第三十六話 もう一人じゃない
ーーー五十嵐志姫は心に誓った。今日の夕方に帰るまで、絶対に絢辻恭を一つでも楽しめるくらい鍛え上げ、教え込むと。
だがその道のりは想像よりも長く、そして険しいものだった。
まず、卓球。
「恭君、あの………卓球はサーブをネットにぶつける競技じゃないよ?」
次にボウリング。
「どこに投げてもガターに飛んでく………吸い込まれる」
最後にヤケクソのシューティングゲーム。
「す、すまん。本当に。」
「なんで撃ったら一発ゲームオーバーの一般人に的確に弾が命中するの……?」
それは……もうほとんど呪いだった。何か見えない力が絢辻恭という人間を陥れようとしているようにしか思えない。想像を超えたセンスの無さに志姫も流石に絶句するしかなかった。
「恭君ってもしかして悪魔とかと契約したりしてないわよね?」
「…………してないです」
「ごめん………うん。ごめん」
なによりまずいのが一連の流れで恭のテンションがとてつもなく下がってしまっていることだ、いくら友達とはいえ四人の女の子に自分の醜態を見せつけ続けている。恭の立場になって考えてみればあまりにも死にたくなる酷な状況である。
(完全に裏目じゃない!なんでこうなるの私のアホっ!)
笑顔にするどころかせっかくのみんなとのお出かけが気まずくて仕方がない。
「あはは……前はおにいちゃん、野球以外ほとんど何も知らなかったから出来ないんだと思ってたんだけど」
「ふっつーに全部センスないな。」
「ないね」
さらなる死体蹴りが恭の心に刺さる。
(どーしよ………どうにかしてここから一発逆転する手はないの?)
その時、恭は虚な目である施設を見つめていた。それはそのフロアにある一番大きなスポーツブース。あまりの難易度にハナから候補に入れていなかった、ローラースケート。ツルツルの床の上を颯爽と滑って風を感じるその競技に、恭は目を向けていた。
(もしかして……やりたいんじゃないこれ。やってみたくてちょっと目をキラキラさせてないこれ!?)
志姫にとってはローラースケートはこのアミューズメント施設の中で一番得意。小さい頃からよく親に連れて来てもらって、空いている時には一日中滑っていたこともあるくらいだ。
一発逆転の手はこれしかない。一縷の望みを賭けて、志姫はこのローラースケートに今日の全てをベットすることにした。
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「おお!なんか今までで一番しっくりくるぞこれ!」
ローラースケート、それは繊細な身体のバランスと重心移動が要の屋内スポーツ。当然ながら初心者のうちは転んで打ち身や擦り傷などは日常茶飯事。それを防ぐためのプロテクターを装着することが義務付けられている。
肘や膝などに当てるプロテクターをつけて、恭は1人で勝手にテンションが上がっていた。着けた感じも見た目も妙にしっくりくるのはやはり彼が生粋のキャッチャーである証拠だろうか。
「立ち上がれる?」
「…………っぐ、無理かも」
「手貸してあげる。ゆっくり、ゆっくりね。」
足元が途轍もなく不安定なのでベンチから立ち上がるのも容易ではない。志姫は恭の手を取って優しく皆が待つリンクへと導いていく。
「うおっ!これ想像以上にっ……バランス難しっ……」
「なははっ。恭君、脚が生まれたての子鹿みたいにガックガクだよ」
「よくみんなそんなスイスイ行けるな。こんなん何かに捕まってなきゃっ……立ってるのもっ……」
志姫の言う通り恭の膝は割れ、ガクガクで転んでないのが不思議だが、そこは流石持ち前の運動能力でカバーしている。やはりセンスがないだけで彼の運動神経自体は良い方なのだと改めて再確認した。
「大事なのは怖がらないことだよ。試しに私のやってる通り真似して体重移動してみて。絶対出来るはずだから」
恭は志姫に手を引かれながら、見様見真似でリンクを恐る恐る滑走していく。一刻も早く壁に手をついて止まりたかったが、大事なのは怖がらないことだと自分に言い聞かせながら踏ん張る。
「見るのは下じゃなくて前だよ恭君」
「前……前見る……」
徐々にバランス感覚に慣れて来たと考えた志姫。機を見て緩やかに滑走スピードを上げていく。全身で風を切る……恭にとっては人生で初めての感覚だ。
「ちょ志姫!速い、速いって!」
「大丈夫。私を信じて?バランス崩さないように前だけ向いててね」
さらにスピードに乗りながらカーブも難なくコーナリングしていく。怖くなって志姫の手をさらに強く掴もうとしたその瞬間………逆に志姫が恭の手を離した。
「……………っ!」
「大丈夫。絶対恭君は滑れるから」
恭は自分が志姫のアシスト無しで滑れるなんて思い上がりはしていない。怪我する前に止まろうと思った。
だが体がスピードに乗るこの感触をもっと味わっていたい。その純粋な思いだけが彼に前を向かせる。そして。
「………なんか、行ける気がする」
意外にも、自分の身体をすぐにコントロールできた。自分で拍子抜けするほど呆気なく。致命的にバランスを崩さなければ、少し傾いたくらいでは転ばないことが段々とカラダが理解してきたから。
「ね。言った通りでしょ?見てよ、あんなにちっちゃい低学年くらいの子だってスイスイ滑れるんだよ?身体能力が高い恭君が滑れないわけないよ。」
「そ、そう言われたら……そうなんだが」
何せ野球以外のことはてんでダメという固定観念が自分の中に染み付いてしまっている。自分が何かをできるようになったという事実が、未だに自分の中で信じきれず消化しきれていない。
「私が言うのもなんだけど………恭君に足りないのは自信だけだと思うよ。始まる前からどうせできないって決めつけるから、身体が答えてくれないの。今みたいな成功体験積んでいけば絶対なんでも出来るようになるよ。」
「ほんとかよ………」
「私がこれを教わったのは恭君からなのに。なーんで本人が信じきれてないの」
身に覚えのない教えに恭は鳩が豆鉄砲喰らったような情けない顔をする。それが志姫には可笑しくて、そしてそのおバカさが愛しく思えた。
「じゃあみんなのところに行こ?彩音ちゃん達、すごいびっくりするんじゃない?」
その後、恭達は一時間もぶっ続けでローラースケートリンクに居た。少しずつ出来るようになっていくのが本当に楽しくて………恭はなんだか今日初めて彼女達の仲間に入れたような気をしていた。
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お昼を館内で軽く摘んでから、再び屋上に戻ってきた。食べたばかりだというのに女の子達はすぐテニスラケットを手にして空いたコートに駆けていった。恭は流石にローラースケートでクタクタ。ベンチに座って観戦だ。
「見るからにお疲れさんね。はい、頼まれてた麦茶」
「サンキュー。お、でっかいやつじゃん。ナイス」
自販機にお使いに行ってくれるというので志姫に渡したのは130円だったが、想像以上にお得な麦茶を買ってきてくれた。いまだに貧乏性が抜けない恭はこういうのが結構嬉しかったりする。
キャップを開けて乾いた喉に麦茶を流し込む。かなりひんやりと冷えていて喉越しが最高である。
豪快にペットボトルの半分ほどまで飲み終わったところで志姫が恭の隣に腰掛ける。
「君はテニスやんなくていいのか?」
「………今瑠衣ちゃんと彩音ちゃんのプライドバトル始まっちゃったから。私の入り込む隙はなさそうね。」
少し目を離した隙にほのぼのとしたラリーから一転、目の色を変えたガチの試合が始まっていた。未来が苦笑いしながら審判をしている。
「ローラースケート、ありがとな。こんなにできない俺を、見捨てないで根気強く教えてくれて」
「なんのなんの。まだまだ貴方がくれたものに比べたら全然足りないわよ。これからももっと恩返ししていかないとね」
恭としては志姫に何も与えた覚えがない。リリーフが欲しいという自分のわがままに付き合ってもらって随分と負担をかけてしまった自覚もある。恩返し、という言葉にいまいちピンとはきていないのだった。
「県北予選、本当に優勝しちゃったね。私何かで優勝って、人生で初めて。まあ、最初の試合以外あんまり貢献できなかったのだけど」
「その最初の試合の貢献がデカいんだ。多分君がいなかったら俺たち初戦で負けてただろ。」
「慰めはいいわよ」
恭としては事実を言っただけでフォローを入れたつもりもない。この感じ、志姫は本当に自分のチームへの貢献が初戦のラストイニングだけだと思っているらしい。自分がブルペンで投げていることでどれだけの影響力があったかわかっていないのか。
「………彩音はな。昨日すげえピッチング見せたけどよ。一昨日も含めて精神面にかなり問題があったんだ。投げてるボールはすごいがどうも不安定。試合終盤になったら集中力切れて打たれ出すし。だから俺はリリーフが欲しいと思ってた。」
「それで私を見つけてくれたのね」
「そういうこと。でも準決勝と決勝で彩音はそんな不安なんて一ミリも湧かないくらいとんでもないピッチングをした。なんでそんなことができたと思う?」
「わからない、なんで?」
「本人に聞いてないから本当のことはわからないけど、君がいたからだと思うぜ。君の初戦のピッチングに、彩音なりにすごい危機感があったんだ。このままじゃエース取られてまうって、そう思わせるだけのオーラが君にはあったってことだ」
志姫の元々大きな目が、驚きでさらに大きく開かれる。
「そんな……私はたった1イニング抑えただけよ?」
「だけど彩音はそう思わなかった。マウンドにいる間何回もブルペンの方見て、君に視線を送ってたぞ。アイツとの付き合いもそんな長いわけじゃないけどさ、君のことバチバチに意識してるのはなんとなく伝わってくるんだよ」
流石にプライベートの遊びにまでそれを持ち込むような人間ではないが、昨日は一日中志姫に対して縄張り争いする獣のような視線をぶつけていた彩音である。恭にとってはそれに志姫が気づいていなかったことの方が驚きだ。
「………彩音ちゃんを覚醒させたのは私ってことなの?喜んでいいのか悪いのかわからないわね」
「チームのエースの壁はさらに高くなっちまったな」
「元々てっぺんが見えないくらい大きな壁だったもの。誤差ね。」
言うようになった、と感心する。たった1試合だがあの緊迫した場面での成功体験が自信になったのだろう。どうすればいいかわからず泣きべそをかいていた数日前の志姫はもういないのだろう。
「…………本当に強くなったな君は」
「そうかも。やっぱり全部貴方のおかげって言ったらまた否定するんでしょ?」
「俺は本当に何もしてないから」
「それでも、ありがとうね。私が変わるきっかけをくれて。私を見つけてくれて。私に期待してくれて、ありがとう。すごーーく、ありがとうだよ」
そうは歯を見せて感謝を伝える志姫は、これまで見た中でも一番可愛くて。思わず胸がドキッと弾んだ。
「…………ずるい」
「あはっ、照れちゃったの?可愛いところあるじゃない。このこのぉ」
「やーめーろ」
頭をぽんぽんっと撫でるように触れられる。同級生に弟のように扱われるのは納得いかないが不思議と嫌な感じもしなかった。
「みんなと合流してテニスやろ?できなくても私が手取り足取り教えてあげるからね」
「…………俺にあの豪速球飛び交う魔境に飛び込めと?第一俺がラケット持って当たるわけないだろ。」
「普段あんな細いバットでボールかっ飛ばしてる人が当たらないわけないでしょ。ほら、行くからね」
「ちょ……おいっ!!!」
恭は志姫に手を引かれコートに駆け出す。多少強引だが、その無邪気な笑顔を見たら断るなんて気も起きなかった。
「あっ!やっと来よったわ。おしかったなぁ、もうちょい早く来てたらウチの超絶美麗なサーブが拝めたっちゅうに」
「見てたよ。普通にアウトだろアレ」
「はいはいはいっ!せっかく集まったならダブルスっ!志姫ちゃんも入ってチーム決めるよっ」
「気がはええよ!もうちょい練習させろ!」
彩音が傲岸不遜に胸を張り、未来が元気一杯に恭の周りを走り回る。それを見て微笑ましく見守る瑠衣と志姫。もうまるで生まれた時から一緒にいるような安心感を、恭は彼女達に覚えていた。
(あっちにいた時じゃ、考えられもしなかったな。俺に……こんなに友達がいっぱいできるなんて)
もう絢辻恭は一匹狼の孤独な野球マシーンじゃない。色んなことを見て、知って、教えてもらって……今はもう普通の小学生をやれている。そんな普通の、当たり前のことが絢辻恭にとっては貴重な経験だ。
(……………楽しいな)
絢辻恭の11歳の実りの秋はこうして進んでいく。戦士達は次の目標に向かって、今はゆっくりとカラダを休めていた。




