第84章 炎の中の影
銃声は、夜の港の静けさを引き裂くように響いた。
その一発が巨体の首のジョイント部を正確に撃ち抜き、火花とともに白煙が噴き出す。
エリカの狙いは寸分の狂いもなかった。
しかし、巨体は倒れなかった。
機械音が不規則に震え、動きは明らかに鈍ったが、なおも二本の脚で立っていた。
赤い目が瞬き、彼女に向けられる。
「……クソッ」
エリカは血に濡れた顔をしかめ、再び銃を構えた。
その腕は震えている。右脇腹には深い銃創があり、そこから流れる血がズボンを濃く染めていた。
竜司は船の甲板から飛び降り、エリカの元へ駆け寄ろうとした。
「竜司、来るな!」
叫びが鋭く響き、彼の足が止まる。
巨体がエリカへ突進を始めていた。
その瞬間、彼女は腰のホルスターから小型の筒状装置を取り出し、巨体の足元へ転がした。
閃光──そして耳をつんざく爆音。
巨体が一瞬よろめき、港のコンクリートに膝をついた。
「今だ!」
エリカの声と同時に、竜司は走った。
手にしていたレンチを逆手に握り、巨体の首のケーブルを渾身の力で叩き切る。
金属音とともに赤い火花が散り、巨体が大きく揺れた。
しかし、完全には止まらない。
巨体の片腕が竜司を薙ぎ払い、彼の体が地面に叩きつけられる。
肺から息が抜け、視界が白く霞む。
耳の奥で、エリカの声が遠く聞こえた。
「沙希! 竜司を船へ連れて行け!」
沙希は泣きながら彼の腕を引っ張る。
竜司は歯を食いしばり、巨体を睨み返す。
その間にもエリカは残弾を撃ち尽くし、最後の一発を巨体の左目に命中させた。
光が消え、巨体の動きが一瞬止まる。
だが、完全な沈黙には至らない。
「竜司……聞け。あの船の貨物室には“カストリ”の原料が積まれている」
エリカの声は途切れ途切れだった。
「東条は……それを……国外に……」
言葉の最後は血で濁され、彼女は地面に片膝をつく。
竜司は悟った──彼女はもう長くない。
「ふざけるな! 一緒に来い!」
「無理だ……私は……足が……」
視線を落とすと、彼女の右脚は膝から下が不自然な方向に曲がっていた。
戦闘の衝撃で折られたのだ。
巨体が再び立ち上がり、エリカに向かって腕を振り上げる。
その瞬間、彼女は竜司の方を見て微笑んだ。
「……だから、行け」
次の瞬間、エリカは自分の腰の手榴弾のピンを引き抜いた。
「なっ……やめろ!」
竜司の叫びは届かない。
巨体が彼女を掴もうとした瞬間、眩い閃光と爆発が二人を包んだ。
衝撃波が港全体を揺らし、竜司と沙希は船の甲板に倒れ込む。
炎の中に、エリカの影はもうなかった。
ただ、巨体の残骸が黒煙を上げながら崩れ落ちていた。
風が火の粉を運び、海面が赤く揺れる。
竜司は膝をつき、唇を噛みしめた。
怒り、悔しさ、そして深い喪失感が胸を締めつける。
沙希が震える手で彼の肩を掴んだ。
「……行こう。エリカさんのためにも」
竜司はゆっくりと頷き、船のエンジンを始動させた。
その時、無線機が再びノイズを発し、冷たい声が流れた。
《竜司、まだ終わっていない》
それは──東条の声だった。




