第89話『旅立ち』
天裂の断崖は静かだった。
つい先ほどまでの激戦が嘘のように。
砕けた岩。
抉れた大地。
そのすべてが、戦いの痕跡として残っている。
そして――静寂。
タクミはしゃがみ込み、地面に落ちていたものを拾い上げた。
小さな石。
どこにでもありそうな、ただの石ころ。
だが、手に取った瞬間に分かる。
それが――
空の王の記憶。
タクミはもう一つ拾う。
深く透き通る結晶。
エンシェントドラゴンの魔核。
しばらくそれを眺めてから、ゆっくり立ち上がった。
「……これで全部か」
リナが隣に並ぶ。
「うん」
短く頷く。
タクミは少し考えてから、手をかざした。
空間がわずかに歪む。
インベントリ。
そこから三つの石を取り出す。
緑がかった石。
森の王の記憶。
重みを感じる石。
山の王の記憶。
淡い青の石。
海の王の記憶。
そして――
今手に入れたばかりの石。
空の王の記憶。
どれも見た目は、本当にただの石だった。
タクミはそれらを地面に並べる。
四つの石。
円を描くように配置される。
「……これで」
言いかけた、その瞬間。
カタリ。
小さな音。
石が震えた。
「……え?」
リナが目を見開く。
次の瞬間。
四つの石が同時に光を放った。
唐突だった。
だが――
まるで最初からそうなることが決まっていたかのように。
光が溢れる。
眩い輝き。
「タクミ!」
リナの声。
だが光はタクミへと集束していく。
中心。
選ばれるように。
包み込まれる。
タクミは自分の手を見る。
「……なんだこれ」
体が軽い。
重さが消えていく。
足元の感覚が薄れる。
浮いている。
「タクミ……」
リナの声が揺れる。
タクミは苦笑した。
「……多分だけど」
空を見上げる。
説明はできない。
だが――
理解はできる。
「呼ばれてるっぽい」
リナが息を呑む。
「え……」
タクミは肩をすくめた。
「どこかは分かんないけどな」
光がさらに強くなる。
体が完全に浮かび上がる。
もう時間は長くないだろう。
タクミはリナを見る。
「リナ」
少しだけ間を置いて。
「ここまでありがとな」
リナはすぐに返す。
「急にそういうのやめてよ」
軽く笑う。
でもその目はまっすぐだった。
タクミも笑う。
「まぁ……そうだな」
光が揺らぐ。
体が少しずつ透けていく。
タクミは小さく息を吐いた。
そして。
「じゃあ」
いつもの調子で。
「行ってくる」
リナは一瞬だけ驚いた顔をする。
だが、すぐに笑った。
「うん」
まっすぐに。
「いってらっしゃい」
そして、少しだけ優しく続ける。
「待ってるから」
タクミは一瞬だけ目を細めた。
それから笑う。
「……長くなるかもな」
リナは肩をすくめる。
「いいよ」
「どうせ戻ってくるでしょ」
タクミは軽く笑った。
「ああ」
短く。
それだけで十分だった。
次の瞬間。
光が弾ける。
閃光。
そして――消失。
天裂の断崖に静寂が戻る。
そこにはもう、タクミの姿はない。
地面には何も残っていなかった。
リナはしばらく空を見上げていた。
風が吹く。
髪が揺れる。
やがて、小さく呟く。
「……タクミ」
その表情に、寂しさはなかった。
ただ静かに。
確信するように。
微笑んでいた。
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