怪しい優しさと、監禁
固く閉ざされた見知らぬ門の前で、半べそをかきながら立ち尽くすひよりの頭の中に、キュアの冷静な(しかしどこか呆れたような)声が響いた。
『うん、これは……完全に迷ったね』
「どうしよう、キュア! どこか全然わからないよぉ……!」
中身は10歳の女の子。見知らぬ異世界の、しかも物々しい雰囲気の門の前で一人ぼっちになり、ひよりは今にも泣き出しそうになっていた。
そこへ、カチャカチャと革や金属の擦れ合う音を響かせながら、一人の男が歩いてきた。腰に剣を携えた、いかにも旅慣れた風の冒険者だ。男はひよりの顔を見ると、おや、と眉を上げた。
「お前……昨日ギルドにいたやつだよな? どうした? 随分と困った顔をしてるけど」
「え……?」
ひよりが涙目のまま見上げると、男はどこか親しげな、優しい笑みを浮かべていた。
「わたし、迷子になっちゃって……お店への帰り方が、わかんなくなっちゃったの」
大人の身体になっていても、心細さから完全に子供の口調に戻ってしまったひより。男の予想外の優しい言葉に、ツーンと鼻の奥が熱くなる。
すると男は、困ったように笑いながらポケットに手を突っ込み、小さな包みを取り出した。
「そっかそっか、大変だったな。ほら、飴でも食って元気出せ」
「あ……ありがとう!」
ひよりは差し出された飴を受け取ると、さっそく包みを開けて口に放り込んだ。甘い果物の味が口いっぱいに広がり、さっきまでの不安な顔が嘘みたいにパッと笑顔になる。
「よし、じゃあ一緒に歩きながら、どこの店か探してやるよ」
男はそう言うと、ひよりの白くて柔らかい手を、まるでお父さんが子供の手を引くように優しく、ごく自然に包み込んだ。
「うん!」
ひよりは男の大きな手の温もりにホッとして、嬉しそうにその手を握り返した。
しかし、その様子をひよりの視界越しに見ていた頭の中のキュアは、一瞬で背筋が凍りつくような凄まじい違和感を察知した。
(待て……なんだこのスムーズさは!? 普通、こんな誰もが振り返るような抜群のプロポーションの美人お姉さんが迷子になって泣きそうになってたら、男はもっと緊張するか、下心丸出しでニヤつくはずだ。なのにこいつ、まるで『最初から中身が子供だと知っていた』みたいに、あまりにも完璧な優しさで手慣れて誘導してやがる……!)
もしこれが本当の悪党なら、最もタチが悪いタイプだ。
ヤバい。キュアの脳内で、最大級の警戒警報が鳴り響く。
『ひよりっ!! 今すぐその男から手を離せ! 逃げろっ!!!』
キュアが頭の中で叫んだ、これまでで一番の大声。その剣幕に、ひよりはビクッとして内心で戸惑いながら聞き返した。
(えっ? キュア、どうしたの? なんでそんなに怒るの?)
『いいから言う通りにしろ! その男は怪しい!』
(怪しくないよぉ。だって、わたしが泣きそうになってたら心配してくれたし、美味しい飴までくれたんだよ? 悪い人がこんなに優しくしてくれるわけないもん!)
口の中の甘い飴と、繋がれた手の安心感のせいで、ひよりは男のことを100%信用しきっていた。パパとママから「知らない人についていっちゃダメ」と教えられていたけれど、ひよりの幼い頭の中では『知らない人=怖い顔をした悪い人』であり、こんなに優しくて頼りになる冒険者のおじさんは、その「悪い人」のカテゴリーにどうしても当てはまらなかったのだ。
キュアの内心は、今や恐怖でパニック一歩手前だった。
(やばいやばいやばい! 10歳児の『飴をくれたから良い人』理論が、この抜群の発育の身体で発動したら最悪だ! この男、ひよりが全く警戒してないのをいいことに、どんどん人気の無い方に連れて行こうとしてるぞ……!!)
「おじさん、どこに行くの?」
ひよりが純粋無垢な瞳で男を見上げると、男はひよりの顔を見ようともせず、ただ優しく微笑んだまま言った。
「こっちの裏道の方が、近道だからな。すぐに連れて行ってやるよ」
「うん、ありがとう!」
完全に牙を隠した怪しい優しさに、尻尾を振る子犬のようにホイホイとついていくひより。男の口元が、大通りの賑やかさから外れた瞬間、わずかに吊り上がったのを、ひよりは気づかずにいた。
【仕組まれた罠と、閉ざされた扉】
ひよりは口の中で転がす飴の甘さを楽しみながら、男に手を引かれて歩いていく。
男の足取りは迷いがなく、何本か賑やかな大通りを横切っては、すぐにまた人通りの少ない薄暗い裏道へと入っていった。何度も角を曲がるうちに、ひよりは自分が今どこにいるのか、いよいよ完全に分からなくなっていく。
そんなひよりの様子を横目で盗み見ながら、男がどこか探るような口調で話しかけてきた。
「なあ、お嬢ちゃん。お父さんやお母さんから『知らない人についていっちゃダメ』って、教えてもらわなかったか?」
ひよりは無邪気にこっくりと頷いて、元気よく答えた。
「うん! 教えてもらったよ!」
「へえ、そうか」
男は少し意外そうに眉を上げて、さらに重ねて聞いた。
「じゃあ、なんで俺にはついてきたんだ? ろくに話しちゃいないし、知らない人だろ?」
ひよりは不思議そうに男を見上げた。
「知らない人じゃないよ。だって、おじちゃん、昨日ギルドでわたしのこと見たって言ってくれたし。それに、こうやって美味しい飴もくれたもん」
「……!」
男は一瞬、言葉に詰まったようだったが、すぐにふっと含み笑いを漏らした。ひよりのその純粋すぎる、あまりにも無防備な信頼が、男にはおかしかったのだ。
頭の中のキュアは、ひよりの爆弾発言に気が気ではなかった。
(ギルドで見かけたから知り合い!? 飴をくれたから良い人!? ひより、頼むからそれ以上その男を安心させるようなことを言うな! 完全にカモだと思われてるぞ……!)
そんなキュアの焦りをよそに、男は裏道の奥まった場所で足を止めると、優しく微笑んで言った。
「そうか、そりゃどうも。……じゃあ、ちょっとだけ寄り道してもいいかい? ちょうどここに用事があるのを思い出しちまってさ」
「うん、いいよ!」
ひよりは何の疑いも持たずに笑顔で快諾した。
男は裏道に面した、古びた、けれどもしっかりとした造りの一軒家の扉に手をかけた。ドアノブを回して、中へと誘うように扉を開く。
「ほら、先に中に入ってくれ」
「はーい!」
ひよりは迷う様子など微塵も見せず、弾むような足取りで真っ先にその家の中へと足を踏み入れた。
その直後、ひよりの後ろから入ってきた男が、背手で静かに扉を閉めた。
――カチャリ。
重苦しい金属音が響き、ドアの鍵が内側からしっかりと掛けられる。
『ひよりっ!! ドアに鍵をかけられたっ!! 完全に監禁されたぞ、やばいやばいやばい!!!』




