第四十一話 恩に応えるということ
日没で練習を切り上げた恭たち居残り組五人。汗まみれの練習着を洗濯に出し、着替えをしていたらすぐに夕食の時間になった。
ここは合宿所であって旅館ではない。お料理は流石に出ず、岩代金川両お母さん達によるカレーが振る舞われた。
合計お鍋6個。みるみるうちにご飯もルーも育ち盛りの腹ペコ小学生達のお腹に消えていく様は圧巻だった。いつものように恭の両隣には瑠衣と未来が……今日は瑠衣だけしか居なかった。その代わりに右にはメモ帳を持った皇成が陣取る。未来は岩代の男の子達の憧れのアイドルとして遠くの方でめちゃくちゃモテモテだった。
(あの中に未来の将来のお婿さんがいるかもしれないと思うと吐き気がしてくるな。どんな馬の骨とも知らない奴に妹は絶対やらんぞ)
「あ、あの……恭さん?遠くの方をじっと睨んでどうしたんです?」
「あ、悪い。えっとなんだっけ。配球のことだっけ。」
「そうですよ。普段どんなふうに試合で組み立てをしているのか、考え方をお聞きしたいんです。」
皇成はグラウンド外でも先輩キャッチャーである恭から少しでも吸収しようと張り付いて質問攻めにしている。成長のために貪欲に、そして変なプライドを持たずに攻め込んでくる皇成の姿勢はたいへん高評価だ。風太郎は同級生のこの姿を是非見習ってほしい。
と言っても困ったことに配球は今まさに学んでいる最中の恭自身の課題でもある。教わるなら絶対に胡桃ちゃんに聞いた方がいい。そのことを伝えたら皇成はとても苦々しい表情を見せた。
「あの子……すごい苦手なんです。目が怖いというか、私に近づくな的な雰囲気を感じて……」
「なんとなくわかる気もする」
今でこそ打ち解けて目に入れても痛くないくらい可愛い胡桃ちゃんだが、ツンツンしていた頃は恭もかなりビビっていた。その目から放たれる冷気にあてられるだけですいません許してくださいと反射的に口走ってしまうくらいには恐ろしいものだが、本人的にはそこまで敵意があるわけではないらしい。鋭い目は生まれつきですとケツを蹴られたこともある。うーん、やはり怖い人なのではないか。
夕食の後は待ちに待ったお風呂。男子は多すぎるのでいくつかの班に分けて交代交代で入ることになる。順番的には最後の班で、汗で痒い体を我慢しながらのんべんだらりとミットを磨いていた。
「恭さんってグラブオイルは何使ってるんです?やっぱり一流は高い奴ですか?」
「そんなわけ。ただの色付きの安い奴だよ。こっちにくる前は家に金もなかったから高いやつなんて買えないし。大事なのは値段より管理の仕方だ。毎日欠かさずやるとキャッチャーミットがいざって時応えてくれるぞ」
「覚えておきます!」
相変わらず皇成は部屋に入ってからもずっと恭をピッタリマークするように過ごしていた。なんというか……皇成は太鼓の持ち方がとても上手い。抜群のその後輩力でこれだけ付き纏われてもあまり不快感がなかった。
「B班風呂上がったぁ」
「うん。C班、風呂行こうか」
先に風呂に入っていたB班が戻り、光俊や梅津のいるC班がゾロゾロと風呂に向かう。両チームのキャプテンがこの部屋からいなくなった瞬間、大人しくテレビのバラエティを見ていた小学生達が一気に騒がしくなる。
「絢辻!皇成!お前らもちょっと来い!」
「い、いきなりなんだ……?」
呼びかけてきたのは確か岩代のセカンドを守っている白山くんだったか。手招きに応じて合流すると、示し合わせたようにぐるっと輪ができた。皆真剣な面持ちで互いの顔を見合わせている。あまりに張り詰めた空気に恭はごくりと息を呑む。
「おい………これなんの集まりだよ」
「決まってんだろ……あんだけ華やかな女の子達が同じ屋根の下にいるんだぜ。行くだろ、覗き。」
「………」
思った三十倍くらいアホな答えが出てきて恭は思わず言葉を失った。数秒前までの討ち入り前みたいな覚悟の決まった表情はなんだったのだろう。
「いやいやいや、許さんぞ!覗きなんて低俗な行為はおにいちゃんとして阻止させてもらう!」
「それだそれ!絢辻お前……あの未来ちゃんと一緒に住んでるらしいじゃねえか。」
「家族だからな」
「お風呂上がりの未来ちゃんのハダカとか日常的に見てんだろ?羨ましい。」
「見てるわけねえだろ、はっ倒すぞ」
実際ラッキースケベな現象は一度あったので完全に否定はしきれないのだが。
「別にお風呂覗こうとか言ってんじゃないぞ?美少女が集まって何話してるのかなぁとか、ワンチャン俺たちと遊んだり話したりしてくれねえかなとか」
「僕トランプ持ってきたよ!」
「コイツら………」
「予防線が余計にキモいっすね」
鼻息が荒い割に目標が控えめな感じが一層の小物感を際立たせる。同じチームの先輩だが皇成もかなり蔑んだ目で覗き魔達を見ている。わざわざ口うるさいキャプテンがいなくなったのを見計らっていくあたりもかなり残念だ。
「じゃあ……出陣か」
「出陣じゃねえよバカどもが!」
流石に妹のプライバシーの危機を見逃すわけにはいかない。恭と皇成は苦々しい顔をしてテンションマックスの覗き魔達についていくことになった。
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Aチームに上がってからのこの何週間で、五十嵐志姫は本当に人生が変わってしまったと感じていた。
顔を合わせてもその格の違いから天でも見上げている気持ちになっていた同級生達とも今では友達としてなんの気兼ねもなく喋れている。最初からそんな壁などなかったのは志姫も承知の上だが、彼女自身の心持ちの問題だった。
ただ………それが裸の付き合いとなると話は別だ。お風呂とは服を取っ払って全てを曝け出すのと同意義だと志姫は思っていた。ずっと友達が居なかった志姫の人生で友達と入浴なんて経験は一度もない。五人の女の子がキャッキャと楽しそうに話す輪に入りながらも、勝手に疎外感を感じていた。
「………志姫ちゃん大丈夫?今日いっぱい走ったから疲れてのぼせちゃった?」
「へぁ!?う、ううん。そ、そんなことないわ!」
「そう?初めての合宿なのにすごいなぁ」
「え?あ……うん、そうね。うん。」
せっかく話しかけられても上の空の志姫。彼女の視線は話しかけてくれた未来の水面にぷかぷか浮かぶ豊かなバストに釘付けだ。
(お、おっきすぎない?服着てる時もすごいのは分かってたけど脱ぐとさらにヤバいわよこれ)
自分も特に見られて恥ずかしい容姿はしていない自負があるが特に同級生3人のボディは別格。今しがた休憩とばかりにお湯から上がった彩音の肉体には、隣で入っていた花凛さえも感嘆の声をあげる。
(あ、脚なっがぁ!腹筋もバキバキ……モデルさん?)
その美しい長い銀髪を指先で撫でる姿は本当に神話に出てくる女神様のようだ。
「…………」
「おおなんや胡桃ちゃん。もしかしてウチのごっついチチにジェラってもうたんか?大丈夫やって、胡桃ちゃんのぺったんこでも絶対貰ってくれる男はおるから」
「誰がぺったんこですか。私はまだ成長期が来てないだけですから。知ってますか?大器というのは晩成するのですよ?」
「ちなみに未来が胡桃ちゃんくらいの時はもう結構あったと思うんやけど」
「全然殺しますけど?」
この中での最年少、一ノ瀬胡桃は彩音とバッチバチだ。歳上に対しても物おじせずに突っかかっていく。彩音としては単なるいつものじゃれあいだが、胡桃は割と結構気にしていた。
「しかしいいわよねぇ、同じチームに女子が五人って。羨ましいわぁ」
「やっぱり一人だと心細いのかい?」
「心細いってことはないけどぉ、やっぱり女の子には色々あるじゃない?もう一人くらい欲しいなぁとは思うところだわぁ」
花凛はこの中で唯一の別チームの人間だが、他四人との付き合いとしては志姫のようなニュービーと比較したらかなり長い。そしてその間延びした話し方は自然と聞くものの注目を惹きつけるものがある。
(よく考えたらもしかしてこの世代の女子ピッチャートップ2と一緒にお風呂入ってるかもしれないのよね。あ、改めてすごい世界に来ちゃったな……)
花凛はにやっと悪戯っぽく笑うとじーーっと瑠衣の方を見つめる。その吸い込まれそうな瞳に困惑した表情を浮かべる瑠衣はこてんと首を傾げた。
「な、なにかな。ボクの顔に何かついてる?」
「………すごぉく雰囲気が柔らかくなったわぁ。前はもっと王子様みたいで、オーラもトゲトゲしてたのに。」
「オーラって。相変わらず花凛は不思議ちゃんだなぁ」
みんな楽しそうに笑っている。その輪の中にいるはずなのに、どこか一歩引いた場所に立っている気がした。自分がそこにいることの場違い感。なるだけ主張をせずにやり過ごそうと卑屈な志姫は浴槽でぎゅっと縮こまる。
ーーーこんな風に疎外感を感じて困っている時、いつも彼が側にいて話し相手になってくれる。居場所をくれるのに。
「志姫ちゃん、ずっと静かねぇ」
「うわぁ!?う、ううん……ちょっと考え事してたの」
志姫は深い思考から急に現実に引き戻されびっくりしてその場で跳ね上がる。
花凛は志姫の真横に腰を下ろすと、気持ちよさそうに目を細めながら天井を見上げる。間近で見るまさにトップアスリートの彼女のしなやかで繊細な肉体。お昼ご飯の時はつい夢中になって話してしまったが、いまだに自分がこんなにすごい女の子と言葉を交わせているのが信じられない。
「つっかれたぁ………」
「そ、そういえば全体練習終わった後も花凛ちゃん達は自主練してたのよね。あんなに走った後なのにすごいわ……」
「ううん、あれは私じゃなくてウチのキャッチャーの練習。私はただ見てただけだわぁ。」
花凛は言葉を告げ終わると、急にマジマジと志姫の顔を見つめる。強烈な目力での至近距離からの視線に背筋がソワソワする。
「…………私、貴方にすっごく興味があるわぁ。」
「きょ、興味?私みたいな下手っぴに……花凛ちゃんが?」
「下手っぴだからこそ……ってことよぉ。だって貴方……」
花凛が耳元に近づく。彼女の妖艶な吐息が耳の穴に吹きかかり、こそばゆさで身体がビクッとなる。
「………どう考えても絢辻恭に特別扱いされているものねぇ」
「特別……扱い……?」
花凛は小さく頷いた。
「うん。そう、特別扱い。しかもとびっきりの特別扱いだわぁ」
耳に入ってきたワードが意外すぎて、思わずオウム返しするように聞き返してしまう。
「だってそうでしょお。今日見ただけだって、あの人は貴方が寂しそうにしてたらいつも駆けつける。ランニングもキャッチボールも、貴方が一人にならないようにずっと気を張ってるもの。特別扱い……超特別扱いだわぁ」
「特別扱いって……そ、それは……恭くんが私のこと……す、好きに見えるってこと?」
「そうじゃない。多分あの子は恋愛面でそんな風に気がきくことなんてできない。だから興味があるのよぉ。」
花凛はさらに肩と肩が触れ合う距離まで接近する。同性とはいえ流石に裸でここまで迫られたことは一度もない。
「気のせい……だわ。恭くんが私のこと気にかけてくれるのはいつも感じるのだけど……そんな……」
「じゃあこれ聞いたら納得するわぁ。さっき言ってた今日の自主練。敵に教えて塩を送るのを渋ってた彼、何をしたら首を縦に振ったと思う?」
「…………」
「貴方に私が変化球を教えること、その約束をしたわぁ。それまで頑なに譲らなかったのに、この話題が出た瞬間目の色が変わったの」
「………あ」
それは間違いなく志姫が大会終了後からずっと悩み続けて、壁にぶち当たり続けてきた問題そのものだった。
「交渉は成立したからぁ、今日の夜からでも貴方に全力で変化球を教えるわぁ。なんでも一つ、合宿期間中に覚えて帰ってもらう」
「ほ、本当に……?」
「ほんとよぉ。対価を代わりに払って来れたあの子にはたくさん感謝するのよ?」
「………恭くん」
彼は五十嵐志姫にとってかけがえのない恩人である。自分の人生を救って、見つけてくれた大切な男の子。これだけ友達も沢山いて忙しいだろうに、学校が終わると雨の日も風の日も自転車を飛ばして毎日自分のピッチングに付き合ってくれる。
そして………今回は彼女の成長のために彼の身を削って花凛との取引に応じた。
そう、志姫は彼に与えられてばかりでほとんど何も返せていない。間違いなく彼に言ったら否定されるだろうが、これが対等な立場だと誰に言えるものか。
「これじゃ……恩返ししてもしてもしきれないわよ」
口にしようと思っていなかった声が、思わず漏れ出てしまう。小声だったがそれを聞いた花凛は、甘ったるいニヤニヤした表情から一転、硬い真面目な表情に変わった。
「私も……たくさんの人に返しきれない恩があるわぁ」
「………え?」
「送り迎えして、いっぱいお金と愛情かけて育ててくれるパパとママ。ビニールハウスで冬場も投げれる場所を作ってくれたカントク。厳しく教えてくれるコーチ達。わがまま聞いてくれるチームメイト。みんな、私が恩返ししなきゃいけない人達。」
一つ一つ、目を瞑って頭に浮かべて噛み締めるように、愛おしそうに言葉を口に出していく。
「昔、その恩に潰されちゃいそうになる時があったわぁ。多分今の志姫ちゃんと同じ。みんなの期待に私はどう報いればいいのかなぁって。わからなくなった。」
花凛が長い脚を伸ばしてちゃぷちゃぷとお湯を掻く。どこかいつものふわふわした余裕な雰囲気とは違う、等身大の小学生の姿がそこにあるように見えた。
「でもね。その人達は私から直接何かしてほしいわけじゃないんだよぉ。私たちに求められてるのは、期待に応えること。強くなって、目の前のバッターを全力でねじ伏せる。結果を出す。これがいちばんの恩返しの方法なんだと、私は思うわぁ。」
「………それが、花凛ちゃんがこんなに強くなれる理由。戦う理由なのね。」
「そうよぉ。私はみんなに誇れる自分でいるために、一度だって負けるわけにはいかない。勝たなきゃいけない勝負を全部勝って、そしていっぱいの笑顔で周りを埋め尽くす。これをするためならどんなにキツイ練習だって乗り越えられるのよぉ」
少し前まで雲の上の存在でしかなかった敵のスーパーエース。けれどこうやって話していると、ちゃんと彼女も一人の人間で、周りの期待に押しつぶされそうな不安や悩みも持っているのだと安心する。
「上手くなって強くなって……恭くんのために勝つことに貢献するのがいちばんの恩返し、そうよね。」
「そうねぇ。それこそ悩んでる時間が勿体無いもの。練習あるのみだわぁ」
勝つためにライバルチームのエースに頭を下げて力をつける機会を得る。本来志姫が自分で、自分からやらなければならなかったことだ。だから……。
「花凛ちゃん。私に変化球を教えてください。お願いします。」
きちんと立って花凛の方に頭を下げて、志姫は改めて自分の口から彼女に教えを乞うた。




