第34話 『再会する学者、語られる白狼』
バルゼでの生活は、奇妙な安定感を伴って続いていた。
依頼は危険だが、理不尽ではない。
街は荒れているが、秩序は保たれている。
そして何より――命のやり取りが、まだ“制御できる範囲”にある。
「……山に近づく前の、嵐の前触れみたいだね」
朝の訓練を終え、汗を拭いながらリナが言う。
「わかる」
タクミも頷いた。
「この街、落ち着きすぎてる。逆に」
そんな会話を交わしながら歩いていた、その時だった。
露店通りの一角。
人混みの向こうに、見覚えのある姿があった。
「あれ……?」
タクミが足を止める。
細身の体。
前屈みの歩き方。
腕いっぱいに抱えられた書物と、くたびれた旅装束。
「……セリオさん?」
声をかけると、青年は肩を震わせて振り返った。
「……ああ!」
眼鏡の奥の瞳が見開かれる。
「君たちか。無事だったんだね」
「それはこっちの台詞ですよ」
タクミは軽く笑った。
「山に行くって言ってましたけど……もう戻ってきたんですか?」
「一旦、ね」
セリオは抱えた本を持ち直す。
「調査には時間がかかる。物資の補充と、少し確認したいことがあって戻ってきた」
リナはその足元に、一瞬だけ視線を落とした。
――汚れた靴底。
――乾ききらない土。
(……山に、かなり入り込んでる)
「立ち話もなんだ」
セリオが言う。
「よかったら、少し付き合ってくれないか。近くに静かな店がある」
⸻
案内されたのは、冒険者通りから一本外れた小さなカフェだった。
木造の店内。
窓際の席には柔らかな光が差し込み、外の喧騒が嘘のように静かだ。
「ここなら落ち着いて話せる」
そう言って、セリオは席に着いた。
注文を済ませ、飲み物が運ばれてくるまでのわずかな沈黙。
その間、セリオはじっとテーブルを見つめていた。
「……君たちに、少し頼みたいことがある」
口を開いたのは、コーヒーを一口飲んだ後だった。
「頼み?」
タクミが首を傾げる。
「簡単な護衛、というか……確認だ」
言葉を選ぶように続ける。
「山脈の外縁部に、妙な魔物の反応が出ている場所がある」
「調査依頼、ってこと?」
リナがすぐに言う。
「そう」
セリオは頷いた。
「深入りする必要はない。だが、私一人では確認しきれない」
「報酬は?」
タクミが聞く。
「学者の立場で出せる範囲だが……悪くはない」
セリオは小さく笑った。
二人は視線を交わす。
「俺たち、お金は大丈夫です。その代わり――情報が欲しい」
「情報?」
セリオはわずかに目を細めた。
「セリオさん、“山の王”に心当たりありますか?」
「……!」
一瞬だけ、表情が揺れる。
だがすぐに抑え込み、低く呟いた。
「……そこまで来ているのか」
「? どうしました?」
「いや、なんでもない」
セリオはカップに視線を落とす。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……フェンリルを知っているか?」
タクミは首を振る。
リナも同じように否定した。
セリオは一拍置いてから語り始める。
「伝説上の存在だ。白き巨狼。山脈の生態系の頂点」
静かな声で続ける。
「討伐記録は存在しない」
「……正確には、“成功例がない”」
「失敗例は?」
タクミが問う。
「山に入った者が、戻らない」
セリオは淡々と答えた。
「それだけだ」
リナは、わずかな違和感を覚える。
――語り口が、どこかおかしい。
――まるで“知識”ではなく、“実感”で話しているような。
「……フェンリルって、危険なの?」
リナが問いかける。
セリオは少しだけ考え込み、答えた。
「危険かどうかは、立場による」
そして、静かに続ける。
「少なくとも――完成された存在だ」
“完成された”。
その言葉が、妙に引っかかった。
⸻
「今日はここまでにしよう」
セリオは席を立った。
「依頼の件、考えておいてくれ」
店を出る直前、ふと思い出したように振り返る。
「君たち……思ったより、山に近いところまで来ている」
その意味を問い返す間もなく、
セリオは人混みの中へと消えていった。
⸻
「……ねえ」
リナがぽつりと呟く。
「何か隠してる」
「だろうな」
タクミもあっさり頷く。
「でも……完全に敵って感じでもない」
二人はしばらくその場に立ち尽くしていた。
山の気配は、確実に近づいている。
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