第75章 崩壊のカウントダウン
氷室の眉間に深い皺が刻まれる。
天城が沙希の喉元に押し当てたナイフの刃先が、かすかに光を反射している。
室内の空気は、呼吸すら音に変えるほど張り詰めていた。
「放せ、天城」
氷室の低い声は、冷たい刃と同じ温度だった。
「交渉は一度きりだ、氷室。お前が銃を置けば、この娘は解放してやる」
天城は唇の端をわずかに上げるが、その瞳は笑っていない。
その目は、すでにこの場の全員の運命を天秤に乗せ、冷静に計算していた。
竜司は息を整えながら二人を交互に見た。
沙希の手はまだ端末に届く位置にある。通信は半分以上送信済みだ。
あと数十秒で、外部に全データが流れる。
「……天城、お前は本当に俺たちをここから生かして出すつもりはないだろ」
竜司の声は静かだったが、その裏には揺るぎない確信があった。
「さあ、どうかな。だが、お前らが俺の退屈を満たしてくれたことだけは確かだ」
天城はナイフをわずかに押し込み、沙希の白い首筋に薄い赤い線を描いた。
その瞬間、廊下から重厚な爆発音が響いた。
壁の向こうで何かが崩れ、粉塵が天井の隙間から降ってくる。
「……来たか」
氷室が短く呟く。
爆煙を突き破って現れたのは、全身防弾装備の特殊部隊だった。
肩章には、これまで竜司たちが一度も見たことのない紋章が刻まれている。
「誰だ……?」
誠がうめくように問う。
その問いに答える者はいなかった。部隊は一瞬で天城と氷室を取り囲む。
「銃を捨てろ、全員!」
低く機械的な声が響く。
氷室は即座に状況を読む。
──この部隊は天城の私兵でも、警察でもない。第三勢力だ。
天城の瞳が初めてわずかに揺れた。
「……面白い。誰が俺の舞台に割り込んできた?」
部隊の先頭に立つ黒いバイザーの男が、ヘルメット越しに冷たく告げる。
「お前たちの芝居は、ここで終幕だ」
その声を合図に、閃光弾が炸裂した。
視界が真白に焼き付き、耳を突き破る爆音が鼓膜を揺らす。
竜司は咄嗟に沙希の腕を掴み、床へ引き倒した。
氷室は光の中でも正確に動き、近くの隊員を蹴り飛ばして銃を奪う。
だが、奪った銃の銃口を向ける間もなく、複数のレーザーサイトが氷室の額と胸に赤い点を描いた。
「……チッ」
氷室は舌打ちし、ゆっくりと銃を落とした。
一方、天城は閃光の瞬間に沙希を放し、壁際へ後退していた。
彼はまるで、この混乱すら計算の内だったかのような落ち着きを保っている。
「竜司……逃げるなら今だぞ」
不敵な笑みを浮かべながらそう告げるが、その声の奥にはどこか苛立ちが混ざっていた。
沙希は立ち上がり、震える手で端末を握り直した。
画面には「送信完了」の文字が浮かんでいる。
──やった。これで全データは外部へ。
だが、その安堵の一瞬が致命的な隙になった。
部隊の一人が彼女を羽交い締めにし、腕ごと端末をひったくる。
「待て、それは──!」
竜司が叫び、追おうとした瞬間、別の兵士が銃床で彼の腹を打ち据えた。
息が詰まり、視界が揺れる。
氷室も天城も動けずにいる。全員がこの部隊の支配下に置かれた。
隊長らしき男が、奪った端末を確認しながら低く笑う。
「……これで証拠は回収した。あとは消すだけだ」
竜司の中で、何かが音を立てて切れた。
「ふざけるな……お前ら、何者だ!」
怒声を上げても、返ってくるのは冷たい沈黙だけ。
そして次の瞬間、隊長は淡々と告げた。
「カウントダウンを始めろ。ここごと吹き飛ばす」
電子音が部屋の隅で鳴り始め、残り時間が赤く表示される──05:00。
崩壊のカウントダウンが、静かに進み始めた。




