第二十六話 流れが傾く時
ーーー『若獅子旗』争奪、福島県総合体育大会、県北予戦、その本番の日になった。
今日は朝から快晴、秋晴れの絶好の運動日和。もう既に各会場で一回戦が行われている中、五十嵐志姫はブルペン投球を終えて一度栄養補給のために木陰に移動していた。
Bチームの試合でもよく訪れていた十六沼公園もAチームに入ってからでは見える景色が全然違う。ピリつきや負けられない闘志が少し離れたここからでも伝わってくる。キラキラが、見える。
一方恭は大きな爆弾おにぎりを二つ抱えて『もっ、もっ、もっ』と食べる志姫を見つけて、苦笑いだ。食べるなら軽食にしておけと言われているが、本人はあれを軽く平らげるらしい。実際お弁当も別で持ってきていた。怪物のの片鱗が食欲からも見える。あれでどうやって細身のスタイルを維持しているのか不思議で仕方がない。
「よっ、志姫。調子良いか?」
よく噛んだお米をごっくんしたタイミングで、彼女に話しかけてみた。口元についたお米を拭き取って志姫がわざわざ立って駆け寄ってくる。
「調子良いよ。さっきね?ブルペンで受けてもらってた三橋コーチに言われたの。ちょっと見ないうちに別人みたいにエラい球放るやんって。私としてはまだまだなんだけど」
「三橋さん昨日の練習来なかったからな。そりゃびっくりしただろうよ」
志姫にはあれから三日間、シャドウピッチングでフォームを固めてもらった。再現度はまだまだ低いが、数球に一球ほどは良い球がいくようにもなった。ほとんどピッチングが抜けてバウンドしていた頃と比べれば違いは歴然。昨晩チームメイトと首脳陣にもお披露目して、皆仰天していた。
「本当に………貴方のおかげよ。ありがとう。」
「いや、まだ一軍デビューすらしてないからねお前。普通に今日出番あるかもしれないからな。」
「え?でも私の出番は県大会からって」
「そうだけど。なんか今日彩音がめっちゃ調子悪い。昨日金曜なんたらショーで夜更かししちまったんだと。」
「あぁ……ハリー・⚪︎ッターやってたもんね」
「だから出番はあるもんだと思って準備してくれ。けど投げ過ぎは注意しろよ。ブルペンで体力使い果たしましたは本当に笑えないからな。」
志姫はこくりと頷くとアップから帰ってきた野手陣、特に未来や瑠衣達女の子組に話しかけにいく。やはり今までは肩身が狭く、居場所がなかったのだろう。自信をつけて明るくなった志姫をチームメイトは優しく迎え入れる。
「…………本当よかった。」
「ありがとうな恭。志姫にはお前がなんかしてくれたんだべ?」
いつのまにか背後に立っていた丹内監督。頭に手をポンと置かれて、帽子越しにわしゃわしゃされる。
「たまたま俺の知ってる知識とアイツの状態が噛み合っただけだよ」
「それでも、俺たちじゃ志姫に対して何も有効な手を打てなかったし、思いつきもしなかった。お前が自主的に動いてくれて、本当に助かった。」
「…………うん。それで、俺たちの相手決まった?」
「おう。飯坂南ってところが勝ったぞ。お前らが普通にプレーしたら絶対勝てる。あんまり心配するな。」
自分たちがアップしていたのは一回戦の会場のすぐ横。色々起こっているのは見ていたが、スコアボードはあえてあまり見ないようにしていた。
負けたら終わりの一発勝負。ここで一つでも負ければ春の全国大会までの全ての道のりが水泡に消える。下級生の時と違うのはもう次のチャンスは2度と訪れないということだ。第一シードを取って自信をつけたとはいえ、このプレッシャーはいつになっても付き纏う。
「ビビってるか?」
「いいや全然。まあ……俺は、だけど」
初戦の緊張の中で普段通りプレーすること自体が難しい中で、相手はそのデバフを解いて尚且つ勝利の勢いに乗って向かってくる。シード校がその勢いのまま格下に倒されることなんてよくある話だ。
(何事もないといいけど)
この心配がどうか杞憂に終わってくれと願う恭だったが………それはかなり悪い方向に的中することになる。
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試合が始まり、先攻金川ファイターズは飯坂南の背番号1をつけた投手の投球練習をじっくりと観察していた。感想は皆一つだっただろう。
(球おっっっそっ!!!!!)
普段彩音やら大人のコーチの速球を相手にしているナイン。それにここまで相手してきたチームのピッチャーと比べてもダントツで遅い。しかもかなり荒れ球だ。
「恭くん………これどうする?」
「うーん。とりあえずボール球に振らされないようにしよう。ゾーン絞って好球必打だな。」
ネクスト前で小声で話す瑠衣と恭の一番二番コンビ。さっさと先制して試合の口火を切り緊張と取りたい。市の秋大会に引き続き、この上位打線は自分たちに作戦の裁量権が与えられている。
(このスピード感。とりあえず塁に出られさえすればガンガン盗塁できるはず)
「プレイボールっ!!!」
審判の手が上がり号令がかかった。
ーーーいつもと同じはずのグラウンドなのに、どこか遠い。
歓声も、審判の声も、ワンテンポ遅れて耳に届くような感覚。初戦特有の緊張が、空気に薄く溶けていた。
「ボールっ!」
初球は外角ギリギリ。瑠衣は悠々と見逃してボール。そして二球目三球目はワンバウンドの抜け球で早くもスリーボールノーストライクだ。
(ボール球には手を出さない………フォアボール取れたら大きいけど)
一度打席を外して頭を整理しながら再び構える瑠衣。次のゾーンを外れた球を悠然と見送るがなんと審判の手が上がった。
(お、温情ストライクすぎるでしょそれ……)
明らかにバットが届きそうにないコースだが判定はもちろん変わらない。ここで諦めて再び頭を整理できれば良かったが………瑠衣はこれを引きずってしまう。
「ぐっ………」
明らかなボール球をスイングし、鈍い音がして平凡なフライが上がる。ショートがほとんど動かずに手を上げてワンアウトだ。
「ごめんっ……上げちゃった」
「どまどま。切り替えていこうぜ」
ネクストの恭とすれ違う瑠衣。事前に言われていたことを守れなかったことで、自分に随分腹を立てているようだ。たった一つのアウト。それだけのはずなのに、胸の奥に小さな棘が刺さったような違和感が残る。
(一回の失敗を引きずんなよ、瑠衣)
審判とキャッチャー、それから投手に一礼する新しいルーティーンから右打席に入る二番の恭。狙いは腰の高さ周辺の真っ直ぐ、コースは問わない。
そしてインコースにちょうどそのあたりのボールが来た。
(いきなりっ!!!)
きっちり腕をたたんでミートするが、打球はレフトのファールゾーンに切れていく。しっかり仕留めたと思った恭は首を傾げた。
二球目はまたも同じような高さのさらに真ん中に寄った甘い球。今度こそとセンター返しでジャストミートしていくが………もう一つ伸びが足りずセンターフライだ。
(………思ってるよりさらにボールが来ねぇな)
タイミングは合っている。芯も外していない。それでも打球は、思ったほど伸びない。
ーーーまるでこちらの力を吸い取るような、嫌なテンポだった。
だがそれがわかればアプローチを変えれば良いだけ。パンっと頬を叩いて切り替えた恭だったが、次のバッターの梅津の顔を見た瞬間表情を歪めた。
それはもう――違和感、という言葉では足りなかった。
顔がこわばっている。呼吸が浅い。バットを握る手に、わずかな震えが見えた。いつもなら背中を見るだけで安心できるキャプテンが、今は誰よりもこの空気に呑まれている。
「ストライクッツーーっ!!!」
「………入ってます?」
「入ってるよ」
いつと泰然自若、小学生とは思えない落ち着きでチームをまとめてきたキャプテンだ。恭も信頼して全く気にかけていなかったが……明らかに様子がおかしい。
「ストライクっ!バッターアウトっ。スリーアウトチェンジ!」
最も簡単に三振に取られ歯を食いしばって悔しがる梅津一心。ベンチに戻る背中が、いつもより小さく見えた。声を掛けようとした誰もが、言葉を飲み込む。
逆に相手ベンチはまさか第一シードの初回を三人で切れるとは思っていなかったようで、応援席も含めて盛り上がりがすごい。
(これは………まずい流れになりそうだ)
初戦にして、恭達は完全に相手に流れを明け渡す形になった。
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「ボール!フォアボール!」
「た、タイムお願いしますっ!」
場面は4回の裏。スコアは両チーム未だ0のまま。簡単にワンアウトをとった直後、突如として制球を乱した彩音は二つのフォアボールを出してしまう。八球連続ボールの突然すぎる乱調に流石の恭も焦ってマウンドに駆け寄る。
マウンドに立つ彩音の肩が、わずかに上下している。呼吸が浅い。普段なら絶対に見せない兆候だった。
「お前どうした急にっ?」
「あかん………なんか力はいらへん。頭ふわふわぁってなってなんか……あかんねん」
いつものキリッとした表情ではなく、むしろ目が虚。動きも鈍くて身体はだいぶ重そうだ。明らかに寝不足の症状。いや、これは夜更かしとかいう可愛いものではなく。
「お前、昨日ほんとに寝た?」
「ね、寝た!………ちょっとは」
「ちょっとってどれくらい?」
「……………遅くまで金曜ロー⚪︎ショー見てて、その後ベッドに行っても寝れんくて。なんか無性に続き見たくなってもうて。その………スマホで見てたら4時くらいまで起きとった。」
「お前もう金ロー見るの禁止だバカたれが!」
エースのあまりのバカさ加減に呆れて頭を抱える。かといって代える投手もいない。風太郎はレフトで出場していて投球練習なんてしていないし、こんなタフな場面をまだデビューしてすらいない志姫に任せて良いわけがない。
早速このエースに頼り切りのチームの弱点が露呈する形である。
確かにスコアはまだ動いていない。投球内容から言えばここまで0点で抑えているのはやはり地力が並の投手ではないということなのだろう。
(とはいえ………この流れの悪さの中で投げてるピッチャーをこれ以上は責められないよな)
このグラウンドに流れるどんよりと重苦しい雰囲気。チャンスは作って塁をにぎわすものの後一歩届かずホームが遠いもどかしさと焦りがそれを作り出す。
ここ最近は早々に援護点があり、それをバックに投げていた彩音もイマイチ波に乗れない。エースのリズムの悪さに、打撃陣のリズムも狂っていく。野球やソフトボールがつくづく流れのスポーツであることを再認識させられる負のスパイラルだった。
(仕方ねえ、踏ん張るしかないよな)
ワンアウト一塁二塁。既にバントの構えを見せるバッターを見てタイムを要求し、内野にブロックサインを送る。サインはバントシフト。ファーストは思いっきり前に突っ込んで三塁封殺を狙う構えだ。
(バントしづらいインハイに投げたいけど………今日の彩音の調子じゃデッドボールになりそうだ。やめとくか。)
塁を進まれるとはいえ確定で一つアウトをくれる場面である。様々なリスクを鑑みてもバントをとりあえずやらせてそこから対処すれば良い。
恭は真ん中に構えたが結果的に彩音のボールはインハイの一番バントしづらいところへ散った。前進してくるファーストの前への小フライ。バウンドさせて大友哲が処理するが……。
「三つっ!!間に合う!!!」
サード転送の指示を出した恭だったが、大友はサードを一瞥しただけで、バッターランナーへのタッチを選択。ツーアウト三塁二塁に進まれる形になった。
「ご、ごめん」
「……………」
(大友………コイツ日和りやがったな。何十回それ練習してきたと思ってんだ)
ーーー怒鳴りつけたい衝動が喉元までせり上がる。
だが、それをやった瞬間、このチームは終わる。恭は奥歯を噛み締め、無理やり感情を押し殺した。
「ツーアウト!内野ボールファースト、外野バックホーム前進!」
ジェスチャーを送って外野三人を前に来させる。間違ってもワンヒットで2人帰られないためのシフト。肩に自信のある井桁以外はかなり前の位置だ。
(頼むぞ……彩音……)
恭が要求したボールはスライダー。外角のボールゾーンから大きく曲がってきた球は右バッターの内角に食い込んでいく。思わずバッターはその小学生離れした変化に驚愕し、手を出して引っ掛けてしまう。
(よし………打ち取ったっ!)
サードへの高いバウンド。前に来たキャプテンの梅津が難なく処理してスリーアウト………そう、誰もが思っていた。
「…………え?」
ここまで堅守でチームを支えてきた梅津一心。だが前に出た時のリズムが合わなかったのだろうか。ボールをグローブに当てることも出来ずに後ろに逸らしてしまった。
「ば、バックホーム!!!」
レフトの風太郎もそれを予期できていなかった。その甘すぎる打球へのチャージを見て、三塁コーチャーが目一杯腕を回し続ける。レフトが捕球した時にはもう既にセカンドランナーはホームに突入していた。
「に、2点先制っ!!!」
「嘘だろ!?マジで第一シード食っちまうのか?」
「ジャイアントキリングあるぞ!」
先ほどから様子がおかしいと集まってきていた観客達のボルテージが一気に上がる。優勝候補の失点、しかもミスでの失点である。ざわめきが、波のように広がっていく。相手ベンチの歓声が、やけに大きく聞こえ、金川のベンチだけが静まり返っていた。
そして時計に視線を移す恭はさらにまずい事実に気がついた。
(ヤバい……もう直ぐ試合開始から一時間経っちまう。どう考えてもまずいっ)
ソフトボールは7イニング制だが、小学生に於いてはスムーズな大会進行のために制限時間制が採用されている。この大会であれば70分。それを目安として超えないように審判の判断でイニング数が判断される。大体現時点で59分程度、つまり。
(次のウチの攻撃が、最後になる可能性が高いっ……)
まだ四回裏のはずだった。それなのに、終わりがすぐそこまで迫っている。
時間的に確実に残りのアウトは三つ。それまでに少なくとも2点を取らなければ、敗退が確定してしまう。それまでにどれだけ勝っていても関係なく、試合終了の手が上がるまでにスコアボードにより多くの点数を入れた方が勝ち。それが一発勝負のスポーツの怖さだ。
もう既に監督がタイムをかけて伝令を受けた志姫がピッチャーの元に走っている。内野陣がマウンドに集まり、顔を合わせた。
「………すまん。俺の情けないプレーのせいで」
「ぼ、僕も。絶対あれサードでアウトにできた。直前でビビっちゃったよ」
ミスをした梅津、大友の順で謝罪の弁を口にする。満身創痍の彩音も含めて皆俯きがちになり、なんとかしなければと悟った志姫が青い顔をしながら監督の伝令をなんとか柔らかく伝えようと口を開いた、その時だった。
「みんな、笑って。ピンチの時こそ笑って。」
むにいっと自分のほっぺを引き伸ばしながら、未来がそんな発言した。皆の注目を集めたのを確認すると、いつもと同じ天真爛漫な表情でにっこり笑う。
「みんな表情が暗いよぉ?確かにピンチだけど、まだ終わったわけじゃない。彩音ちゃんも、ヒットらしいヒットは全然打たれてないんだから。調子悪いって決めつけて自分を追い込まないで。一心も、今までチームを引っ張ってきたんだから貸しを返してもらったくらいでいいの。」
一人一人の目をじっと見ながら話す未来。その大きな眼に宿る力に、自分の妹ながら圧倒される。
「ピンチで笑える奴が一番強い。土壇場でギラついてる奴が一番怖い。前向こう、みんな」
未来の言葉がすっと、素直に胸に入ってくる。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
けれど、俯いていた視線が、少しずつ上がる。ん固く結ばれていた肩の力が、わずかに抜けていく。
「志姫。それで監督はなんて言ってた。」
「………大丈夫。今の未来ちゃんと同じこと言ってたから。あとアウト一つだから、踏ん張って。」
マウンドの輪が解け、各々のポジションに戻っていく。流石に今の状況で心の底からニコニコできる強者は未来だけだが、彼女に微笑みかけられて梅津一心も引き攣った顔でなんとか笑顔を作ろうと試みている。
(なんとか次の攻撃に流れを作る。頼むぞ……彩音。)
先ほどのタイムでも何も話さなかった彩音。やはり問題は体調にあるのだろう。あまり力のないストレートが二球外に外れた。それでも踏ん張るしかない。与えられた手札でなんとかする他はないのだ。
三球目のストレート、外を狙ったストレートがシュート回転して真ん中に吸い込まれる。
(クソっ………たれっ!!!)
打球音が、空気を裂いた。
高く、鋭く、左中間へ。
——抜けた。
誰もが、そう思った。
「よぉいしょぉぉぉぉぉ!!!!」
ーーー刹那、恭は妹の姿を鳥と錯覚した。
ジャストタイミングで思いっきりジャンプして打球に手を伸ばした絢辻未来。常人では考えられないバネと身体能力が、その打球をグラブの先端で掴ませる。
一瞬、音が消えた。
次の瞬間、審判の右手が高く上がる。
「アウト!アウト!スリーアウトチェンジ!」
「わ、私すごすぎっ!や、ヤバくない?流石にやばいでしょこれ!」
もし抜けていれば、三点差。この流れの中では致命傷だった。未来は、その分岐点を空中で引き戻した。
明らかにグラウンドの空気が変わる。
重く沈んでいた空気が、一気に弾けた。ベンチの声が、ようやくグラウンドに戻ってくる。
「責任重大だなこりゃ」
次の回は二番の恭から。ネクストバッターズサークルで防具を外しながら、その空気の一変する様子を肌で感じ取る。妹がここまで男気を見せてくれた以上、おにいちゃんが下手をこくわけにはいかない。
負けたら終わりの一発勝負。残りアウト数は三つ。点差は2点。ムードは最高潮。
ーーー絶好の反撃の時が今、到来した。




