第50話『出発前夜』
夜。
バルゼの街は、昼の賑わいが嘘のように静まり返っていた。
宿屋の廊下を歩く足音は小さく、
灯りも最小限に落とされている。
タクミは、割り当てられた一室に一人でいた。
ベッドに腰掛け、
何をするでもなく、ただ天井を見上げている。
(……静かだな)
昨日までいた山の空気とは、あまりにも違う。
風の音もない。
殺気もない。
ただ、人が暮らすための静けさだけがある。
タクミは、意識を内側に向けた。
⸻
――Lv.65
HP:970
MP:961
ATK:961
DEF:961
SPD:961
INT:961
LUCK:999
スキル
ラッキーステップ
ラッキーストライク
ラッキーフロー
⸻
表示された数値を見て、
タクミは小さく息を吐いた。
(……上がりすぎだろ)
ゴブリンキングを倒した時でさえ、
ここまで跳ねた感覚はなかった。
(フェンリル……)
名前を思い浮かべるだけで、
胸の奥が、わずかに重くなる。
正直に言えば――
勝てると思っていなかった。
途中まで、
いや、最後の最後まで。
(殺されるって、何度も思った)
剣を振るたびに、
回避するたびに、
「次はない」と思っていた。
それでも――
(終わってみたら、こうだ)
自分は生きている。
フェンリルは、もういない。
山の王の記憶とフェンリルの魔核だけが手元に残っている。
(……強くなった、んだよな)
否定しようがない。
数値も、感覚も、
もう以前の自分とは比べ物にならない。
魔物を倒すために剣を振る。
自分が成長するために剣を振る。
そんな段階は、とうに過ぎてしまった。
(……リナとの手合わせも、どうしよう)
フェンリルの言葉が、ふと脳裏をよぎる。
――王に届いた。
その意味が、
今はまだはっきりとは分からない。
ただ一つ確かなのは、
自分はもう「戻れない」ということだった。
⸻
昨日からずっと、タクミは考えていた。
フェンリルを討伐したことが、果たして良いことだったのか……と。
フェンリルは山の王だった。
被害を受けた側でもあったはずだ。
怒るのも当然で、目の前に人間がいれば殺そうとしてくるのも当然だった。
本当は、もしかしたら。
刃を交えずに済む道もあったのかもしれない。
ただ、少なくともあの時タクミが戦うことを選んだのは、
「世界の真価に触れる」という目的があったからでもある。
ただの私利私欲で、山の王を失わせてしまったのか――
タクミは、自問自答を繰り返していた。
それでも、これももう「戻れない」。
⸻
隣の部屋から、
微かな物音がした。
リナだ。
話そうと思えば、話せた。
声をかけようと思えば、かけられた。
でも、タクミはそうしなかった。
(……明日でいい)
今日は、
それぞれがそれぞれの時間を過ごす夜でいい。
(リナは、俺のことを変わらず見てくれているだろうか……)
ふと、不安になる。
リナには「遠くに行った感じ、した」と言われた。
そんなことはない。
――そう思いたい。
けど、ステータスはそうじゃない。
(でも、俺はリナがいてくれたおかげで、今日も生きてる)
タクミは立ち上がり、
装備を壁に立てかける。
シルヴァリオンもまるで寝ているように見えた。
(海か……)
海の王、アビス。
姿も形も分からない存在。
戦うのか、話すのか、それすら分からない。
ただ――
まがりにもフェンリルを倒してしまったのだ。もう止まることはできない。
(行く理由は、十分だ)
タクミは、灯りを落とした。
布団に身を沈めると、
疲労が一気に身体を包み込む。
意識が、ゆっくりと遠のいていく。
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