第67話『海に触れる』
レインベルの喧騒から少し離れた場所に、小さな砂浜があった。
岩に囲まれた、港の端の静かな場所だ。
さっきまで聞こえていた船の軋む音や人の声も、ここまで来るとずいぶん遠くなる。
残っているのは、波の音だけだった。
⸻
リナは海を見つめたまま立ち止まる。
目の前には、どこまでも続く水面。
波がゆっくりと砂浜に打ち寄せ、また引いていく。
「……すごい」
ぽつりと呟いた。
タクミは少し後ろでその様子を見ている。
リナが振り返った。
「ねえタクミ」
「ん?」
「触っていい?」
タクミは肩をすくめた。
「海なんだから別にいいだろ」
「だよね」
リナはすぐに靴を脱ぐ。
砂の上に置いて、慎重に海へ近づいた。
波が来る。
足先に水が触れる。
リナの肩がぴくっと揺れた。
「……冷たい」
波が引く。
また来る。
今度は足首まで。
リナの表情が、少しだけ緩んだ。
「でも」
また波が来る。
水がくるぶしを包む。
「気持ちいい」
そのまま、もう一歩だけ踏み出す。
波と一緒に足元の砂がさらわれていく。
リナは小さく笑った。
「なんか不思議」
振り返る。
「ねえタクミ!」
「ん?」
「冷たいけど気持ちいい!」
完全に楽しそうだった。
さっきまで海を警戒していたのが嘘みたいだ。
波に足を取られないようにバランスを取りながら、子供みたいに笑っている。
タクミは砂浜に立ったまま、その様子を見ていた。
……楽しそうだな。
その笑顔を見ていると、自然と肩の力が抜ける。
ゴブリンロード。
ゴブリンキング。
キメラ。
そしてフェンリル。
気が付けば、ずっと気を張っていたのかもしれない。
そんなつもりはなかった。
だが今、こうして海を見ていると――
ふっと緊張がほどけていく。
⸻
リナがまた声をかける。
「タクミも入ってみなよ」
「どうするかな」
「気持ちいいよ?」
タクミは少し空を見上げた。
青い空。
広い海。
穏やかな波。
……まあ、いいか。
靴を脱ぐ。
砂の上に置いた。
リナが少し嬉しそうに言う。
「お、入る?」
「ちょっとだけな」
砂浜を歩く。
波が来る。
つま先に水が触れる。
冷たい。
――懐かしい感覚だった。
そのまま、もう一歩。
両足が海に入る。
波が足首まで届いた。
その瞬間だった。
――へぇ。
どこからともなく、声が聞こえた。
――なんかすごく強そうなのが入ってきたなぁ。
タクミの眉がわずかに動く。
隣を見る。
リナは波を見て笑っている。
「……ん?」
タクミが言う。
「リナ、今なんか言ったか?」
リナが振り向く。
「え?」
「いや」
「何も言ってないよ?」
きょとんとした顔だった。
タクミは少し首を傾げる。
聞き間違いか――?
その時。
また声がした。
――しかも人間かぁ。
――珍しいなぁ。
今度は、はっきり聞こえた。
タクミの視線が海へ向く。
……誰だ?
周りには誰もいない。
港の人影も遠い。
リナは不思議そうに見ている。
「どうしたの?」
タクミは海を見たまま、心の中で呟いた。
(……誰だ?)
すると。
ほんの一瞬、声が止まった。
それから――
――あれ?
少し驚いたような声が返ってきた。
――もしかして。
――僕の声、聞こえてる?
静かな海の奥から。
まるで
海そのものが喋っているようだった。
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