第41話『山の王、踏み込む』
フェンリルは、動かなかった。
それだけで。
山そのものが、王にひれ伏しているように見えた。
空気が重い。
呼吸が浅くなる。
(……違う)
タクミは剣を構えたまま思う。
(今までの敵と、根本的に違う)
強い、ではない。
危険、でもない。
――格が違う。
「人間」
フェンリルが口を開く。
低く、岩を擦るような声。
「ここまで来て、なお剣を向けるか」
「向けてないと、殺されそうだからな」
タクミは小さく笑った。
フェンリルの金色の瞳が細まる。
「正直だ」
次の瞬間。
視界からフェンリルが消えた。
(――速ッ!?)
反射的に後ろへ跳ぶ。
だが――
間に合わない。
死の気配が、首筋を撫でる。
その瞬間。
足が、勝手に動く。
後ろではない。
前へ。
フェンリルの爪が、
本来なら胸を裂く軌道で振り抜かれる。
だが。
タクミの体は、その内側に滑り込んでいた。
至近距離。
「な……」
フェンリルの息がかかる。
(ラッキーステップ……!)
タクミは反射的に斬りつけた。
――ガンッ!!
弾かれる。
衝撃が腕を突き抜け、骨が軋む。
(……通らない)
距離が開く。
遅れて、地面が裂けた。
「今のを躱すか」
フェンリルが低く唸る。
「偶然ではあるまい」
「俺もそう思いたいんだけどな」
タクミは息を整える。
心臓がうるさい。
(今のは……完全に死んでた)
(間違いなく発動したな)
フェンリルが歩き出す。
一歩。
それだけで圧が増す。
「来る……」
跳躍。
巨体が空を裂き、
影が落ちる。
(無理だ――)
避けきれない。
その瞬間。
(また来た……!)
足場の石がわずかに沈む。
そこに、自然と足がかかる。
体が流れ、回転する。
爪が、頭上数センチを通過した。
着地。
「ッ!」
遅れて衝撃が走る。
風圧だけで皮膚が裂ける。
(かすっただけで、これか……!)
フェンリルが振り返る。
「二度」
「二度、死を外した」
金色の瞳が、タクミを射抜く。
「お前は――運に守られているな」
「……それ、よく言われる」
三度目。
フェンリルが、“溜めた”。
空気が歪む。
(来る……!)
本命。
回避は――間に合わない。
(……発動しろ)
だが。
わずかに、遅い。
体の反応が鈍い。
“流れ”が、足りない。
(……発動しない!?)
尾が、地面を薙ぐ。
タクミは跳び、
転がり、
岩に叩きつけられながら距離を取る。
致命傷は、避けた。
だが。
(……いざって時には頼れないのか)
理解する。
ラッキーステップは、万能じゃない。
“噛み合う状況”でしか発動してくれない。
フェンリルが、わずかに首を傾げた。
「なるほど」
「お前は」
「運だけで立っているわけではないな」
「……褒めてる?」
「観察だ」
次の瞬間。
フェンリルの全身から、黄金の魔力が溢れ出す。
山が、鳴る。
「次は」
一歩、踏み出す。
「運が介入する前に、終わらせる」
タクミは、シルヴァリオンを握り直した。
刃は通らない。
勝ち筋も見えない。
それでも。
(……生きてる)
(まだ、立ってる)
その事実だけで――
十分だった。
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