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あの日の約束を、同じグラウンドで。〜最強キャッチャーと少女たちの青春ソフトボール〜  作者: ジャスパー


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第四十六話 三橋彩音の喪失 序章

五話連続投稿になります。過激な描写がございますので読み飛ばしていただいても構いません。

 ーーー土曜日の練習を終えた帰り道。

秋の夕暮れは、昼間の暑さが嘘みたいに柔らかかった。


 オレンジ色に染まった空の下、四人並んで歩く影が長く伸びる。


「いやぁ今日の最後の投内連携ノック地獄やったなぁ……足まだガクガクしとるわ」


「お前な………彩音が大事なところでミスりまくらなきゃあんな地獄になってねえんだよ。ただでさえ志姫が下手くそなのにお前がミスったらそりゃ終わらん」


「やっかましいなぁ!ウチやって手ぇ抜いてるわけちゃう!」


 恭の苦笑い。未来のくすくす笑い。瑠衣の穏やかな相槌。どうでもいい会話が、ゆるやかに流れていく。


彩音はこんな他愛もない時間が大好きだった。


 ーーー誰かと肩を並べて歩く帰り道。

笑い声があって、沈黙があって、別に特別なことなんて何もない。


 でも。ひとりじゃない、それだけで十分だった。


 

乾いた秋の匂いが、風と共に髪を揺らして通り過ぎる。通り沿いの集会所の前を通りかかったときだった。


 ——ヒョォォ……ピィィ……


 横笛の音。続いて、太鼓の低い響き。


お囃子の練習だろうか。まだ本番には少し早い、ぎこちないリズムが夕暮れに溶けていく。

 

 ーーー笛の音が、風に乗ってどこまでも届く。


 どこか懐かしい旋律。胸の奥の、触れてはいけない場所をやさしくなぞるような音。


 赤い提灯。

 人のざわめき。

 甘い綿菓子の匂い。


 ——隣で笑っていた女の子。


「……彩音ちゃん?」


 未来の声に、はっとする。


「え?」

 

「ぼーっとしてたよ?」


 恭も瑠衣も心配そうにこちらを覗き込んでいる。



「……してへんよ。ちょっと、懐かしいなぁってな。………あはは、ノスタルジーってやつ?」


 そう言って、もう一度集会所の方を振り返る。笛の音は、さっきより遠く聞こえた。


 胸の奥に小さな痛みが残る。けれど、それはもう、息が止まるほどのものではない。


「お祭り、もうすぐだね」


 瑠衣が静かに呟く。


「せやな。今年も行くか?」


「行きたい!行きたい!唐揚げ!たこ焼き!」


「焼きそばは絶対食べるよね」


「いやいやりんご飴やろやっぱり!」


「お前ら食いもんの話しかしねえな」


 恭のツッコミにまた笑い声が広がる。彩音も心の底から笑った。胸の奥に残る小さな棘を抱えたまま、それでも歩いていけると知っている笑顔だった。


 夕焼けの空の下、大騒ぎしながら家路に着く。振り返ったらいつだって暖かい場所をくれる、そんなみんなが彩音は大好きだ。

 けれど……。



 ——圭南子。 (かなこ) 


 心の奥で、その名前だけが静かに揺れた。二年前、確か彼女と訪れた最後のお祭りも、こんな過ごしやすい秋の夜だった気がした。





 


 ▼△▼△▼△▼△▼△


 夏の名残を残した夕暮れだった。


 まだ空の青さが残る西の端に、提灯の灯りがぽつぽつと浮かび始めている。祭り囃子の太鼓が遠くから響き、胸の奥をくすぐるように震わせていた。


 ーーー落ち着かない。


 彩音は人生初のお着物袖をつまんで、小さく身じろぎする。


「この服………なんでこんな動きづらいねん。」


  草履の鼻緒が指に当たって痛い。帯はきついし、足も大股で出せない。いつもの短パンとスニーカーの方が百倍動きやすい。


 それでも我慢して頑張っておめかししたのは、これから隣を歩く親友に恥じない格好にしたいと思ったからである。


 待ち合わせ時間、5分前。待ち合わせ場所の神社の石段でそわそわと足元を見つめていると聞き覚えのある静かなエンジン音が近づいてくる。


 黒塗りの高級外車。運転席から出てきた父親が、後部座席のドアを開ける。


圭南子(かなこ)っ!」


「お待たせ……彩音ちゃん」


 淡い藤色の浴衣。髪はきれいに結い上げられ、小さなかんざしが揺れている。背筋をまっすぐに伸ばし、草履で音を立てずに歩く姿は、どこからどうみても大和撫子そのもの。


「………すっごい、お嬢様や」


「もう……からかわないの。じゃあお父さん、行ってくるね」


「あ!圭南子のオトンもおおきにっ!ちょっと可愛い娘さん借りてくな!圭南子の人生初のお祭り巡りや!最高の思い出にしたるからなぁ!」


 圭南子が彩音の発言にくすっと控えめに笑う。その口に手を当てる、たったそれだけの動作の品の良さに彩音は思わず見入ってしまう。


 ーーー住む世界が違う。


 そう思いながらも、昔からの家族ぐるみの付き合いの中で、圭南子はいつも変わらず隣にいてくれた。密かに憧れで、そして、目標でもあった。


 口髭を蓄えた圭南子の父に両手をブンブン振ってバイバイする彩音。元気いっぱいな彩音とお淑やかな圭南子という凸凹コンビは、二人仲良く並んで祭りの灯りの中へと歩き出した。



 屋台の通りは、人の熱気と匂いで満ちていた。


 焼きそばのソース。炭火の香り。甘い綿菓子の匂い。

 子どもたちの歓声と太鼓の響きが、夜の始まりを告げて、彩音たちを歓迎してくれる。


 道路にこれでもかと並ぶ屋台。その中で1番最初に圭南子の目に止まったのは意外なお店だった。


「彩音ちゃん、これ何?」


「これは型抜き。砂糖の板削るやつやね。お、こりゃちょーどええわ。見てみ!」


 彩音が圭南子に向かって指さしたのはこの型抜き屋の賞金表だった。毎年型抜き屋は出るには出るが、外れの年だとしょっぱい駄菓子が貰えるだけのところもある中で今年は現金。燃える小学生に大人までこの金のかかったチャレンジに夢中になっている。


「ええやん、今日の軍資金稼ごか。」


「見て見て彩音ちゃんっ。これ賞金10万円だって!これ成功したら凄くない!?」


「ノンノンノン、型抜きの高額賞金に釣られるようじゃまだ素人。ということでおっちゃん、この賞金1000円のやつ2つ貰うわ。」


「あいよ、600円ね。」


 財布から1000円札を取り出すと、お釣りと型抜き、それに爪楊枝をもらってニコニコな彩音。慌てて圭南子が財布を出そうとするが、彩音はウインク一発でそれを制する。


「じゅ、10万円の方いかんの?」


「あんなん完全にムリゲーやから。ウチは小1の時最初の型抜きで、ムキになって有り金全部溶かして身に染みたんや。夢を追うより次のお好み焼き代を浮かしたほうがよっぽどええって」


 破天荒に見えて嫌に現実的な彩音の姿は、搾取され尽くした過去の彩音の屍の上に立つものであった。


 圭南子の向かい側でスイスイと砂糖の板に爪楊枝を入れていく彩音。圭南子も真似して恐る恐る針を持ち形をなぞってみる。


 ーーーぱきっ。


「あ……」


 最初に爪楊枝を入れた直線は良かったが、次のカーブで夢破れてしまった。腹いせに割れた板をパクッと一口でいくが、それほど美味しいものじゃない。


「あははっ、やっぱり慣れが必要かぁ。どーする?もう一回やるか?」


「………もうやらん。彩音ちゃんはどこまで行ったん?」


「ウチ?ウチはもう……ラストスパートや!」


 そう言うと彩音は店主さんが見ていない隙を見計らって爪楊枝をこれでもかと舐め回す。突然の奇行に圭南子はびっくりするが、そのあとは器用に爪楊枝を動かし、あれよあれよという間に型を抜き切った。


「ほら!彩音ちゃん1000円ゲットや!」


「すごい………」


 ぱちぱちと手をたたきながらヒーローを見るみたいに目を輝かせる圭南子。彩音は少し照れ臭くなった。



 ▼△▼△▼△▼△▼△


 縁日は彩音の独壇場だった。

 

 射的をやれば百発百中。スーパーボール掬いでは袋がパンパンになるまでぶんどってきた。ボソボソの焼きそばを食べてたこ焼きを食べて、二人で肩を並べて縁石に座りながらりんご飴を舐める。


「か、かったぁ!くっそぉ、今ならイケると思ったんけどなぁ」


「ええ!?彩音ちゃん、この硬いの噛もうとしたん?歯が欠けてまうって!」


「りんご飴はこの丸ごと入ったリンゴを食う時が1番美味しいんよ……けど……まーだペロペロ舐めなあかんなぁ。」


「ふっ、ふふふっ……あははっ!」


 青春の甘酸っぱい味。彩音にとって圭南子が憧れで目標なら、圭南子にとって彩音はいつも未知を教えてくれる世界の案内人。習い事で雁字搦めになっている圭南子にとって、自由の象徴でもある彩音は本当に眩しかった。



 太鼓の音が近づいてくる。


 神輿の列が通りを進み、提灯の灯りが波のように揺れていた。その中で、横笛の澄んだ音が夜空に伸びていく。


 ヒョォォ……ピィィ……

 

透き通る音色。胸の奥をすっと撫でるような旋律。

神輿の周りで、祭り装束のお姉さんたちが笛を吹いていた。


「きれい……」


 圭南子が小さく呟く。深まった秋の夜空に提灯の光が溶け、幻想的で非現実的な光景がこの目一杯に広がる。彩音もそこから目を離せなかった。


「来年から……ウチらもあの神輿で笛吹くんやな」


「あ、そういえば笛のお仕事は四年生からか。じゃあこんなにゆっくり楽しくできるお祭りは今年が最後やなぁ」


「あっちで馬鹿騒ぎしながら笛吹きやんのも、圭南子と一緒なら絶対楽しいわ」


 彩音の手が圭南子の手に重なる。彩音は小指を差し出すと、圭南子もそれに小指を絡めた。


「来年もまた一緒にな。指切りげんまん」


「指切りげんまんね」


 空を見上げる。

 地上の喧騒とは対照的に、秋の夜空は、どこまでも静かだった。


 この時間が、ずっと続けばいいと――

 彩音は本気でそう思っていた。


 何も失わず、

 何も壊れず、

 このまま大人になれると信じていた。


 絡めた小指の温もりだけが、静かに胸の奥に残って……



 その夜、未来は確かに約束されたはずだった。

 

 

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