第48話『手を伸ばせば、届く距離』
夜は、静かだった。
宿屋の一室。
灯りを落とした部屋に、リナは一人でいた。
ベッドに腰掛け、背中を壁に預ける。
剣も、杖も、すぐ手の届く場所に置いたまま。
(……眠れないな)
疲れているはずだった。
身体も、魔力も、きっと限界に近い。
それでも目を閉じると、
あの光景が、何度でも蘇ってくる。
⸻
山の中腹。
フェンリルと、タクミ。
(……あの背中)
戦いが始まった瞬間、
リナははっきりと理解してしまった。
――自分は、入れない。
強いとか、弱いとかじゃない。
危険とか、安全とかでもない。
ただ、
あそこはタクミの場所だった。
フェンリルと向き合った時の空気。
一歩踏み出すたびに変わる気配。
(あんな戦い方……知らない)
速さでもない。
力押しでもない。
でも、確実に――
死から一歩ずつ、遠ざかっていた。
(……どうして)
どうして、あんなふうに動けるのか。
避ける瞬間。
踏み込む距離。
迷っているようには、見えなかった。
(考えてないわけじゃない)
(でも……悩んでない)
それが、怖くもあった。
⸻
途中から。
ほんの、途中から。
タクミの動きが変わった。
説明できない。
でも、見ていれば分かる。
(……あ)
そう思った瞬間には、もう次の動きをしている。
(今、そこ……?)
フェンリルの爪が空を切り、
タクミはそこにいない。
逆に、
「今、ここで斬るんだ」と思った瞬間には、
刃が届いている。
(……ズルい)
心の中で、そんな言葉が浮かんで、
リナは自分で驚いた。
(何よ、それ)
(ズルいって……)
彼が強くなったことが、悔しいわけじゃない。
頼りなくなくなったことが、寂しいわけでもない。
(……じゃあ、なんで)
答えは、分かっている。
分かっているけど、
まだ言葉にしたくなかった。
⸻
最後の一撃。
深く刺さった短剣。
それでも倒れないフェンリル。
(……終わらない)
そう思った瞬間。
何かが、噛み合った。
理由は分からない。
でも、はっきりと感じた。
(今のは……)
(タクミにしか、届かない一撃)
フェンリルが崩れ落ちた時、
リナは息を止めていたことに気づいた。
⸻
フェンリルの最期。
「……まだ、名を聞いていなかったな、人間」
あの声。
(認めたんだ)
敵としてじゃない。
獲物としてでもない。
一人の存在として。
そして――
その場に立っていたのは、タクミだけだった。
(……遠い)
そう思って、
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
(でも)
リナは、ゆっくり息を吐く。
(離れたくない)
理由はいらない。
名前をつける必要もない。
ただ、
隣にいたい。
それだけだった。
⸻
ベッドに横になり、天井を見る。
隣の部屋には、タクミがいる。
壁一枚。
手を伸ばせば、届きそうな距離。
(……明日も、一緒に歩く)
それでいい。
今は、それでいい。
まだ追いつけていなくても。
まだ同じ景色を見ていなくても。
(見失わない)
心の中で、そっと誓う。
夜は、静かに更けていった。
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