横一文字に振り抜いた。
スラァァッシュ!
「ガハッ……!」
正面から飛びかかってきていたウルフの首筋を、短剣の刃が正確に捉える。鮮血が舞い、ウルフは悲鳴をあげる暇もなく地面へと崩れ落ちた。
だが、ひよりの連撃はここでは終わらない。
抜群の運動神経と20歳のしなやかな肉体を躍動させ、ひよりはお洋服の裾をひらりと翻しながら、すぐさま右側へと1歩ステップを踏み出した。そこには、さっきのストーンバレットの衝撃でキャンキャンと頭を振って怯んでいる2頭のウルフがいる。
「これで、おしまいっ!」
ひよりは怯むウルフたちの懐へと流れるように滑り込み、流れるような美しい軌道で短剣を再び一閃した。
ザシュウゥゥッ!!
目にも留まらぬ速さで繰り出された刃が、残った2頭の首をまとめて深く切り裂く。
ドサドサリ、と重い音を立てて、ひよりを襲った3頭のウルフはすべて物言わぬ屍へと変わったのだった。
「ふぅ……! びっくりしたぁ……」
ひよりは短剣についた血をパッパッと払い、ふぃ〜っと額の汗をぬぐった。胸元から腰に垂れるふわっとした布地が、風にパタパタと揺れている。
その横では、大剣を構えたままのリーダーが、文字通り「開いた口が塞がらない」という様子で完全に固まっていた。
「おいおいおい……マジかよ……。移動してずらすどころか、至近距離の魔法で強引にタイミングを狂わせて、その隙に3頭なぎ倒しちまったぞ……。なんだこの滑らかな身のこなしは……新人の動きじゃねえ……!」
リーダーの戦士は、ひよりの底知れない『魔法剣士』としての戦闘センスに、全身に鳥肌が立つのを感じていた。
《ひより、すごすぎるよ! 完璧! ボクの魔法とひよりの剣が、完全にひとつになってた!》
脳内でキュアが飛び上がって大興奮している。ひよりは心の中で
「えへへ、キュアのおかげだよ!」
と、10歳の無邪気な笑顔で答えながら、まだ奥からガサガサと聞こえてくる群れの気配に向けて、再びきりりと短剣を構え直すのだった。




