第88話『最期の王』
天裂の断崖に風が吹いていた。
崩れた岩の間に、巨大な体が横たわっている。
アストラヴェル。
その黄金の瞳は、まだ閉じていなかった。
タクミは剣を下ろしたまま立っている。
息が荒い。
腕も足も震えている。
その時だった。
遠くから足音が響く。
「タクミ!!」
リナだった。
細い石橋を駆け抜け、息を切らしながら断崖へ飛び込んでくる。
そしてタクミの姿を見ると、足を止めた。
「……!」
周囲を見渡す。
巨大なドラゴン。
倒れている。
血の匂い。
砕けた大地。
そして立っているタクミ。
リナはゆっくり近づいた。
「……終わったの?」
タクミは小さく息を吐いた。
「ああ」
短く答える。
「多分な」
その声を聞いた瞬間、リナの肩の力が抜けた。
「よかった……」
小さく呟く。
だが、その時。
低い声が響いた。
『……まだ』
二人が振り向く。
アストラヴェルだった。
黄金の瞳が、わずかに動く。
『生きている』
リナが息を呑む。
だがタクミは動かなかった。
もう戦う気配ではないと分かっていた。
アストラヴェルはゆっくりと視線を上げる。
そして二人を見る。
タクミは一歩近づいた。
「まだ話せるのか」
アストラヴェルは小さく笑う。
『少しだけな』
巨大な胸がゆっくり上下する。
『……タクミ』
黄金の瞳がまっすぐ向く。
『お前は強かった』
『そして』
『運も良かった』
タクミは苦笑する。
「それは否定できないな」
アストラヴェルは続ける。
『だが』
『それだけではない』
風が吹く。
『お前は――』
わずかな間。
『我に届いた』
その言葉には重みがあった。
長い年月を生きた王の言葉。
タクミは静かに受け止める。
やがて口を開いた。
「聞きたいことがある」
アストラヴェルの瞳がわずかに細くなる。
「王の記憶」
「それを集めると世界の真理に触れられるって言ってたな」
アストラヴェルはゆっくり頷く。
『そうだ』
『だが――』
その声は静かだった。
『それを成した者はいない』
リナが目を見開く。
「え?」
アストラヴェルは続ける。
『我らは王』
『世界を支える柱』
その声はどこか遠い。
『海の王』
『森の王』
『山の王』
『そして空の王』
黄金の瞳が空を仰ぐ。
『それらが在ることで』
『世界は均衡を保っている』
タクミは眉をひそめた。
「じゃあ……」
「俺はその柱を全部壊したってことか?」
アストラヴェルはわずかに笑う。
『そういうことになる』
リナが思わず言う。
「それって……大丈夫なの?」
アストラヴェルは静かに答えた。
『分からん』
あまりにもあっさりとした答え。
『我らは支えるだけだ』
『何を支えているのか』
『その先に何があるのか』
『それは、我らにも分からぬ』
タクミは小さく息を吐いた。
「……そっか」
アストラヴェルは続ける。
『だが』
黄金の瞳がタクミを捉える。
『お前は成した』
『誰も辿り着けなかった場所へ』
風が強く吹く。
アストラヴェルの呼吸が、少しずつ浅くなっていく。
『タクミ』
低い声。
『王の記憶は揃った』
そして――
静かに告げる。
『さぁ』
『世界の真理に触れてみろ』
その瞬間だった。
アストラヴェルの体が淡く光り始める。
鱗が一枚ずつ、光の粒へとほどけていく。
リナが息を呑む。
「……!」
巨体が崩れていく。
砂のように。
光のように。
風に溶けるように。
そして最後に――
黄金の瞳だけが残った。
それが、タクミを見つめる。
『……タクミ』
『お前の運は』
わずかな間。
『世界すら変える』
小さく笑った。
次の瞬間。
光はほどけた。
空の王は、跡形もなく消えた。
天裂の断崖に静寂が戻る。
残されたのは、二つ。
淡く光る結晶。
エンシェントドラゴンの魔核。
そして――
空に浮かぶ光の欠片。
空の王の記憶。
風が吹く。
タクミはそれを見つめる。
そして、静かに呟いた。
「……全部揃ったな」
世界の真理。
それは――
もう、すぐそこにあった。
読んでいただきありがとうございます。
初投稿ですので、ブックマークや評価をいただけると励みになります。
毎日更新予定です。
時間は不定期とさせていただきます。




