第五十三話 流れを奪え
このスポーツは、『流れ』のスポーツだと経験者は口を揃えて語る。
ムードに乗せられて打球がヒットゾーンに落ちる。逆に流れが悪い時にはジャストミートの当たりが野手の正面を突く。そんな非科学的なジンクスにも見えるこの現象だが、経験者ほどその存在を大真面目に肯定する。
特にこの育成段階、まだしっかりとした技術が確立されていない小学生の段階での『流れ』の力は絶大だ。本当に強いチームとは火力の高い打線をそろえたチームでも、絶対的なエースをマウンドに送るチームでもない。『流れ』を読み、それを制するチームだと………絢辻恭はそんな風に思っていた。
(まずは先制点だ。瑠衣……)
ネクストバッターズサークルから祈るように切り込み隊長の瑠衣を送り出す恭。裏の攻撃を辛くもなんとかゼロに抑えた金川にとってこの初回の攻撃の持つ意味は大きい。ここで高速の三者凡退などしようものなら、再び二回表に勿来第三の打線がエンジンのかかりきっていない彩音に襲いかかるだろう。
「プレイッ!」
投球練習が終わり、金川の攻撃が始まる。瑠衣はフッと息を吐き、まず一球目のインコースのストレートを見送った。
「ストライクッ!」
(…………球はそんなに速くない感じだよね)
勿来第三の背番号1を背負う投手は彩音と同じサウスポー。希少で出所も普段の右投手相手とは違い対策に苦労するチームは多そうだが、常日頃から練習で彩音と対戦している瑠衣にはそれほど脅威には見えない。
そして……
(内野が……下がったままだ……)
県北地区では瑠衣が打撃に立っただけで内野陣はソワソワし、これでもかというくらい前に来た。だが今内野手のポジショニングを見てもサードがセーフティバント警戒で少し前に来ているくらい。
(そっか………君達はボク達の次の相手……志賀ノ宮しか見えてないんだね)
金川はこれが創設以来初の県大会……データがないのも当然だが、瑠衣はプライドを傷つけられた気分になった。
「…………舐めんな」
二球目は外に外れてボール。三球目、腕の振りが急に緩まった。
ーー変化球。落ちる。
回転が見えた訳ではなかったが、瑠衣はリリースの瞬間そのボールがチェンジアップ系だと断定。塁に出るためのスラップ打法ではなく、甘えた変化球を思い切り引っ張る。打球は快音を残して一二塁間を抜けていく。
「オッケーこっちも先頭出たぁ!」
「続け続け恭!」
きっちりと仕事をした瑠衣はドヤ顔で恭からの称賛の拍手を受ける。その後監督のダミーのフリーサインをチラッと見た後、本命の恭からのサインの伝達に帽子のツバを触って了解のサインを送る。
(さて……どう瑠衣を進めてやるか)
一球目はセーフティでのバントの構え。ワンバウンドを見送ってボール。ノーアウト一塁のケースでの内野のポジショニングの形をずっと見ていた恭だが。
(うーん、流石に県大会出場してくるだけある。綻びはないなこれは)
試合前のシートノックを見ていても簡単に付け入れそうな隙は見せてくれなかった。地区大会とはやはり違う。
二球目は真ん中にストレートが決まってストライク。
判定に頷いてもう一度サインを瑠衣に送る。
(ーーここっ!!!)
三球目、ピッチャーの手からボールが離れた瞬間、瑠衣はファーストベースを蹴りスタートを切る。『行けたら行ってくれ』のグリーンライトではない、なんとしてもこの球で行けというディスボールスチール。
塁間の半分を到達したところから爆発的な加速を見せ、鋭いスライディング。その快速ランナーの瑠衣に対して、勿来第三のキャッチャーが放ったボールはセカンドのグラブのわずかに上を通りセンターに転がっていく。
「瑠衣!ゴーゴー!!ゴーだ!」
「三つっ!三つ!」
三塁コーチャーに入っている胡桃が一生懸命彼女にジェスチャーでボールのありかを伝え、三塁突入を指示。悠々と三塁を陥れてしまった。
「んぐっ………お前ズルっ……覚えとけよ。」
「さぁ?何のこと?」
相手キャッチャーは涼しい顔をしてすっとぼける恭をアンフェアだと言わんばかりに睨む。
恭は瑠衣の盗塁のアシストのために相手のキャッチャーの目線とボールの間にずっとバントの構えでバットを入れ、視認性を低下させ続けた。しかもバットを引くのではなく、ギリギリまで妨害ができるバント空振りを選択。ワンストライクは無駄にして追い込まれたが結果として捕手の暴投によるチャンス拡大に繋がった。
この夏、野球の方の全国大会ではその超強肩で一躍警戒対象になっていた恭。こんな感じの妨害はもう数えるのも億劫で鬱陶しいほど受けた。それでもこれは合法で、このスポーツの中にある技術として認められているのだから仕方がない。
恭もそれを認め、その対策を進めていくうちに身につけた姑息で小憎たらしい技術。初めてながら非常に上手くいった。
(さてノーアウト三塁、内野も外野も前進。外野フライでタッチアップさせて帰したいところだけど)
彩音の今の状態を見たら、できるなら一点とは言わずリスクを取ってでも複数点が欲しい。瑠衣に送ったサインはフリー。恭はチームバッティングではなくヒットを打って繋ぐ選択をした。
(このピッチャー、荒れてるように見えるけど高さは間違えないな。フライを打ちやすい高めには来なさそう)
ノーアウト三塁、この状況で……絢辻恭は腰から上のゾーンをヒットにすることを完全に捨てる。低いボールを拾って外野の頭を抜くことだけに集中する。
ワンボールツーストライク。追い込まれた四球目、狙っていた膝下のチェンジアップを体を泳がせながらミートする。少し詰まり気味の力ない打球だが、ポテンヒットがファーストの頭を超えてライトの前に落ちる。
瑠衣が悠々と先制のホームを踏んだ。
応援席からメガホンを叩く音が聞こえる。盛り上がるベンチに二本指を向けると再び会場がどっと沸いた。
やったことは盗塁アシストにポテンヒットと地味だが、序盤戦を流れを左右する一点をもぎ取ったことに恭は確かな手応えを感じた。
(いや、こっからだ。ここからガンガン崩していくぞ)
三番の梅津一心からサインを伝達される恭。梅津が送ってきたサインは……フェイクスタート。
「走った!」
恭のスタートに合わせて勘づいたファーストが叫ぶ。しかし前傾規制のまま急停止し、そのまま牽制球が送られたファーストにヘッドスライディングで戻る。
「セーフッ!」
「く、クソっ………」
まんまと演技に引っ掛けられたファーストは悔しそうに唇を噛む。たった一つのフェイクに掻き乱された守備の足が少しずつ宙に浮いていく。
恭のこの動きは決してセンスの賜物ではない。自分がやられて嫌だと思ったことをノートに書き留め、その走り出し方、止まり方、目線の切り方などをコーチと大真面目に研究した。努力の成果である。
二球目、今度はキャッチャーがあからさまに外し、大きく出た恭のピックオフを狙ってくる。しかしここでも間一髪でセーフだ。
「ウザいっ……マジでチョロチョロすんな、ウザい!」
「褒め言葉として受け取っておこう」
イライラを隠せないファーストをさらに優雅に煽る。いつの間にか、会場全体が恭に目線を向けていた。それは勿来第三の監督や野手、そしてバッテリーさえ。
ツーボールノーストライクからの三球目。ランナーの恭が今度は本当に盗塁のスタートを決める。それが左投手にはよく見えた。だから……ランナーに気を取られた注意力散漫な一球が、真ん中の腰の高さに抜けていった。
グワァキィィィィィンッッッッ!!!!
バッターボックスから聞こえた、ジャストミートの音。世界は……静寂に包まれる。
梅津一心が次に聞いた音は、センター後方のフェンスの後ろに打球が着弾した音だった。
「…………完璧だ、キャプテン。」
その美しい弾道のホームランに思わず三塁を回る恭も見惚れてしまう。県北大会のリベンジに燃える梅津一心の魂の一打だった。
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「すげえ!今大会第一号じゃね?」
「柵越えは初だ!しかもまだノーアウト……これは……」
「金川の上位打線の火力とんでもねえぞ」
梅津一心の芸術とも言える超高弾道のホームランにいまだに熱が冷めやらぬ会場。通りがかった人が食い入るように見つめ離れられない試合展開に、ギャラリーがどんどん増えてきた。
そんな試合をアップ中の志賀ノ宮ナインは柔軟体操をしながら見物していた。
「これは初回で決まったね。もう押せ押せムード……うわ、またランナー出たよ。クリス、コールドあるから早めにアップ終わらせないとかも」
「………これは、クリスも流石にびっくり。すごいね。」
「なっはっは!俺が第一号打って明日のスポーツ欄にデカデカ載りたかったのになぁ!」
始まった一方的な試合展開の予感に頭を抱えるのは副キャプテンの戸松雷人。相変わらずの無表情のまま称賛を送るクリスティーナ・春瀬。特徴的な笑い声でナインに走る緊張感を解きほぐす巨漢の四番、荒井洋文。
言葉は三者三様だが、視線を向ける人間は3人とも同じ。ホームランを打ち、この試合の主役に躍り出た梅津一心……ではなく、その前に出塁していた二人だった。
「あの一二番、ヤバいな。特に一番……あのスプリント力はちょっとこっちじゃ見ないレベルだろ。内野はだいぶ前にこねぇとな。」
「ピッチャーとしてはあの二番の方がヤバいよ。あれは脳みそでソフトボールやってくるタイプでしょ。何されるか分かったもんじゃない。」
「………クリスはああいうタイプの男の子、好きじゃない。一番……背番号8の子の方が好き。イケメン。」
「あの子女の子らしいぞ。」
「え………クリス、連絡先交換してくる。」
「試合中だぞ」
ーーー何はともあれ、この第一試合。金川は絶対王者の目にようやく留まったのだった。




