第三十九話 秋、激突前夜
未来と、瑠衣と、そして自分。
ユニフォーム姿の3人は父の車に揺られながら、深い深い山道を行く。先ほどからずっと風景が変わらない、瑠衣と未来は退屈そうだったが、恭はこんなものでも人生初めての体験だ。
「…………すごいな、こんな山奥に合宿できるとこなんてあるのか」
「はは、山奥だからこそだよね。山奥は土地が安いから、グラウンドなんて恭くんが思ってる数倍広いと思うよ」
霊山というところを抜けて会場である月舘に到着。今日から三日間、ここで県大会前の一大イベントである秋の合宿が催される。例年は一泊二日のところだが、今年は都合よく連休が重なって三日間ということになったようだ。
そして今年は内容そのものも例年の合宿ではない。秋の予選前に監督同士で交わした約束、ライバルである岩代との合同合宿になる。
山の空気は冷たく、肺の奥まで澄んだ冷気が流れ込んでくる。土と草の匂いが濃く、都会では決して味わえない静けさがそこにあった。
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秋の福島県大会まで残り三週間。福島県北地区の代表三チームのうち、二チームがこの月館に集結した形だ。
まだ組み合わせは発表されていないが、春の全国大会に繋がる東北大会への切符は2枚。決勝で当たるようなトーナメントの配置でなければ、この両雄はやはり互いにどこかで立ち塞がることになる。
だが合同合宿は決行された。チームの情報が漏れるのを承知で、両監督はこの合宿がチームにとって実りが大きいと判断したのだ。
「けどライバルチームって言っても岩代に今年一回も勝ってなくね?圧倒的に格上だろ。得なのはどう考えても俺らだ」
練習前の柔軟体操をいつもの如く瑠衣とのペアで行いながら恭はこの合宿の意義について思いを馳せる。
組織的な攻撃力に優れた金川と、内外野の守備と投手力で圧倒する岩代。正反対のチームカラーだが、このまま三週間後を迎えてぶつかったら少なくとも岩代に負ける要素はない。岩代のエースである四葉花凛の多種多様な変化球と一級品のストレートに対して、全く対策を打てていないからだ。
「プロ野球とかでも、攻撃型のチームは長期的に見て強い。守備型のチームは短期決戦に強いってデータもあるしね。ボクたちもだいぶ成長したけど、トーナメントの一発勝負はかなり分が悪いかも」
「秋の予選から全試合完封してんだろ?ヤバすぎ」
自分達はこの秋で守備がかなりマシになったとは言え、県北大会初戦のような脆さがたまに見え隠れする。攻撃陣も前に岩代と戦った時からそれほど武器が増えているわけではない。実際好投手の赤桐英輔からは彼が降板するまで得点を奪えなかった。
「一体岩代の監督は何考えてんだ?わざわざ俺たちに塩を送ってくれるなんて」
「オレたちがここに来たのは、お前が目的だ。絢辻。」
「っ、狩野……光俊」
「光俊でいい」
瑠衣と恭の会話に割って入って来たのは、岩代のキャプテン。東北最強ショートと呼び声の高い狩野光俊だった。
(相変わらず小学生のくせにすげえオーラ。警戒アラートがバンバン鳴ってるわ)
偉そうな喋り方に尊大な態度。だがそれを不快にも思わせないほどの圧倒的な実力の持ち主。この秋も守りに攻めに八面六臂の大活躍だったと聞いた。
「しかし……俺が目的?なんでそんな」
「お前たちが俺たちをどう思っているのか知らないが、俺たちは金川とは正直やりたくない。その苦手意識の大半はお前なんだよ絢辻。」
「なんで!?俺そんなに嫌われるような事した?」
「お前の化け物みたいな肩でオレ達の自慢の機動力が潰されているんだよ。点取られなくても、こっちで点取れないなら結局最後の勝負は50%の抽選って運ゲーになるだろう」
つまり岩代の今回の合宿の目的は絢辻恭から塁を盗んで点を取れるようになる事。先ほどからやたらと岩代のチームの人間からの視線が多いと気になっていたのだが、まさか自分一人をターゲットにしてこれほどの人間が動くとは思っていなかった。
その事実を噛み砕いて……絢辻恭は不敵に笑った。
「じゃあお前らの目論見は失敗だな。マジもんの理不尽は何回見たって対策なんかできねえって教えてやるよ」
「秋になってBチームからの新戦力の突き上げもある。間違いなくパワーアップしているんだ。この前みたいにお前の好き勝手にはさせない」
「おもしれえ、上等だ」
バチバチに火花を散らすだけ散らして光俊はその場を後にする。どうやら両チームのキャプテンと監督コーチで一度ミーティングするらしい。梅津が苦笑いして光俊を迎えていたのが見えた。
「ちょ、ちょっと。相手は敵だけど一応これから三日間同じ屋根の下過ごす人たちなんだからね。あんまり敵作るような言動はやめてよね」
「わーってるよ。ちょっと小突いただけじゃん」
「もう……しょうがないなぁ」
「……………」
「な、なに?ボクに何か言いたいことがあるの?」
恭は何か腑に落ちない様子で瑠衣の顔をじっと見る。あまりの目力に瑠衣は赤面してモジモジしだした。
「お前今日の声めっ………ちゃいいな」
「こ、声!?」
「おう。なんか澄んでるっていうか透明っていうか……ツヤツヤしてる?よくわかんねぇけど、すげえ聞き心地いい。マジで」
恭はこの前の遠足を経て、二階堂瑠衣をただの友達としてしか見ていなかった以前より断然女の子を感じるようになった。彼女のいいところや可愛いところがより可視化されやすくなった気がしていた。
(顔も男っぽいわけじゃないし、体つきも女の子らしい瑠衣が女子にモテモテなのって、絶対この声だよな。この前母さんに聞いた『女子校の王子様』ってやつだ。)
今日の瑠衣はいつもより眠そうでちょっとだけ吐息多めで話しているのも相まって、ものすごいダウナーで艶やかな良い声が耳を幸せにしてくる。
「こ、こういうのが好きなのかい?」
「うん。めっちゃ好き。超好き。俺今瑠衣と喋ってるだけで幸せな気分」
「………大袈裟だろ」
思ったことは馬鹿正直にポロッとストレートに言ってしまう恭。瑠衣は照れながらも自然と口角が上がった。
(今日は朝から喉痛かったから控えめに喋ってただけなんだけど……そうなんだ。こんなのが良いんだ。えへへ……)
多分大して考えて喋ってもいなさそうな恭の顔だが、自分と喋ってるだけで幸せなんて言われたら、瑠衣もキャラじゃない舞い上がり方をしてしまう。
「今日の夜ご飯のおかず一品、恭君にあげちゃおっか」
「え?なんで?良いよ別に。食わんとおっきくならんぞ。お前ただでさえ軽いのに。むしろもっと食え」
「ふふん。今日のボクはすこぶる機嫌がいいからさ。」
そんな雑談をしながらストレッチしているうちに、キャプテン達が戻ってくる。時計を見たら練習開始の時間の2分前。梅津キャプテンの集合の号令に合わせて両チームの選手が集まって輪になる。
(うおっ……流石に2チーム合わせると人数やべえな)
改めて顔を見渡すとやはり岩代のメンバーは知らない顔ばかり。自分が人見知りだったのを思い出した恭は人知れず胃がキューっとなった。
「1日目は交流会も兼ねるということで、金川と岩代両チームの練習を交互にやっていく形に決まった。練習メニューはこちらですでに決めてある」
「ちなみに最初はどっちの?」
「金川の練習からだ。そういうことだから、準備してくれ」
梅津のその返答に皆苦い顔をしながら輪を離れる金川チーム。一方内容を理解できずに困惑する岩代チーム。対照的な2チームだったが、岩代もその表情の意味をすぐに理解することになる。
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ここ月舘グラウンドは福島市内からずっと山道を登ったその先にある、山を切り開いて開発した土地だ。だからと言ってはなんだが、高負荷のロードワークにはかなり適した土地である。急角度の坂は確実に疲労を脚元にもたらし、高い標高は少なからずジワジワと呼吸器系にダメージを与える。
そう、一発目のメニューは外回りの長距離走と坂道ダッシュ。金川ナインには定番の体力作りだ。
「お、お前ら………本当にシーズン中にこんな走っているのか?しょ、正気か!?」
「おう。坂ダッシュ五十本くらいなら平日でもやってる」
「狂ってる……絶対狂ってる。こんなの冬場の練習でもやらない………おえっ……」
息も絶え絶えになっている狩野光俊。いや、光敏は喋れているだけマシな方。6キロの長距離走を終えて間髪入れず急坂のダッシュを50本こなした岩代のメンバー達は皆完全に日陰でダウンしていた。
「絢辻お前……なんで平気なんだ」
「別に平気じゃないぞ、普通に結構疲れてる」
「普通に疲れてるで済んでるのがおかしいんだ!」
思えば最近は1日4試合やってもあまり体が疲れなくなった。8月に引っ越してチームに入ってきた時はこの走り込み量に正気かと疑ったものだが、この光俊の反応を見るに着実に実を結んでいたようだ。
「天下の最強チーム岩代さんが情けなくないかぁ?ウチの奴らなんか全然息も切れてないぞ?未来なんてあそこでもう逆立ちして遊んでるし。」
「あそこで地面に突っ伏して寝ているのはお前らのレフトの奴じゃないか?」
「………見なかったことにしてやってくれ」
軽口のつもりの煽りは光俊にすぐさまカウンターを返される。そして秋瀬風太郎は普通にバテ散らかしていた。
(風太郎はアレだったが……やっぱりフィジカルには差があるな。しかも結構な差だぞこれ)
パッと見ても岩代チームは線の細い選手が多い。いや、年齢を考えれば小学生としてはかなり恵まれたフィジカルなのだろうが、やはり『フィジカルは正義』をチームカラーとして掲げる脳筋集団には見劣りしてしまう。
だが岩代はそのギャップがありながら金川には一度も負けていない。その理由を、恭は次の練習で思い知ることになる。
「ウチはキャッチボールをしっかり時間をかけて行う。ただのウォームアップじゃない、きちんとした練習という意識を持って遂行しろ。」
岩代の強さの秘密、それは徹底した基礎練習の反復を日頃から意識して取り組んでいることだ。キャッチボール一つにしても片足を上げながらのスナップスローや当て捕りの意識。さらにゴロを転がしながらの捕球態勢のドリルをいくつか取り入れている。
(すげえ緻密なキャッチボールだ。しかもみんなちゃんと胸からコントロールが外れない上にボールが強え。これが東北最強って言われる守備力の秘密なのか)
金川の選手と隣に並んでいると、本当に雲泥の差というのが全く誇張じゃない。一番大きい違いは投げているボール。山なりなボールのやり取りをする金川に対して、岩代はきちんと低く強い送球を心がけていること。より実戦に近い状況で練習しているのはどちらなのか言うまでもないだろう。
皆一律した教科書通りの動きだ。小学生の段階で皆同じ没個性的な型に嵌めるのをどうかと思うのは置いておくが、やはり教科書通りの基本というのはその競技において最適化された動きだ。動きに一切無駄がない。
(それを究極に体現した岩代ソフトボールの最高傑作、それが狩野光俊ってショートなんだな)
優雅かつ基本に忠実。捕球してからの速さは既にプロレベル。グラブを機能的に使いこなして全て面で捕る。続くシートノックをホームベースから見ていた恭は心の中で光俊が何故特別な存在であるのかを理解した。
(少しでも隣で盗んでこい、未来)
身体能力任せでド派手なプレーが魅力ではあるショートの未来だが、やはり穴も多い。一番苦手なのは身体が固まってしまう正面の強いゴロで、練習の段階でかなりの確率でエラーが出ている。よくこの秋大会中にボロが出なかったと感心するほどだ。
そしてこのシートノックで気になる存在がもう一人。それが今恭の後ろにいるキャッチャーの男の子だった。
(4年生か?前にやった時はこのキャッチャーじゃなかったはずだけど………そういやBチームから新戦力が入ったってアイツ言ってたっけ)
線の細さがかなり目立つ小柄な選手だ。動きはある程度形にはなっているがところどころに怪しさが目立つ。もう一人キャッチャーが来ていないということは今岩代はこの選手が正捕手なのだろうか。
「セカンドッ!」
「オイどこ投げてんだ皇成!そんなんじゃ全然刺せないぞ!」
「すません光俊さんっ!」
彼のセカンド送球は、はっきり言って実戦レベルではない。ボールがワンバウンドするのは当たり前だし、そもそも送球に力がない。体重が横に流れているからボールも逸れる。
「………………」
意外と肩の強さは悪くないのはファーストやサードへの送球でわかる。セカンド送球だけがどうしてもうまくいかない。
その理由に恭はなんとなく思い当たりがあった。そして改めてぎこちない彼の動きを見直してそれを確信に変える。
(誰かが教えてやればこんなのすぐ直るのになぁ)
これだけ守備が洗練されたチームでもこんな捕手として初歩的なことを教えられる人間が誰もいないのだろうか。
わざわざ自分からライバルチームの弱点を埋めてやる必要もない。チームの事を考えればそうなのだが。
「皇成くん、って名前なの?」
「は、はい!谷皇成って言います。4年です!」
「そんなに急いで投げようとしなくていい。監督や内野手に何言われても気にしないで、自分が一番強く投げれる体勢で投げなよ。速さを求めるのはそれができてから。」
「わ、わかりました、ありがとうございます」
わかりましたとは言われたが、結局皇成はそのシートノック中に言ったことを実践することはできなかった。元々染み付いた癖がこんな一言で直るとは恭自身も思っていない。
お昼ご飯を食べた後の午後はランナーをつけてのケースノック。ピッチャー陣はひたすら体力メニューをやっていたので恭はずっと皇成の近くで彼の苦闘を目にしながら鍛錬を積んでいった。
(わかんねえ。なんで全国狙ってる岩代がいきなりこんなペーペーを正捕手に据えるんだ?このままじゃ塁に出ても走られ放題になる。岩代の守備が一気に弱体化するぞ)
全体練習は4時半頃終了し、皆朝に荷物を置いた宿舎に帰っていく。流石に強豪チーム同士の合宿といえど序盤の追い込み体力メニューが響いているのか、個人練習で残る人は少ない。かくいう恭も流石にヘトヘトで、一刻も早くお風呂に浸かりたい気分だった。
持ってきた水筒を空にしてエナメルバッグを肩にかけたその時、後ろから声をかけられた。
「すいません!その……絢辻さんっ」
「………なに?」
「お疲れなのは分かった上でお願いしたいんですが……俺にセカンド送球を教えてください。俺練習中に恭さんに言われたこと、全然できなくて。ちゃんと理解したいんです」
90度。それは振り返った恭がうおっ、と面食らうくらいには綺麗な礼だった。滝のような汗を地面に滴らせながらの懇願。もちろん恭も練習が終わったら言ってくるだろうという予測はあった。というか言ってこないとダメだろうとも思っていた。
「…………」
「お願いします!」
拳は震え、呼吸は乱れ、声もかすれていた。
それでも目だけは逸らさず、必死に恭を見上げている。
「恥を忍んで私からもお願いするわぁ」
ただその後ろについてきた女の子、岩代の絶対的エース四葉花凛の参戦は、流石に予測できていなかった。




