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あの日の約束を、同じグラウンドで。〜最強キャッチャーと少女たちの青春ソフトボール〜  作者: ジャスパー


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第四十三話 打撃の天才

 金川と岩代の合同合宿二日目。時計が午前11時を回った段階で、既に絢辻恭の身体は限界を迎えていた。


「ひゅー、ひゅー、はぁ……はぁ…」


「ちょっとぉ、練習はこれからが本番じゃなぁい。ランメニューでバテないでよぉ」


「す、すまん本当に。ただもうちょい時間くれ……」


  もう脚は鉛を流しこまれたみたいに重い。内臓は時折針を刺したみたいに痛むし、呼吸するだけで肺がキツい。


(な、何がフィジカルに差があるだ……あの大嘘つき。自分はピンピンしてるじゃねえか。)


 ブルペンで膝に手を置きながらへばる恭に対して爽やかな笑顔で同じポジションの未来と話す光俊。同じメニューを練習時間外からこなしながらこの差はなんだと嘆きが止まらない恭だ。


 だが一方で光俊もこれは痩せ我慢しているだけだった。隣で話す未来にはあまりにも余裕のない話し方や、時折来る脚の痙攣がバレている。


(だけど………こんな機会を休んで無駄にするわけにいかない。絶対だ。)


 そう、今日は千載一遇にも程があるチャンスが巡ってきた。朝に光俊が言っていたチームを混ぜた紅白戦、恭とバッテリーを組むよう指示が出たのは、岩代のエース四葉花凛だった。


 ふぅぅっと深呼吸して速すぎる鼓動を落ち着かせる。ピッチャーというのは存外キャッチャーのコンディションをよく見ているもの。そしてそれを理解した上で遠慮や余計な労力をかけないようなんでもないと気張るのがキャッチャーの仕事の一つでもある。


「問題ない。受けるよ。」


「ほんとぉ?ダメなら無茶しない方がいいわぁ」


「大丈夫大丈夫」


 初めて会ったあの日の練習試合から一緒にバッテリーを組んでみたいと熱望していた花凛。もう立ち投げの段階で目に見えてテンションが上がってニコニコしていた。


(………なんか年相応な女の子って感じで可愛い。すげえ愛らしく見えてきたぞ)


 どうしても得体の知れない不気味なオーラが先行する印象のある四葉花凛という女の子だが、時折見せるこの本物の笑顔が本当に可憐である。


「じゃあもう座っていいわぁ」


「あいよ」


「ストレート10球ねぇ」


「はいはい」


 ホームベースのその奥に絢辻恭が腰を下ろし、ミットを構える。その瞬間、それまでふわふわしていた足が地に根っこを生やしたような安心感が花凛の心を包む。

 どっしりとした泰然自若で自然な構え。だが構えたミットはいつも受けてもらっている皇成のものより体感何倍も大きく見えた。


(すごい。こっちからみて構えに気になるところが一つもない。どんなボールを投げても絶対に逸らさないって自信に満ち溢れてるみたい。ピッチャーにノンストレスで投げさせてあげたいって気持ちが伝わってくるわぁ)


 実際には恭はブロッキングを課題として練習中であるが、見え方の問題だ。これに関しては恭は意図して『見せ方』にこだわっている。ハッタリでもそれで投手が安心して良いボールを投げてくれるならそれで良い。


 花凛の独特の沈み込みの浅いクイックネスな投球フォーム。右手から放たれたボールが糸を引くようにアウトローにズバッと決まる。


 スパァァァァァァンッ!!!!!!


 まるで銃撃のような捕球音がグラウンドに鳴り響く。あまりの音にびっくりしてブルペンの隣でやっていたノックが一度止まったほどだ。


「ナイスボール。良いなやっぱり。実際受けると違うわ」


「……………」


 花凛は無言で、だが驚愕で目を見開きながら返球を受け取る。


(…………こ、こんなに違うのぉ?)


 己の右手を思わず見る。昨日とも一昨日ともそれほど変わらない華奢な腕。だが今のボールはなんだ。こんなの人生で放ったことのない威力のボールだ。


「も、もう一回アウトローねぇ」


「おっけ」


 恭はなんでもないかのように軽く頷くと、前のボールより半個分ボールゾーンに構えた。変わらず自信に満ち溢れた構え。自分は何も考えずそこに投げ込むだけで良いと見ただけで確信させてくれる捕手など今まで一人も出会ったことがなかった。


 スパァァァァァァァァァンッッッ!!!!


 先程と同様……いやそれ以上の捕球音が鳴り、脳から快楽物質がドバドバと分泌されるのを感じる。彼は自分のボールをただ捕ってくれているだけなのに、とてつもないエクスタシーが花凛の脳を支配していた。


「ひっ……ひひっ……はぁはぁ……」


「あ、あの花凛さん?だいじょぶそ?」


「へ、へーきよぉ。それより……次はやっぱりチェンジアップにするわぁ。」


「おお!一回捕ってみたかったんだよそれ!」


 岩代のスーパーエース、四葉花凛の必殺の決め球。花凛のチェンジアップといえばこの界隈では誰もが恐れる絶対的な彼女の武器だ。いずれは打ち崩さなければならない敵として、そして一人のキャッチャーとしてこのボールは是非見ておきたかった。


 前の2球と同じ浅い沈み込みから飛ぶようなステップ。腕の振りはストレートを投げる時よりもさらに鋭く強い。


 恐ろしく速い腕の振りから放たれたボール、その軌道は途中まで完全にストレートと同じだ。だがちょうどバッターの手前のあたりの距離で時が止まったような錯覚を覚えた。


(この軌道……こっち!!!)


 完全に空中で停止したところから右バッターに食い込む方向、左バッターからは逃げる方向に斜めに沈み込んでいく。恭は持ち前の反射神経と読みで身体を入れてワンバウンドのボールをミットに収め切った。


「すっげえ……マジで魔球じゃん」


 チェンジアップが来ると分かっていてもこの驚き。打者として対戦してこれが本当に打てるのかと言われたら全く自信がない。


「…………私のストライクゾーンからワンバウンドするチェンジアップ、初めてで完璧に捕った人なんて大人でもいないわぁ」


「へぇ……岩代のお姫様の初めてを頂けるなんて光栄だね」


「ほんと、つくづく驚かされるわぁ」



 ーーー恭は全く気づいていなかったが反対側の……一塁側のブルペンで投げていた彩音は遠くからでもきっちり目に入っていた。恍惚とした表情を見せた花凛が体の芯が痺れるような感覚に襲われていたところを。


(なんやねん気持ちよさそうに。ウチはガキのお守りやのに………旦那寝取られた気分で腹立ってきたわ)

  

 ストレスフリーで楽しそうに投げている花凛に対して彩音はイライラを隠せない。お気に入りのおもちゃを取られたような感覚もそうだが、やはりいつも受けてもらうキャッチャーと目の前のキャッチャー………岩代の正捕手である谷皇成とのクオリティの差が一番のストレスの原因なのは間違いなかった。


「すいません彩音さん!次は止めます!」


「………おおきに」


 (コイツなりに頑張っとるんは伝わんねんけどな)


 目の前の皇成が手を抜いていないのはわかる。とはいえこのポロポロしたキャッチングを恭や胡桃にされていたら怒りでピッチングどころではなくなるだろうが……。別のチームのキャッチャーということで彩音がギリギリ持ち合わせていた遠慮もあって、ここまで爆発せずに気性を抑え込んでいた。



 谷皇成というキャッチャーは、上手いか下手かと言われたら間違いなく下手だ。だがこのブルペンで20球ほど受けてもらって、不自然に感じることがないわけではなかった。


(アイツ、ウチのスライダーにビビらんかった。見たこともないボールのはずやろ)


 ウィンドミルという腕を縦に振って使う投げ方が主流のこのソフトボールという競技で、彩音の持つ横変化の球種は希少なんてものじゃない。特に小学生ソフトボール界隈に於いては突然変異とも呼べるものだ。


 このボールを初めて見たバッターもキャッチャーも、その変化量も切れ味に皆驚きや恐怖といった感情を彩音に見せる。それは現在の恋女房である絢辻恭であっても同じだった。


 だが彼は初めて見る彩音のスライダーに驚くこともなく、平然とボールの動きについてくる。下手くそなキャッチングではあったが。


(反射で捕ったような感じもせんし、目の動きがええんやろな)


 動体視力には非凡なものを感じるが、とはいえ……やはりそのほかのスキルがおぼつかなすぎる。


「おーいブルペン、メンバー発表されたぞ。一番谷皇成、九番三橋彩音な」


「はい!よろしくお願いします!」


(あ?皇成1番……!?こっちのチーム光俊も瑠衣もおるやろ。なんで?)


 それに対して皇成はさも当然のことのように受け入れている。二人の県トップクラスのリードオフマンを差し置いてのトップバッターに何の違和感もないのだ。それが彩音の目にはあまりにも不気味に映った。


 


△▼△▼△▼△▼△▼


 恭達白組はキャプテン同士の公正なジャンケンの結果後攻。まっさらなマウンドに四葉花凛がぴょんぴょんとご機嫌に飛び跳ねながら君臨する。


 いつものように5球の投球練習。だが割と適当に投げる彩音と違い、花凛は5球全て魂込めてミットに収めてくる。どっちが良いとか悪いとかいう話ではないが、性格が出てるなぁと恭は苦笑いだ。


「よろしくお願いします!今日は恭さんの胸を借りるつもりで頑張りますっ!」


「おう、よろしくな。」


 皇成がわざわざヘルメットを取ってキャッチャー、ピッチャー、審判に挨拶をしてから左打席に入る。礼儀正しいがその後のルーティンはゆったりと時間を使う。まるで何かのスイッチが入ったかのように雰囲気が変わった。


「プレイボール!」


 掛け声は主審を務める三橋コーチ。バッテリーが選択した1球目は……アウトローへの真っ直ぐだ。


スパァァァァァァァァァンッッッッッッ!!!!


「ストライークワン」


 気の抜けたストライクゴールとは対照的にその一球目のミットへの凄まじい着弾音は、このグラウンドに存在する全ての人間の視線を集める。


(ブルペンより相当良い。やっぱ良いストレートだ。)


 2球目は外へのボールゾーンにストレートの要求。花凛はその要求に完璧に応え、先ほどよりボール半分。ミットを一ミリも動かさない針の穴を通すコントロールで投げ込んでくる。


「ストライークツー!」


ボールの端っこがベースに掠っただろうか。どう考えても打てなそうなゾーンだが、判定はストライク。意図的にこの外のボールゾーンの出し入れをできる投手が、小学生段階で存在することに驚きだ。

 卓越した緻密なコントロールと絶対に投げ間違いのない変化球のキレ。この二つを武器にしたハイクオリティなピッチングが四葉花凛という投手を形作っている。捕手としてこれほどリードしがいのある投手もなかなかいないだろう。


(振ってこないな。ただ迷ってる感じもない。次何を投げるかな)


 もう一球同じところに投げてみても良い。だがここはあえて逆側。インハイのボールゾーンにストレートの要求。本番の試合ではなくあくまで紅白戦なので怪我をさせるリスクのあるところに投げるのはあまり良くないが。


(踏み込んでくんだろ……詰まらせる)


 要求したコースに、完璧なボール。全てが思い通りのボールのはずだった。


 だが前の2球と違ったのは谷皇成の打撃フォームだった。ホームベースを覆うようにゆったりと大きく脚を上げ、下半身に力をチャージしながらトップを形成。そこからインハイのボールに合わせて右足を着地させたその瞬間だった。


 身体を後ろに逸らすように、無理やり胸元のボールから距離を取る。そしてそこから凄まじいスイングスピードでボールをぶっ叩いた。普段の皇成の姿からは考えられない、荒っぽいスイング。だが正確に真芯でボールを捉える。


  ーーー乾いた破裂音がグラウンドに弾けた。


 


「嘘だろ……おい」


 インハイの難しいコースを思い切り引っ張った打球はライトの井桁の頭を軽々と超えていく。ライトオーバーに着地した後も勢いは衰えず、もう外野手が小さくなるほど転々と転がっていった。


「バックホー……くそっ!」


 井桁がボールを掴んだ時、もう既に皇成は三塁を回ってホーム突入態勢に入っている。間に合うわけがなかった。


「ホームインッ!」


「よっしゃぁぁぁぁ!!!」


 皇成の会心のガッツポーズ。それを恭は目を丸くしながら驚愕の眼差しで見つめる。



(オイ……花凛だぞ。四葉花凛だぞ?4年生が……しかもちょっと前までBチームだったやつがマグレでも打てるわけねえだろうが!)


 この日、ソフトボール界は初めて谷皇成の才能を知ることになる。卓越した選球眼に小柄ながらまさしくホームランバッターという豪快なスイング。


 四葉花凛、狩野光俊をして『打撃の天才』と太鼓判を押す谷皇成は、ここで初めてソフトボール界にその名が轟いた。


 

 

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