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あの日の約束を、同じグラウンドで。〜最強キャッチャーと少女たちの青春ソフトボール〜  作者: ジャスパー


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第二十八話 緋色の怪物

 ーーー本当に、なんの冗談かと思った。


「ピッチャー1番三橋に代わって、17番五十嵐です」


  実際監督の命を受けてキャッチャーである自分が主審にそれを伝えるまで、脳が理解することを拒否していたような気もする。だが、現に賽は投げられてしまった。


 間違いなく、デビューの場所はここではない。


 もっとどうでもいい場面、それこそ本戦とは関係ない記念大会などで志姫のデビューは済ませるべきだった。プロ野球で言うところの最終回のセーブシチュエーション。それも最も過酷な一点差だ。


 負ければその時点で春の全国大会までの道が全て消える。その重圧を経験するのはもっと後でよかったはず。


 志姫と恭が一緒に練習するようになって、まだ三日だ。どれだけ前よりマシになったとは言っても、まだまだ実戦レベルに到達するには課題も山積み。ストライクが満足に入る保証すらも今はまだないのだ。


(ここで失敗しちまってチームが負けたとして………志姫は立ち直れるのか?もう2度と投げられないトラウマを背負っちまうんじゃないのか?)


 そんな不安を抱えながら、マウンドへ向かう。だが意外にも、当の五十嵐志姫は目も泳いでいないし、呼吸も乱れていない。泰然自若、いい集中ができているようだった。


(コイツ………まさか本番に強いタイプなのか?マジで?)


 まずはメンタルケアから始めようと思っていた恭にとっては肩透かしも良いところ。だが思ったよりも戦いにはなりそうで、何よりだ。


「一応聞いとくけど、サインは?」


「ストレートしか投げられないのに、必要?」


「必要ないな」


 審判からもらった新しいボールを手渡すも手は震えていない。どうやらハリボテではなく本当に自信に満ちているようで、それがより一層恭を驚かせる。


 すぅっとお腹まで空気を満たして、一気に吐く。そして膝を曲げて思い切り飛び上がるジャンプを3回。マウンドで平常心を保つために恭と志姫が一生懸命考えたルーティーンだった。


「…………信じられない。私ついこの間までBチームにいたのよ。Bチームでフォアボールとワイルドピッチ祭り。自滅して10何点取られて、本当に今ここにいるのが信じられないわ」


「……………」


「点を取られたらダメ。でも私はまだまだ下手っぴよ。球種は無いし、コースに投げるコントロールもない。勝負になるかどうかすら、投げてみないとわからない。すごい不安………不安だけど………」


 ーーー志姫が、目を開いた。その瞬間、恭は約三日ぶりにソレを食らって、一歩後ずさる。


「もう、腹括るしかないわよね」


 覚悟を決めた少女が放つ、圧倒的なプレッシャー。彩音の言う、選ばれしものだけが持ち得るこの存在感。味方にいてこれほど頼もしいものはない。

 


「きっと大丈夫だ。君ならやれる。俺たちを勝たせてくれよな」


「うん。あなたがいるもの。きっと大丈夫。」


真っ直ぐな信頼をその背中に受け、時間をもらった審判と相手の監督さんに頭を下げてから投球練習を開始。4球投げたところでボールをセカンドに転送した。


(さあ、見せつけてやれ。不安に思ってる奴らに、みくびってた奴ら全員に。今が、バケモノのお披露目の時だ。)


「最終回!声出してっ!締まっていこうっ!」


「「「「おしっ!!!!」」」」




 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 五十嵐志姫は投球練習中、それを見つけた。


 それは自分の両親が、手を合わせて天に必死に祈っている姿だ。今日は多分出番がないから来なくて良いと朝に言っておいたのに結局来てしまったのか。


(…………もう応援なんて懲り懲りになったんだと思ってたのにな。)


 やはり思い出してしまうのは二週間前のあの試合の記憶。全てが終わって降板した時に見た母は、泣きながら周りの父兄さんに謝っていた。父も涙こそ見せなかったが、居心地悪そうに頭を下げていた。


(もう、あんな思いさせたくない。自分がソフトやって、悲しい涙なんて流させたくない。)


 その視線を振り切って、目の前のバッターと、その奥にいる絢辻恭にその目を向ける。

 


『志姫。お母さん志姫の夢を応援してあげたいんだけどね。もっと向いてることがいっぱいあると思うの』


 わかっている。志姫のためを思って言ってくれたことくらい。毎日泣いて悔しがる志姫を、親として見ていられなかったことくらい。子供にだってそれくらいわかる。だから………。


(私は大丈夫だって………その信頼は自分でっ……自分で勝ち取るんだ!)


 ーーー瞬間、志姫の頭にあったあらゆる雑念が、消えた。まるで体の軸になる芯が、脳天から股下にかけて生えてきたかのようにな感覚に陥る。


 グラウンドのざわめきが、遠くへ引いていく。

 音が消え、世界に残ったのは――ボールと、自分の呼吸だけだった。


 深く深く沈み込んで、風車の回転をする右腕が頂点に達したその時、リリースポイントまで腕が一気に加速した。


 ギュンッ!!!!!


 本当にそんな音が出ていると錯覚するほどの強烈なリリース。五十嵐志姫の魂を乗せたストレートは、恭のミットを突き破る勢いで突き刺さった。


「ストライクっ!!!」


(いいっ……良いぞ志姫!)


 その投げ終わった姿は、まるで一匹の孔雀の如く。一本足で立ちながら、リリースした腕が恭の方を向いている。


「ナイスボール!」


 大きく頷いた志姫が返球をもらった後、足元のロジンバックに触れる。その目にはもう一片の濁りもない。


 バッターの反応を見るが、やはりそのストレートのスピードと球威に面食らっている。真ん中に構え、その通りど真ん中にボールがきてもそうは打たれまい。


 二球目、初球で少し自信をつけたのかプレートを蹴る力がさっきより強い気がする。


(身体が流れずに全体重をリリースに乗っけられた志姫のストレートは………)


「ぐっ………」


「ファール!ファール!」


(バットを………弾くんだよっ!)


 ストレートにタイミングを合わせて狙ってきたバッターに、ど真ん中のストレートで完全に押し込んでいる。その指にかかった直球は、バッターの手をビリビリ痺れさせる程の重さと威力だ。


ツーストライクノーボール。当然ながら配球も何もないのでストレートをど真ん中に要求するだけ。かえってそれが打者に考える間を与えさせない。


(お母さん、お父さん。祈ってないで………ちゃんと見て。私をっ………見て!今わたしっ……)


「ストライクッ!バッターアウトッ!!!!」


 (すごい……キラキラしてるっ!)

 

 うおおおおおっ!!!!!


 不安に思っていたのは何も保護者だけじゃない。後ろで守る野手も、ベンチの選手も、首脳陣も。この采配がどう転ぶか、嫌なドキドキでいっぱいだった。その分、先頭を三球三振で切ってみせた志姫への歓声はすごいものになった。


 人生で、初めてに近い。掛け値なしの賞賛をその身一杯に浴びて、さらにモチベーションが上がってエンジンがかかる志姫。先頭を取ったら一言声をかけに行こうと思った恭だが、今は必要ないと判断して再び腰を下ろす。


「プレイっ!」


「ふーーっ、ふーーっ!」


 高鳴る自分のパッションを、あえて押さえつけずに全てボールに乗せる。ピッチャーに必要な冷静さ、ポーカーフェイスをあえて完全に捨て、言うなれば闘魂型のピッチャーを目指す五十嵐志姫。


「ひぃっ!!!」


その雰囲気に、そのミットに突き刺さる投球音に完全にバッターが萎縮し、威圧される。


(オイオイ、完全に瞳孔開いちゃってるって。人でも殺すのかコイツは)


  ーーー燃え盛る魂が、アツく揺れる。

 グラブの色と揃えた左手のリストバンドはその髪の色と同じ緋色。まるでマウンドに荒れ狂う炎神が鎮座しているかの如き重圧ががそこにはあった。


 その指から弾き出されたボールは構えていた真ん中からややインハイに散る。


 バットの根っこに当たった鈍い音がした。


「ショート!!!」


 ショートの未来がもう既に落下点で大きく手を挙げる。

無事にグラブに収まってアウトコールだ。


「ツーアウト、内野ボールファースト!」


「内野ボールファースト!」


 志姫から元気のいい返事が聞こえる。この辺も、マウンド上ではクールでダウナーな彩音を普段相手にしていると新鮮だ。


(さあラスト一個………決めろ、志姫。)


 最後の最後で4番バッター。名前は知らないが、随分体格のいい選手だったので印象には残っている。先ほどの回、守っているファーストで反応できずに間を抜かれて、かなりリベンジに燃えている打席である。


 その初球だった。志姫の投げたボールは真ん中少し高めに吹き上がる。だが投げ終わりの姿勢は右に流れている。これではボールに完全に力が伝わり切っていない。


 カーーーーンっ!!!!!


 ミートした衝撃音が、グラウンドに響き渡る。高く高く上がった打球はセンター後方を襲う。フェンスを越えればセーブ失敗、同点だ。


(ヤベっ……クソ。入るなっーーー入るなっ!!!)

 

それはただの同点では済まない。志姫の初登板が、敗戦の記憶として刻まれる。


 皆が立ち上がり、固唾を飲んでその行方を見守る。まるでスローモーションに入ったかのように、唇を噛み締める時間は無限にも感じられる。


 フェンス手前で、瑠衣の足が止まる。そのままフェンスとの距離感を確かめながら、彼女はグラブにそれを収めた。


「アウトッ!スリーアウト!ゲームセット!」


 張り詰めていた空気が、一斉にほどけた。


 最終スコアは3-2。苦戦に苦戦を重ねた金川ファイターズの初戦は、無事勝利という形で終わったのだった。



 ▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲


 一日で日程を終わらせなければならない記念大会などは一日4試合、朝から晩までソフト三昧になるわけだが、この日のような公式大会は多くても1日に2試合。しかもこの会場で行われる試合はこれが最後のため、後ろに急かされることはない。


 だから明日のためのグランド整備に勤しむ大人たちを横目に、じっくりとクールダウンの時間を過ごしているのが恭たちだ。

 野手組は丸くなって全員で柔軟体操やらをやって、バッテリー組はキャッチボールや軽いランニングで少しずつ身体を冷ましていく。ちなみに彩音は既にアイシングを終えているので、バッテリー組とは言っても恭と志姫のマンツーマンだ。


「「ありがとうございました!」」


  クールダウンの軽いキャッチボールを終え、帽子をとって互いに挨拶を交わす。顔を上げた志姫の表情は心の中の喜びが漏れ出てニマニマが止まらない。口角が上がりまくって随分ご機嫌なようだ。


「アイシング手伝うよ。今氷入れて持ってくる。」


「あ、うん。ありがと………気がきくのね。」


「惚れたか?」


「………バカ。」


 この三日で随分軽口や冗談も言える仲になった。志姫は同じチームなだけで同じ学校の女の子でもないわけだが、一緒にいてあまり気を遣わない。女子とのコミュニケーションがあまり得意とは言えない恭にとってこれは進歩か、それとも志姫が特別なのかはよく分かっていない。


「身体に触れるぞ。セクハラじゃないからな。」


「いちいち断らなくても怒らないわよ」


 やはり女の子にボディタッチはいつまで経ってもドキドキするのが男子というものだ。とは言えピッチャーの肩に氷袋を巻き付けるこの作業はどうしても女の子のカラダの色んなところに触れなければ遂行できない。


 誰からも嫌われぬ紳士な八方美人を志す恭にとっては悩ましいミッションだ。


 難しい顔をして不器用にああでもないこうでもないと言いながらセッティングする恭を横目に見ながら、志姫が口を開いた。


「さっきね。お父さんお母さんたちに、すごいねって言われたの。頑張ったのねって言ってもらえたの。そしたら他のお母さん達も寄ってきていっぱい褒めてくれて……そんなのソフトボールやってて初めてで」


「嬉しかったか?」


「うん。すごい嬉しかった。やっと………チームの一員になれたんだなって。やっとチームに貢献できたって実感できたの。」


 恭にとっては攻守交代の際に防具をつけてくれるのだって、水を持ってきてくれるのだって立派な貢献だと思っているが、やはりプレーでの貢献というのは一味も二味も違うのだろう。わからない感覚だが、今日の朝と今では志姫の存在感が何倍も増幅して見える。女の子に対して適切な表現かは定かではないが、背中がより大きく見えると言ったところか。


「でもでも、反省点もいっぱい。最後のボールは全然体重移動が上手くいかなかったわ。真ん中に吸い込まれていっちゃった。」


「アレが入ってたら引き分けで抽選か負けかしかなかったわけだからな。瑠衣に感謝しないとだ」


「そうね。考えただけでゾッとしちゃう。」


 ーーーしかしアイシングのセッティングがやたらと難しい。いつもやっているやり方のはずだがどうにも違和感のある巻き方しかできない。一体どういうことだろうか。


 四苦八苦していると先ほどから飲み物を飲みながらこちらを遠巻きに眺めていた彩音が呆れ顔で恭の側に寄ってきた


「おいアホ。それサウスポー用の巻き方やろ。もうええから、ウチがやったる」


「お、おい彩音」


「堪忍な。この人こういうボケてるところ結構あんねん。完璧超人と思って接してると普通にガッカリすんで。」


「なんかめっちゃ酷いこと言われてない!?」


 彩音は基本的に大雑把な性格だが、肩肘のケア用品に関してはかなり繊細に注意深く扱う。氷嚢がズレないように丁寧に志姫の右腕にきっちり取り付けた。


「あ、ありがとう彩音ちゃん」


「ええよええよ。まあ、志姫ちゃんにちゃんと言っておきたいこともあったしな」


「言いたいこと?」


「…………難しいマウンドやったと思う。引き継いで抑えてくれてありがとう。ウチにもう一回チャンスくれて、サンキュー」


 驚くほど素直に、彩音は志姫に向かって頭を下げた。プライドの高い彩音のその行動に恭は衝撃で唖然としてしまう。


「そ、そんな………私、彩音ちゃんに頭を下げられるような人間じゃ」


「ウチじゃ多分抑えられんかったと思う。それに………ウチは今日投げるまで志姫ちゃんのこと、侮っとった。それも今思うと失礼やったと思う。詫びるわ。」


「……………っ!」


「交代って言われた時に監督のこと、この歳でボケたんかコイツと思ってもうたし」


(それは俺もちょっと思ったけども)


 志姫は彩音の謝罪に恐縮するが、困ったように恭の方を見た後、彩音に向き直った。


「私は………侮られて当然の選手だったと思うよ。それはもう自分でも嫌になるくらい下手で………私が突然変われたのは、全部恭くんのおかげなの。魔法を、かけてもらったの」


「ほぉ、そらすごいわ。なあ、ウチにも魔法かけたってくれよ?おぉ?」


(コイツ………この三日間志姫に構いっぱなしで自分は放置だったの怒ってんのか?)


 先程まで誠意の謝罪を披露していた人間は一体どこに消えたのか。皮肉たっぷりの悪い顔をした彩音が恭に向かってメンチを切ってくる。声色的に嫉妬の感情がすごくわかりやすい。


「魔法なんてそんなもんあるわけねえだろ夜更かしアホガール。早く帰って寝ろ。」


それに対して恭はあしらうように彩音をデコピンする。


「痛っ!いったぁぁ!暴力や、ドメスティックバイオレンスやろこれ」


「誰がお前と暖かい家庭を築いてんの。しばくぞ。」


「ええツッコミや……」


これが喧嘩ではなくお互いの信頼関係からなる夫婦漫才だと気づいた志姫は緊張の糸が途切れたのかわかりやすく吹き出した。笑顔が見えたことで、場の雰囲気が和やかなものになる。


「…………別に。俺は魔法なんてかけてねえよ。ただ掛け違ってた歯車をうまいこと噛み合わせて、動かす手伝いをしただけだ。そこまで歯車を大きくしたのは志姫の毎日毎日雨の日も風の日も継続してきた積み重ねと血の滲む努力。今日の結果は完璧に君の実力の賜物だ。」


「恭くん……」


「よく頑張ったな。本当に凄かった」


 志姫の顔が、クールダウン中にも関わらず真っ赤に染まる。別に恭としてはお世辞でもなんでもない本心からの言葉だ。元々まともな実力がない奴が三日でここまで変われる訳がない。様々な要因が重なって、発揮されていなかった力が目を覚ましたとそういうことだろう。

 

「彩音、お前は俺が言葉なんぞかけなくても万全なら最強のピッチャーなことを知ってんだ。明日はちゃんと寝て、本来の実力を発揮してくれ。頼むぞ。」


「…………言われんでもわかっとるよ」


「ちゃんと早く寝て早く起きて、朝ごはんもしっかり食べるんだぞ?」


「アンタはウチのオカンか!」


 そんな夫婦漫才を再び繰り広げているうちに、野手達がクールダウンから帰ってくる。内容はともかく結果としては二日目に無事進出、新戦力の志姫のお試しも完了して満足のいくものになった。だが………。


(…………キャプテンが元気ねえのが心配だな)


 タイムリーエラーにチャンスでの凡退。攻守で良いところのなかったこのチームの大黒柱。梅津一心のことだけは、少しだけ気に掛かっていた。

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