シャリンの説教とリメイク代金
脳内でキュアが限界突破の叫び声をあげる。今度こそ本当に終わりだと言わんばかりに、最大級のパニックを起こしていた。
しかし、ひよりは緊迫したキュアの声にも驚かず、ぽかんと周囲を見回していた。
薄暗い玄関を抜けた先には、妙に見覚えのある空間が広がっていたからだ。
「あれ……? ここは……」
そこへ、背後から男の淡々とした、どこかホッとしたような声が響く。
「――よし、依頼達成だ」
「え?」
ひよりが振り返ると男はやれやれと肩の力を抜いていた。
そこは、他人のアジトでも、怪しい監禁部屋でもなかった。昨日からひよりが何度も行き来している、シャリンの魔道具屋のダイニングキッチンだったのだ。
あの物々しい閉ざされた門から裏道を駆使して歩き回ってこの店の裏口に戻って来たのである。
「ハァ……。アンタねえ」
階段からトントンと足音を響かせて、紫の髪を揺らしたシャリンが降りてきた。
「シャリンさん!」
ひよりはパッと顔を輝かせた。
シャリンは大きなため息をつきながら歩み寄ってくると、ひよりの頭をコツンと軽く叩いた。
「知らない男にホイホイついて行ったらダメでしょ。アンタ警戒心がゼロすぎるわよ」
「えっ……?」
ひよりは目を丸くした。
すると、今まで優しく手を繋いでいた冒険者の男が、肩をすくめてシャリンに向かって笑った。
「いや、本当にびっくりしたよ。俺も娘がいるから娘に話をしてるつもりで接してたら、彼女の警戒心がゼロで内心ハラハラしてたんだよ。
シャリンに頼まれて、言われた通りに飴をあげたら……疑いもせず、本当の子供みたいに安心してついてきたよ。こいつは想像以上だな」
シャリンはこめかみを押さえながら、さらに深くため息をついた。
「やっぱりかい……。ある程度は覚悟してたけど、まさか裏道に連れ込まれて、挙句に鍵付きの部屋に先に入れと言われて、一歩も躊躇わないなんてね。アンタ、自分が今どれだけ危ない目に遭いかけたか分かってるの?」
「ふぇ? え、えっと……?」
ひよりが口の飴を転がしながらパチパチと瞬きをする横で、男は少し気の毒そうな目をしてシャリンを見た。
「まあ、頼まれた側としては、これほど楽な仕事はなかったけどな。大通りでわざわざ『お父さんやお母さんの教え』まで確認してやったのに、『飴をくれたから知らない人じゃない』だもんなぁ。
なぁシャリン、お前本当に大変なやつを預かっちまったな。おいそれと外に出せやしないぞ」
「……言われなくても痛感してるところよ」
シャリンはバツが悪そうにため息をつくと、ひよりを守るようにその前に立ちはだかり、男に数枚の硬貨が入った袋を差し出した。
「……悪いわね、うちの見習いがバカで。調査の手間をかけさせたわ。報酬は後でギルドを通すつもりだったけど、色を付けて渡しておくわ。それと……この事は絶対に他人に漏らさないで。内密で頼むわね。こんな噂が広まったら、本当に命がいくつあっても足りないわ」
男は袋を受け取り、チャリンと音を鳴らして不敵に笑った。
「分かってるって。こんな情報、他の奴らにタダで流すわけねえだろ。じゃあな。お嬢ちゃん、次は本当に悪い奴に捕まらないように気をつけてな。世の中、俺みたいに話の通じる冒険者ばかりじゃないんだからな」
男はひよりの頭をぽんぽんと叩くと、そのまま軽い足取りで裏口の向こうへと去っていった。
ひよりは口に飴を入れたまま、状況が半分も飲み込めずにポカンとしていた。
(えっ……? じゃあ、あの人……わたしに親切にしてくれたわけじゃなくて、シャリンさんに頼まれた、依頼を受けた冒険者の人……?)
頭の中のキュアも、ようやくすべての事態を把握して、思いきり安堵の息を漏らした。
『な、なんだよ……! シャリンさんがひよりがホイホイついていくのかを確かめるために、あの冒険者に調査を頼んでただけか……。本気で心臓が止まるかと思ったぞ……! でも良かった、本当に危ない奴じゃなくて……』
「もう、状況は分かった?」
シャリンが腰に手を当てて、ひよりを上からジロリと見下ろす。その瞳には、呆れと同時に、大切な身内を心配するような強い光が宿っていた。
「朝起きたら勝手にいなくなってるし、念の為にギルドの知り合いに頼んでおいた『不審者役の引き合わせ依頼』にも、まんまと引っかかるし……。少しは自分の見た目の危うさを自覚しなさい。その抜群のプロポーションで子供みたいに振る舞われたら、街の男たちがどれだけ狼狽えるか、どれだけ悪い狼を引き寄せるか! 本当に肝が冷えたんだからね!」
「ふぇぇ……ごめんなさい……」
ひよりはすっかり小さくなって、シュンと肩を落とすのだった。
その後、ダイニングテーブルには温かいスープと香ばしいパンが並び、二人で朝食を囲むことになった。
ひよりはまだ少し恐縮しながらも、店番用の服をちゃんと着られるものにするため、今サーシャががリメイクしてくれているという話をした。
シャリンはパンをちぎりながら、しみじみと口を開く。
「サーシャはまだ子供だけど、アンタに比べて本当にしっかりしてるわ。あの歳で、自分の技術にプライドを持って、職人としての魂があるなんて滅多にないことよ」
そこまで言うとシャリンは呆れた視線をひよりに向けた。
「それに比べてアンタは……。後でサーシャにも聞いてご覧なさい。アンタが男に連れ込まれてどれだけ危なかったか、サーシャだって絶対に言うはずさ。
それから、『もしサーシャだったらどうしたか』も聞いてみな。そうすれば、アンタがどう行動したらよかったのか、少しは身に沁みてわかるからね」
「うぐっ……」
シャリンの正論がグサグサと突き刺さり、ひよりはパンを口に咥えたまま、さらに小さくなってシュンとしてしまう。
そんなひよりの様子を見て、シャリンはふっと表情を緩め、紅茶のカップを置いた。
「まあ、何事もなかったから良かったけどね。説教はここまで。……さあ、ここからは今日の店番の話をするよ」
お説教モードの終了に、ひよりは「待ってました!」とばかりにパッと顔を上げ、椅子の背もたれから背筋をピンと伸ばして聞き入った。
「うん!」
「『うん』じゃなくて『はい』、よ」
シャリンにピシッと訂正され、ひよりは慌てて言い直す。
「ハイ!」
「そうよ。……と言っても、今のその格好じゃ店に立たせるわけにもいかないからね。店番はリメイクされた服が戻ってきてから。……そうそう、ちゃんとサーシャにお金を出すんだよ?」
「えっ……!?」
ひよりは目を丸くして、スプーンを持ったまま固まった。びっくりしてシャリンの顔を凝視する。
そのあまりに素直な反応に、今度はシャリンの方がびっくりして聞き返した。
「……ちょっとアンタ。まさか、タダでやってもらうつもりだったのかい?」
ひよりは痛いところを突かれ、バツが悪そうに視線を泳がせながら、小さくコクコクと頷いた。10歳児の感覚のままだったので、友達に何かをしてもらうのに「お金を払う」という発想が抜け落ちていたのだ。
「はぁぁ……。あのね、職人に仕事を頼んで『無料』なんてことはあり得ないの。たとえそれが趣味のレベルだったとしてもよ。何かのお礼は必ずするべきだし、その『何か』が分からなければ、ちゃんとお金を渡すのが大人の普通なの」
「う、うん……ううん、はいっ」
ひよりは今度こそ深く反省して、何度も頷いた。そして、自分の平らなお財布(銅貨2枚しか入っていない)を思い出し、拳をきゅっと握る。
「……お金、稼がなきゃ」
「フゥー……」
シャリンは盛大にため息を吐き出し、呆れ半分、応援半分といった様子でひよりを見た。
「まあ、私の店で働くための『服を作るお金』を用意するって言うなら、ギルドの依頼でも受けに行きなさいな。ちょうどいい機会でしょ」
「えぇっ!? ギルドの依頼!?」
ひよりは一気にビビってしまい、ぶんぶんと首を振った。
「む、無理だよぉ。魔物とか戦うの怖いもん……。わたし、お使いの依頼くらいしか怖くてできないよ……」
情けない声を出すひよりに、シャリンはフッ、と不敵に口元を釣り上げて立ち上がった。
「誰もアンタにドラゴンを狩ってこいなんて言ってないわよ。……よし、私がアンタにぴったりの依頼を選んであげる。ギルドに行くよ」
「ふぇぇ、待ってよシャリンさーん!」
有無を言わせぬシャリンのオーラに押され、ひよりは手を引かれるようにして、朝の活気に満ちた街へと再び繰り出し、冒険者ギルドへと向かうのだった。




