第五十話 三橋彩音の喪失 終演
その夜はこの辺りにしては珍しく静かだった。
窓の外には風の音すらなく、世界が止まったように感じる。その静寂の中で、電話の呼び出し音だけが規則正しく響いていた。
「そんなわけ………ない……」
返り血と涙でぐずぐずな顔。朦朧とした意識のまま、圭南子はおぼつかない足取りで受話器の前に辿り着く。
(お願い……お願い………)
願わずにはいられない。この悲惨な人生の終わりに、たった一つだけ希望があるのだとしたら。
電話が切れる前に、受話器を取る。
恐る恐る耳元に近づけた。受話器の向こうで、誰かが息を呑む気配。
「あ、あの……彩音です。圭南子居ます?」
「彩音……ちゃん………」
電話越しなのに、圭南子は思わず口を覆ってしまいそうになった。気を抜くと我慢できず嗚咽を漏らしてしまいそうなくらい、感極まっていた。
だが努めて冷静に、冷静に答える。
「どうしたの……こんな時間に」
「か、圭南子!良かった!その……あの……ウチ謝りたくて。い、言いすぎた!ウチ絶対親友に言ったらアカンこと言った!ごめんなさい……ほんまにごめんなさい!圭南子のことウチは一生大事にせなあかんのにっ……ウチはほんまにバカタレや!」
「彩音……ちゃん……」
彩音の謝罪を聞いた瞬間、胸の奥で何かが静かにほどけた。張り詰めていた糸が、音もなく切れる。
嫌われたまま終わるのだと思っていた。
拒絶されたまま、一人で消えていくのだと。
それは全く違った。
彩音ちゃんは、ちゃんとここにいる。自分の名前を呼んでくれている。
それだけで――もう十分だった。
「圭南子と……ずっと一緒にいたい!もしクラス替えになっても、休み時間になったら会いに行く!辛いことがあったらなんでも相談に乗るっ……だから……ずっとウチと一緒にいてくれ……」
大好きな人にこんなに愛されて、こんなに素敵なことを言ってもらえて。
ーーーでも、もう遅い。後戻りできないところまで自分は来てしまったのだから。
「彩音ちゃん……」
「はい……」
「彩音ちゃんが言ってくれたこと、すっごく嬉しい。けど………けどっ……お別れ、しないと、いかん」
言葉が、詰まる。涙を堪えながら、必死に言いたいことを、言の葉を紡ぐ。
「ありがとう、ウチと出会ってくれて。彩音ちゃんはずっとウチにはないもんを持ってて、ずっと憧れで……光、やった」
「圭南子……」
「ウチのこと守ってくれて、ありがとう。犯罪者の娘になって……全部が変わっても……彩音ちゃんだけはずっと一緒にいてくれて、戦ってくれた。それが……どれだけウチの生きる理由になったか……ほんまにわからん」
「圭南子っ!圭南子っ!!!」
「型抜き……また一緒に……やりたかったなぁ……」
最後の最後で溜め込んだ感情が決壊する。これが彼女と交わす最後の言葉だと思うと胸が締め付けられて、涙が止まらなくなる。
「圭南子っ!何があった!今すぐ行くからっ……お利口にしておって……」
「ーーーウチの分まで、楽しく生きて?」
それは……圭南子の本気の願い。大好きな親友に捧げる最後の祈り。澄んだ声で、一言一言を紡いでいく。
「友達をいーーっぱい作って……幸せに生きて?」
「やだ!圭南子以外の友達なんていらんっ!ウチは圭南子さえいればっ……それでっ……」
「自分の思った道を……歩き続けて。ブレないで……進み続けて……大好きな彩音ちゃんのまま……変わらないでいてね」
「圭南子っ!!!」
「さよなら……彩音ちゃん。大好き。」
そう言い残して……電話はガチャンと切られた。
彩音は涙を流しながら、猛烈に嫌な予感に襲われる。親に一言残していくのも忘れ、部屋着のまま家を出る。
(待ってっ………待って圭南子っ………行かないでっ……行かないでっ……)
サンダルが脱げて、裸足のままでも走り続ける。アスファルトで足を痛めても構わない。とにかく今は彼女の側にいたかった。
(ウチを……一人にせんでくれっ!!!)
いやな静寂。辿り着いたボロアパートの一階に、圭南子の家はある。
恐る恐る鳴らすインターフォン。数度の呼びかけにも出ない。ドアノブ持つと、鍵が掛かっている感触がない。
バタンと扉を開け……中に入った時にはもう。全てが遅かった。
「圭南子……か……?」
彼女は床に倒れていた。
手の中の刃物が、血に濡れていた。
もう、呼吸はしていなかった。
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ーーー彩音は自室に引きこもった。
第一発見者としての取り調べと、カウンセリング。それに協力した後は、何をする気も起きなかった。
食事ももう満足に取れていない。お腹が空いていても口に入れたところで全て戻してしまうのだからしょうがない。
「彩音……おるか。生きとるか。」
「ずっとここにおるよ。生きとるけど……死んでないだけ」
「そっか……」
ドア越しから父の声が聞こえる。父も母も、娘同然のように思っていた圭南子に起きた悲劇は随分と堪えたらしい。母親に関しては三日も伏せって寝込んでいたそうだ。
「学校は行けそうか……いや、無理か。」
「ごめん……むり。ウチは弱いわ。学校には……圭南子との思い出がいーーっぱいある。通学路もそうやし、グラウンドもそう。思い出の数だけ……つらくなってまう。」
生まれて今年で10年と少し。初めて口にした娘の弱音だ。
父親として、辛い状況にある彼女を、少しでも支えてあげたい、何かを変えてあげたい。そんな一心だった。
「オトンな、転職することにしたわ」
「転職……?」
「東北の片田舎やけど、ちゃんとした会社にコネがあんねん。オトンは今いる会社やめて、そこへ行く。彩音はすまんけど……転校してもらうことになるなぁ。」
圭南子の思い出のない、まっさらな新天地。そこに行けば、彼女はまた再始動できるかもしれない。だがそれは……この地に圭南子を一人で置いていく事と同義。圭南子の思い出というトラウマを乗り越えぬまま、逃げることになる。
だが、意外にも彩音はそこまで聞いた段階で部屋のドアを開けた。目のクマが酷く、ロクに寝られていないのだろう。だが……。
「ーーーウチは、友達いっぱい作って、楽しく生きなあかんねん。もっと強くなって……自分の歩く道が正しいって、証明せなあかん。」
その目の奥に灯る炎は、まだ死んでいない。
「………そこに行けば、ウチはやり直せるんか。圭南子に誇れる自分になれるんか。」
「それは……お前の努力次第や、彩音。」
夏休み後、四年生の秋にはもう金川小学校への入学手続きをすませ、彩音は転校した。
孤独が大嫌いな少女。だが残された心の傷は深く、最初は友達を作ること自体、恐怖感に苛まれできなかった。
そんな中、彩音はそこである少女と出会う。
「三橋彩音ちゃん!あなたには今日から、私たちのチームに入ってもらいます!ちなみに拒否権なし!」
まるでお日様の柔らかな温もりのような少女は、彼女の凍り閉ざされた心の扉をゆっくりと溶かして、こじ開けて行ったのだ。
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「おーい、おーーい。彩音ちゃん?またぼーっとしてる。」
「……………あ?」
「あ?じゃねえよ。お前が「だんだんデカくなるしりとり」とかいうわけわからん遊びやり出したんだろうが」
「今自由の女神ね」
「ミ!?み、み……み…………ミシシッピ川!」
「また大きさのピンとこないもんを……」
彩音の答えに対して、やいのやいの言いながら楽しそうに騒いでいる恭、未来、瑠衣。それに胡桃、志姫、そのほかのチームメイト。
今自分は、圭南子に誇れるような生き方が出来ているだろうか。あの娘の最後の願いを、実行できているだろうか。
ーーー答えはもう決まっている。圧倒的、花丸も追加したYESだ。
(圭南子、ウチはちゃんと、胸張って生きとるよ。)
秋のひんやりとした風が頬を撫で、一筋の涙が夕暮れの空に溶けていった。




