第68話『海の王』
――あれ?
――もしかして。
――僕の声、聞こえてる?
海の奥から、そんな声が響いた。
タクミは目の前の水面を見たまま、小さく息を吐く。
(聞こえてる)
頭の中でそう答える。
⸻
隣ではリナが波と遊んでいる。
「うわ、砂さらわれる」
「転ぶなよ」
「大丈夫大丈夫」
どうやら、この声は本当にタクミにしか聞こえていないらしい。
⸻
海の奥の声が、少し驚いたように言った。
――へぇ。
――すごい。
――人間で聞こえる人、初めてかも。
タクミはわずかに眉をひそめる。
(……なんで俺には聞こえる)
すると、少し楽しそうな声が返ってきた。
――さあ?
――でも君、なんかすごく“運”が強い感じする。
タクミの思考が一瞬止まる。
運。
この世界に来た時に見た、自分のステータス。
運 999
アビスの声が続く。
――世界ってさ。
――たまにいるんだよね。
――変な確率引く人。
――君、そういうタイプでしょ?
タクミは少しだけ苦笑した。
否定はできない。
今までの出来事を思い返しても、そうとしか思えない場面がいくつもあった。
少し間を置いて、タクミは海に意識を向ける。
(……もしかして)
(お前、アビスか?)
一瞬、声が止まった。
それから。
――え?
――なんで知ってるの?
少し本気で驚いたような声だった。
タクミは答える。
(フェンリルが教えてくれた)
すると、アビスの声がぱっと明るくなる。
――え!
――フェンリルに会ったの?
――よく生きてるね。
タクミはあっさり言った。
(倒した)
ほんの少し沈黙。
それから、くすっと笑う気配がした。
――あー。
――どうりで。
――なんか強そうなわけだ。
⸻
海の水面がゆっくり揺れる。
――じゃあさ。
――君、王の記憶集めてるの?
タクミは頷いた。
(そうだ)
――そっか。
アビスはあっさり言った。
――じゃあ、あげるよ。
タクミは思わず聞き返す。
(……いいのか?)
――うん。
――だって君、フェンリル倒してるし。
――それならもう十分でしょ。
波が静かに揺れる。
タクミはわずかに警戒する。
(戦わなくていいのか)
アビスは少し考えるように間を置いた。
――僕、戦うのあんまり好きじゃないんだよね。
それから軽く言う。
――海って広いでしょ?
――戦うと、色々壊れちゃうし。
確かに。
もしこの存在が本気で戦えば、海そのものが戦場になる。
それは想像したくない規模だった。
アビスが楽しそうに続ける。
――それにさ。
――君、なんか面白いし。
その瞬間。
タクミの足元の海が、ほんのわずかに光った。
水の奥。
遥か深い場所から、何かが浮かび上がるような感覚。
それは一瞬だった。
まるで水滴が海に落ちるように――
静かに、タクミの中へ水玉模様のように見える石が落ちてくる。
『海の王の記憶』
タクミは小さく息を飲む。
(……今)
(何をした)
アビスはあっさり言った。
――記憶、渡したよ。
――君、森も持ってるんだ。これで三つなんだね。
タクミは少しだけ空を見上げた。
森。
山。
そして海。
王の記憶が、三つ揃った。
アビスの声が、少し楽しそうに続く。
――残りは空か。
――あの子、強いよ。
――1番強い。
タクミは海を見たまま聞く。
(エンシェントドラゴンか)
――うん。
――そう。
少しだけ嬉しそうな声だった。
――会ったらよろしく言っといて。
――僕、あの子けっこう好きなんだよね。
波が静かに岸へ打ち寄せる。
しばらくして、アビスが言った。
――じゃあ僕、そろそろ戻るね。
(戻る?)
――うん。
――海、広いからさ。
少し間が空く。
それから最後に。
――また来たら話そう。
声は、すっと消えた。
波の音だけが残る。
リナがタクミの顔を覗き込んだ。
「タクミ?」
「ん?」
「さっきから海じっと見てるけど」
「どうしたの?」
タクミは少しだけ笑う。
「……いや」
そして静かに言った。
「海の王に会えた」
リナが目を丸くした。
「え?」
「もう?」
タクミは頷く。
「もうだ」
リナは少し呆れた顔をしてから、笑った。
「タクミってさ」
「ほんと変だよね」
タクミは苦笑する。
確かにそうかもしれない。
だが――
インベントリの中には今。
『森の王の記憶』
『山の王の記憶』
『海の王の記憶』
三つが揃っていた。
⸻
残る王は、ただ一つ。
空。
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