第二十一話 砂のお城
一ノ瀬胡桃は、本気だった。
いつもはつけない白のカチューシャがこそばゆい。何度も何度もお手洗いの鏡で最終調整をした。自分史上、おそらく一番可愛いをここに持ってきたつもりだ。
「大丈夫………絶対大丈夫………」
心臓が飛び出そうなくらい激しく鼓動する。いつもの時間のいつもの校舎。皆が下校して校内から出ていくのを見ながら、胡桃はただひたすらにソワソワしながらその人の到着を待つ。
(可愛いって……思ってもらえるかな)
なにせ恭の周りにいるのは学校一の美少女軍団。先輩達と比べても自分のビジュアルは引けを取らないと思ってはいるが、なにせあちらは胸部戦闘力が高すぎる。
自分も将来的には負けるつもりはないが現時点では完敗だ。男の子は大きな胸が好きという傾向に基づいた客観的事実がある以上、そこは明確に不利である自覚があった。
「ごめんごめん。今日日直さんだったの忘れてたわ。待たせちゃったな。」
「いえ、日時を設定したのはこちらなので……その……」
「あっ…………カチューシャっ。めっちゃ可愛いね。胡桃ちゃんの綺麗な髪に凄い似合ってると思う!」
この時の恭のあからさまに何か閃いたような顔を見て、吹き出さなかったのは胡桃自身も奇跡だったと思った。不器用でヘタレなイメージの恭からはなかなか出てこなさそうな言葉のオンパレード。誰の入れ知恵かどう考えても明白だが、それでも胡桃が1番聞きたかった言葉でもある。
「…………それも瑠衣さんの教えですか?聞きましたよ、粗方色んなこと。」
「そ、そんなこと………まあ、あるけど。」
「ふふっ。行きましょうか。ちなみに女の子のオシャレに敏感なのは高得点ですよ。」
絢辻恭を隣に連れ添っての帰り道。自分が口下手な自覚がある胡桃は気まずい道中も覚悟していたが、全くそうはならなかった。
「酷くないですか!?最後のリレーの選手決めてなかったこと、先生達誰も覚えてなかったんですよ!それでタイムのいい順に泳がされて………彩音さんなんて泳げないバタフライで溺れかけて……」
「うえぇ………その日のその場で決められたってこと?」
「そうなんです!大問題だと思いませんか!」
意外にも恭は聞き上手だった。相槌を打ち、リアクションをとって興味深そうに話を聞いてくる。今の『運動できる人間全員参加だった悪夢の市小学生水泳大会』の話で、ようやく意図的に自分が中心になって会話をさせてもらえている状況に気づいたくらい、恭の話の聞き方は自然だった。
恭の方は単純に胡桃の話が面白くて興味深かったというだけで話術どうのこうのは意識していなかったのだが。
「す、すみません。私ばかり話してしまい………」
「いやいや、そんで?彩音がバタフライで溺れかけて?」
「その話はもういいです…………。本当はキャッチャーの話が聞きたいのでしょう?」
恭は図星を突かれ、鳩が豆鉄砲食らったような間抜けな顔を晒した。
「私は愛想の悪い女です。笑うのも下手で、周りとの協調性もなくて。デートなんて言うけど、私に聞きたいのはこんな世間話じゃないんじゃないですか。」
「そんなこと………そんなこと、ないよ」
「すみません、こういう楽しいムードに冷や水をかけてしまうのも私の悪い癖なんです。」
それをわかっていながら、先輩が作ってくれたいいムードを自分の手で台無しにしてしまう。後悔先に立たずというが、日頃から賢しげな雰囲気を出している割にはそんなことも想定できずに発言をしてしまう自分に腹が立った。
「なんで……そんなこと言うんだよ」
「私は……昨日デートに誘ってもらえて嬉しくて、浮かれて。でもそれとは別に引っかかるところもやっぱりあったんです。恭さんの周りには可愛い女の子が3人もいるのに、なんでわざわざ私とデートなんだろうって。考えてみたら、あぁって。」
別にこのデートを早く終わらせたいわけではない。できるなら、永遠に続いてほしいと思えるくらい彼とのデートは楽しい。ただ………これを聞いておかなければ、ずっと上っ面だけの関係を続けてしまう気がした。
「恭さんはソフトボールの話が聞きたいから、上手くなりたいから、こんなことをしてくれたんでしょう?」
脚が、震える。もしそうだったらとしたら、胡桃が今言った通りなのだとしたら。自分は一体彼との関係を、今の状況をどうしたいのだろう。それすらも整理できない、わからないまま、胡桃は視線鋭く突っ走ってしまう。
「胡桃ちゃん、俺は昨日嘘を言ったつもりはサラサラないよ。」
「……………………え?」
「確かに俺はストッピングのことで悩んでて、リードについても聞きたいことだらけだけど、今日はそんなこと聞くためにデートに誘ったんじゃない。胡桃ちゃんと仲良くなりたい、もっと君のことが知りたいからだ。それに嘘偽りはない。」
少し口調が芝居がかっていて、一昨日までの演技の練習を少し引きずっているが、その目は確かに本音を語っていた。
「で、でも……私はあの人達より………未来さんや彩音さんや瑠衣さんみたいに可愛くないから」
「そうか?めちゃくちゃ可愛いと思うけどな。さっき愛想の悪い女って自分で言ってたけど、俺からしたらそんなところもミステリアスで可憐だね。」
「口下手で………嫌な思いばっかりさせて」
「さっきまでの胡桃ちゃん、すげえ楽しそうに喋ってた。彩音がバタフライで溺れかけた話、早く聞かせてくれよ。んな面白そうな話、俺だけ転校前で共有できないとかそりゃないぜ」
「生意気で………素直になれなくて」
「俺は胡桃ちゃんのツンデレな所、すっげえ好きだよ」
胡桃が嫌悪する自分の悪いところ。恭はそれを一つ一つ受け入れて、肯定する。曇り一つない真っ青な空のような明るい笑顔。その顔でそんな表情をされて、ときめかない女の子がいるものか。
「俺は胡桃ちゃんと仲良くしたい。なのでこの放課後デートで、いろんな話を聞いて、いろんなことを一緒にやって楽しく過ごしたいな。これが俺の今の気持ち。理解した?」
「……………はい。完全に理解、しました」
「あと……多分胡桃ちゃんが思ってるより、胡桃ちゃんは女の子として普通に可愛いぞ」
絶対にすれ違わないように、誤解のないように恭は自分の気持ちを言葉にしてぶつける。そんなストレートな優しさが、温もりが、捻くれていると自覚する胡桃の心に思いの外突き刺さる。
「本当………あなたはバカ、ですね。バカの女たらし。いつか絶対女の子に刺されます」
「ひっでえなぁ」
「でも嫌いじゃないタイプのおバカさん、ですよ」
一ノ瀬胡桃のレアな美しい笑顔。クールでミステリアスな女の子が時たま見せる笑顔の破壊力は凄いと、恭は自分の記憶に刻みつけた。
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恭と胡桃が一番最初に向かったのはとある小高い山の頂上にある神社だった。残暑もだいぶ優しくなってきた秋の風が森林を吹き抜け2人に清涼感をもたらしてくれる。
「神社………公園?」
「そうです。私小さい時は友達がいなかったもので。この神社の境内にある公園で1人で遊んでいたのですよ。今日のデートでは私の好きな場所に案内しようって思って。ここに。」
パッと見渡してみてもブランコが一台、シーソーが一台、鉄棒が一台と砂場がほんの少しのスペースあるくらいの小さな公園だった。小さいが子供1人が遊ぶ分には十分なスペースがありそうだ。
「とりあえずベンチに座りましょうか」
「そうだな………どっこらしょっと。うへぇ……昨日の走り込みの疲れがぜんっぜん取れねえ。」
「私もです。長めのオフの後はあんな感じで無理やりスイッチオンにしてくる頭のイかれた首脳陣なので。こればかりは慣れてください。」
2人はランドセルを置いて、ベンチに腰掛けた。先ほどの本音のやり取りから2人の距離はお互い一歩分縮まった感じだ。肩が触れてしまいそうでお互いにドキドキしていた。
「……………すみません。デートにこんな山奥の小さい公園って。自分でもどうかと思うのですが、なにぶん田舎っ子なもので」
「全然いいじゃん。この前未来に連れてってもらったところも川とでっけえ木の下だしな。緑いっぱいで癒されるわ。」
「あっ、女の子とデート中に他の女の名前を出しましたね。減点です。」
「い、いや……そんなつもりじゃなくて」
「ふふっ、でも私の独断特別ルールで100クルミポイントを差し上げます。良かったですね。」
こんな風に茶目っ気たっぷりに笑う胡桃は初めて見た。今まで凄いツンツンしてきていた分、心を許してくれているのがわかると、もの凄い可愛い。
「さて、早速やりましょうか。砂のお城作り」
「待て待て待て………マジで?砂遊び?この歳になって?」
「この歳って、私達まだ小学生ですよ。大人からしたら低学年も高学年も大して変わりません」
そう言い残すと胡桃は神社の建物の裏に消えていき、数十秒ほど経ったところでボロボロのバケツを二つ手に提げてきた。
「やりましょう。別にお城じゃなくてもいいですよ。男の子ですもんね。飛行機とか。」
「…………飛行機な。おっしゃ、めちゃくちゃデケェ飛行機作ってやるよ。」
別にここでゴネでも結果は変わらなそうと判断した恭は観念して砂遊びに興じることにした。
これが意外や意外。さもない砂かと思っていたが、水をかけるとかなり粘土質が目立つもので、形の形成が容易だ。野球以外は不器用でポンコツの代名詞のような恭でもある程度形になるのだから素晴らしい。
「良いですね。恭さんなんて見るからに図工の成績悪そうなのに。」
「………よくわかったな。俺こういうので褒められたことないからくすぐったいよ」
「あ、本当に悪いんだ。恭さんってほんとに野球しかやってこなかったんですね。」
恭の表情が曇る。胡桃もそれを見てまた無駄に棘のある言い方をしてしまったと反省した。
「そうだな。勉強は最低限そこそこ頑張ってきたけど、それ以外はほんとに野球しかやってねえ。野球で勝つのに必要なこと以外なんの意味もないって思い込んでたから。」
「………なんというか、納得です。恭さんの半端ない実力はどう考えても常軌を逸してますから。相当イカれたストイック生活してないとああはならないでしょ」
土を捏ねて、形成して、砂を振りかけて。単純作業だからこそ、お互い話もどんどん進んでいく。
「今年の冬、私達2分の1成人式なんですよ。恭さんも去年やりました?」
「やったやった」
「将来の夢とか言わされましたよね?」
「そーだなぁ先生にプロ野球選手って言えって言われて………なんかあんま記憶もねえな。胡桃ちゃんはなんて言うつもりなんだ?」
「私は…………恥ずかしいですね。笑わないでくださいよ」
恥ずかしいと言いながら話を振ってきた時点でだいぶ聞いて欲しそうな顔をしていた。実はポーカーフェイスに見えて意外と表情豊かな女の子だ。
「刑事さんです。警視庁捜査一課、みたいな」
「意外すぎる。」
「私刑事ドラマが大好きでして。恭さんは………見てるわけないか。毎週火曜日の8時にやってるやつです。」
「ああそれ………父親が好きでみてるわ。俺もミット磨きながらチラチラ見てる」
「とにかく、私は刑事に強い憧れを抱いているのです。あの黒い手帳を見せて『警察だ』って、やってみたくないですか?どうですか?」
「まぁ、分からなくもないな」
機械の如く冷たい印象のあった胡桃にしては随分と俗っぽい理由である。女の子の夢では定番のパティシエとかお花屋さんとか言われたら返答に困るところであった。
その後しばらくお互いに土いじりに熱中し、会話もないまま時間が過ぎていく。ただそれが気まずいわけではなく、そんな空間さえ居心地が良いほどには2人は打ち解けあってきていたと言えるだろう。
「だいぶ日の暮れも早くなってきたな」
「そうですね。そろそろ終わります?お互いの見せ合いっこしましょうか」
「そうだな………ってヤバ過ぎだろ!この短時間でどんだけすげえ城作ってんだ!」
よくビーチで見るようなこんもりとしたものを想像していたところに、ほぼ模型のような戦国時代の城郭が披露された。細部のディテールまで完璧に創造された城はもう既に『作品』と呼べる域に達している。
「恭さんは………飛行機っていうか、ブーメランですか?」
「ただの砂遊びでここまでセンスの違いが………」
案の定というべきか、恭のものはお世辞にも飛行機とは言い難いものであった。胡桃の凄まじいクオリティと比べようもない。比べなくても単体でお粗末な作品である。
「大丈夫ですよ。これもうすぐにぶっ壊しますので」
「忍びなさすぎるわ。もったいねえ。」
「また作りに来ましょう。リベンジお待ちしておりますからね」
胡桃はニッコリと笑うとその凄まじいクオリティのお城を思いっきり蹴り上げる………が、蹴り上げたその瞬間、ちょうどそのタイミング。先ほどからそよそよと優しく吹くだけだった夕暮れの風が突然強く吹いた。
「あ………れ…………」
「あっぶねぇ!!!」
片足で立っていた胡桃はフラフラっと脚がもつれ、よりによって砂場の逆方向、コンクリートの方に身体を傾けて倒れていく。
捕球体勢のような反射で、勝手に身体が動いた。
ドンっ!!!
間一髪だった。ギリギリ恭が地面と胡桃の間に身体を滑り込ませて衝撃を防いだ。代わりに恭に深刻なダメージが及び、肺を強打して呼吸すらままならない状態に一瞬なったが………女の子に痛い思いをさせるのに比べたらどうってことはない。
「かはっ……はぁ……はぁ……だ、大丈夫か?」
「大丈夫………なんですが………その………」
「どこか怪我したのか!?」
「し、してないんですけど。その………腕と……恭さんの胸の位置が、ドキドキします」
恭は地面に寝そべりながら腕でガッシリ胡桃の華奢な体をホールドし、腰に手を回す。ちょうど胸板に彼女の顔が来ている。まるで恋人の甘いひとときのような、そんな絡まり方を偶然してしまっていた。
「ごめんっ!胡桃ちゃん!」
「ひゃんっ!」
恭の離れ方は、それはもう素早かった。今更遅いが手を上に上げて何も触ってないアピール。今まで胡桃が見たことないくらい顔を真っ赤にしてパニックになっている。
「す、すいませんでした!!!許してください!あのセクハラなのはわかってるんですが!逮捕だけは………逮捕だけはどうか………」
「その………別に気にしてません。そもそも私が油断して怪我しそうなところを助けられたわけですし。お礼を言われても訴えられる謂れはないと思います」
「…………はぇ?」
「助けていただいて、ありがとうございました。怒ってませんよ、恭さん」
予想外の展開に目がまわる。てっきり胡桃は事故とはいえこんなことをされたら烈火の如く怒って罵ってくるものだと思っていたが。
「怒って………ないの?」
「だから怒ってないですって。汚れちゃいましたし、一旦お互いに家で着替えてからまた集合しましょうか。ここの麓で待ってますから、ゆっくり着替えてきてください。」
後輩女子の明らかに柔らかくなった変化に戸惑う恭であった。




