第四十二話 隠し事
ーーーそれはまさしく『楽園』だった。
部屋着で無防備なスタイル抜群の美少女達が、とびきりの笑顔を見せつけて楽しそうにお話ししている。男とはそんな尊い光景を見るだけで心が表れ癒されるものだ。
そんなモノローグが聞こえてきそうな恍惚とした気持ち悪い顔で女子部屋を覗いている男たちを冷ややかな目で恭は見ていた。
「とりあえず……お着替えシーンじゃなくて良かったか」
「なんだよ絢辻、結局お前も来るんじゃん」
「バカ共が血迷った真似しないか見張りにきたんだよ」
ドアの前に集まる彼らに小声で釘を刺す。もし突入でもされて妹達の楽しい時間がぶち壊されたらたまったものではない。
(会話はイマイチ聞こえねえけど……四葉花凛は約束を守ってくれてるか。)
チラッと見えた中の様子では、彩音が楽しそうにソフトボール2号球で握りを確かめていた。個別にこそっと教えてくれるだけでも良かったが、思った以上に大規模な授業になってしまったようだ。
と、恭が腕を組んで釘を刺しながら見張っていると、廊下の曲がり角の先から人の影が見える。するとひょこっと半分だけ顔を出してちょいちょいと手招きをする。一ノ瀬胡桃だった。恭はそれに応じて皆に気が付かれぬようそっと彼女の元に馳せ参じた。
「ちょっと何やってるんですか。覗きなんて見損ないましたサイテーです」
「誤解だ、俺は監視役。大体胡桃ちゃんなら俺が覗きなんてする理由ないのわかるだろ。」
「そうですね。ちょっと揶揄ってみただけです。」
恭であればあのメンバーなら普通に部屋に突撃しても全然許されるし、なんなら歓迎されそうである。
「お風呂に忘れ物したので取りに行ってたらこの有り様で……なんなんですか。部屋に入れないんですけど。」
「ああ……うん。ちょっとばかし待ってやってくれ。多分光俊とか梅津とかが戻ってきたらすぐ終わるから………って、あれ?」
まじまじと、改めて目の前の胡桃を見る。お風呂上がりの程よく濡れた髪。火照って湯気のたった白い肌。そして……なんと彼女は眼鏡をかけていた。
「…………め、眼鏡女子?」
「あぁ……私コンタクトなんですよ。お風呂入る時は外さないとなので、上がった後はいつもこれです。」
きゅううううんんんっぅっと恭のハートが射抜かれた音がした。知的でクールな胡桃のイメージにメガネは流石にブッ刺さりすぎた。さらにお風呂上がり限定というスーパー激レアシチュエーションの特別感。可愛い可愛いで頭が支配されて沸騰しそうだ。
「ぎゅーーってして撫で回していい?」
「頭カチ割りますよ?」
「ですよね……」
流石におさわりは厳禁。胡桃はぷいっと猫のようにそっぽをむいてしまった。
「仕方ないですね。先ほどいい場所を見つけました。そこで二人でお話ししません?」
「外出はダメって言われてたぞ」
「外じゃなくて、この宿舎のロビーの奥です」
そう言われ後を追って連れてこられたところにはテーブルが一つと長い椅子が一つ。少し古めだが逆にそのレトロな感じがしてこの宿舎の雰囲気にマッチしていた。
「お、意外とふかふか」
「失礼しまーす」
「おわぁぁぁ!?」
その座り心地に驚いていたのも束の間。恭の太ももに天使が潜り込んできた衝撃で悲鳴をあげた。
「え?え?なんで膝枕なんてさせてくれんの?頭かち割られるの?」
「なんでって。私が膝枕されたかったからです。可愛い後輩に甘えられて嬉しいでしょ?」
「それはもうすんごい嬉しい」
恭の膝の上で、胡桃は小さく息を吐く。
さらにただ頭を乗せるだけでなく、恭の太ももにほっぺをすりすりと擦り付けてくる。もちもちの肌の感触と自分への信頼が感じられて感無量だ。
(きゃ……きゃわうぃぃぃぃぃ!!!!)
その安心しきった顔を見るだけで1日の疲れが吹き飛んでしまう。あまりにも天使すぎてこのまま膝の上に乗せて家まで持って帰りたい。
「ねぇマジで………なでなでしちゃダメか?」
「は?」
「ですよね。すいません。」
「ふふっ、嘘です。頭と……あとほっぺくらいなら許してあげます。特別ですよ?」
「マジで!?さっきはあんなに嫌がってたのに?」
胡桃の機嫌はまるで気分屋な猫ちゃんのよう。とにかく今は上機嫌でお触りもいいらしいのでお言葉に甘えて優しく彼女の顔や頭に撫でるように触れる。
「可愛いなぁ。胡桃ちゃんは本当にめんこいなぁ」
「ふへっ……ふふっ。くすぐったいですってば。」
「可愛すぎる!世界一可愛い!」
「未来さんより?」
「うーん、どっちも世界一だ!」
「ダメです。私を世界一にしてください。」
一ノ瀬胡桃はその控えめそうなビジュアルに似合わず、デレてからは本当に大胆極まりない。思ったことは憚らずに口にするし、いい意味で空気を読まずに我を通せる。その唯一無二の性格が、後輩として可愛くてたまらなかった。
「ところで………」
膝枕は未だ継続中だが、その胡桃の切り出しでじゃれあいの雰囲気が一気に真面目なものになる。
「岩代のキャッチャーに色々教えてるらしいじゃないですか。お疲れ様です。」
「あ、うん。色々あってね」
「恭さんは私だけの先生じゃないんですか?」
「おほっ……そんなこと言ってくれんの?辞めちゃおっかな、皇成に教えんの辞めちゃおっかなぁ!」
「ダメです。花凛さんと約束したんでしょ。契約は誠実に守らないとです」
胡桃は恭のほっぺをつねりながら釘を刺すが、それすらも恭は嬉しそうに受け止める。本当に幸せそうなふにゃふにゃの顔を見て胡桃も頬が緩む。
「そういや胡桃ちゃん、皇成にだいぶビビられてたぞ。話す機会があったら優しくしてやりな。」
「………善処しますが」
胡桃の顔が一気に渋い表情に変わった。
「私、あいつ苦手です。というか……怖い。得体が知れません。絶対に何かを隠している人間の挙動をしてるんです。」
「何か隠してる……?裏表なくてすげえいい奴だなぁって思ってるんだけど」
「そもそも……あのキャッチャー守備の実力で岩代の正捕手に収まってること自体、異常だと思います。いくら正捕手が抜けたとはいえ、岩代は全国クラスのチームですよ」
触り心地の良い胡桃の乾きたての髪を撫でながら、恭は朝に光俊が言っていたことを思い出す。
『秋になってBチームからの新戦力の突き上げもある。間違いなくパワーアップしているんだ。』
だが恭の見た限りだが、岩代のメンバーで変わっているのは皇成ただ一人のみ。もしかしたら印象に残っていない控え選手の入れ替えがあったのかも知れないが、光俊がこれほど自信満々に言うほどのことだろうか。
(そうなんだとしたら……皇成にはポテンシャルだけじゃなくて、現時点でも前の正捕手を上回る何かがあるってことなのか。)
理屈で詰めて考えれば、自ずとそういう答えになる。恭も胡桃の感じていた不気味さを共有することができた。
「そもそも……恭さんはその頃には卒業してるから良いかもしれませんが、『成った』あの人と戦わなきゃいけないのは私たち4年生ですからね。後輩達のためにあんまり教えすぎないでください。」
「大丈夫だよ。そん時には俺が育て上げた胡桃ちゃんが皇成を超える化け物になってるはずだから」
「女の子に化け物はやめてください」
その後しばらく膝枕のまま戯れあって、そのまま胡桃を部屋まで送った。案の定というか……長居しすぎた覗き魔達が風呂から戻ってきた両キャプテンと監督コーチ達にガチで怒られていた。
合同合宿1日目はそんな喧騒の中で幕を閉じた。
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次の朝、恭が目覚めたのはまだ日も上りきっていない5時前だった。
「井桁のいびきうるっせぇ……よくみんな寝てられるな」
起床時間の6時半に合わせて二度寝に洒落込もうかと思ったが、隣に寝ていた井桁遼太郎の地鳴りのようないびきがあまりにも気になって眠れない。寝起きから1分ほど経ったらもう既に目は冴え渡ってしまっていた。
暗い部屋全体を見回す。すると一つだけ綺麗に畳んで上に枕が乗っている布団を発見した。
「………あそこ、光俊の。アイツもう起きてんの。」
よく音を聞いたら裏のグラウンドから誰が走っている靴の音がする。こんなお天道様もまだ休んでいるような段階から朝練を始めているのか。
恭は手早く練習用のジャージに着替えると、軽い足取りでグラウンドへ駆けていく。すると予想通り、狩野光俊がグラウンドをグルグルとマラソンしていた。
「…………絢辻。早いな」
「お前は早すぎるわ。ていうか外出は禁止じゃなかったか?バレたら怒られんじゃねえの?」
「問題ない。もう昨日の晩から監督コーチ達の許可は取ってある。ボールやバットを使わなければ良いらしい。」
「なんでまた長距離走なんだよ。昨日も嫌ってほど走っただろ。マゾか?」
と言いつつも恭は光俊に並走する。心なしか隣に並んだ途端にペースが少しだけ速くなった気がするが気のせいだろうか。
「…………俺は今、危機感を覚えている」
「危機感?」
「本当にこのタイミングで合同合宿をしたのは正解だった。昨日の練習で改めてお前らと俺達のフィジカルの差が明確に出たと思う。ウチの連中は午前中でもうヘトヘトだったが、金川の選手達は案外ケロッとしていた。」
「そりゃ……普段からやってるからだろ。危機感ってほどのもんじゃない。やってる練習の、種類の差でしかない」
恭は持論を述べるが、光俊はそれに対して無言で首を振る。
「今は俺たちがお前らより一枚上手かも知れない。だけど……これが半年後、来年になったら?技術の差なんてフィジカルの差に比べたら一瞬で埋まる。なんなら今日一日で埋まってしまうかも知れない。今のままじゃお前らに一回離されたら、2度と追いつけない。体力有る奴と無い奴じゃ、1日にやれる練習量が違いすぎるからだ。」
「…………極端な話だな。体力あったって疲れるもんは疲れる。時間は平等なんだからそんな練習量だって変わらないだろ」
「そうか?1日1日の積み重ねの量やクオリティの違いを甘く見積りすぎだ」
どうやら東北最強のショートストップは自分達のことを随分と高く買ってくれているようだ。本音を言えば本大会で戦うまでに岩代には自分達の力に驕って舐めに舐め散らかして頂きたかったものだが………一瞬たりともそんな緩みを見せる気は無さそうだ。
「それと………皇成が世話になっているみたいだな。ありがとう。チームにとってすごく大きな進歩だ。」
「なんのなんの。こっちもピッチャー陣が花凛に教わってるからな。お互い様だよ。」
皇成の話が出たついでに、昨晩の一ノ瀬胡桃の推測について、疑問を光俊に投げかけてみることにした。
「おいお前らさ、俺たちに皇成についてなんか隠してることあんだろ。」
「ほう?」
「とぼけんじゃねえよ。どう考えたって、将来性を見据えたって今の時期にあの子が県内最強チームの正キャッチャーやってんのはおかしいだろうが。何か裏が有る。」
「皇成がキャッチャーをやらざるを得ないのは苦しいチーム事情からだ。こちらも頭を抱えて切羽詰まっている問題だとも。だが……」
ずっと硬い表情で話していた光俊の口角がわずかに上がった気がした。
「まあ、隠していたというより披露する機会がなかっただけ。今日は午後にチームをミックスした紅白戦があるだろう。そこで嫌というほど見ることになるはずだ。」
ーーーやはり何か裏はあったらしい。胡桃の推測は正しかった。あの小さな身体の4年生に何ができるのかはまだわからないが、警戒は厳としておいた方が良さそうだ。
「おい、長距離走じゃなくてポール間競走やんね?正直お前も飽きてきただろ」
「正気か?俺にスプリント勝負を挑むとは。そんなに負けを叩き込まれたいのか。」
「いやいや、やってみなきゃわかんねえじゃん。もしかしたらボコボコにして全部勝っちゃうかもよ?」
「上等だ。かかってこい。」
グラウンドの端で、全力疾走を始めた負けず嫌い二人。
案の定というべきか、だんだんエスカレートしていった加減を知らないバカ二人は朝練の段階で今日の体力全てを使い果たす勢いでポール間競走の本数を重ねていった。




