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『グラウンドの亡霊たち』 ―血と汗と裏切りの果てに―  作者: キロヒカ.オツマ―


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第72章 潜入



 大阪港の夜は湿気を含んだ潮風が重く、遠くから低く響く汽笛が街の喧騒を切り裂くように届いていた。

 会員制クラブ“オルフェウス”のビルは、ガラス張りの外壁に金色の照明が映え、港区の闇に浮かび上がっている。地上では高級車が次々とバレットパーキングに滑り込み、黒服の案内係がVIPたちを迎えていた。


 竜司、沙希、誠は、黒の作業服に防音ソールのブーツを履き、裏通りから静かに建物へ近づいた。

 目標は地下駐車場──正面から入る客たちの足元をかすめる影は誰にも気づかれない。


 「センサー位置、確認。……動体検知範囲、右に二メートル」

 沙希の小声が耳のイヤピースを通じて届く。

 誠が小型カメラ付きのスコープで天井を確認し、頷く。

 竜司は壁際を滑るように進み、監視カメラの死角で一瞬だけ身をさらし、次の支柱へ飛び移った。


 地下駐車場の入り口には黒羽会のガードが二人、腰に拳銃を忍ばせ立っている。

 沙希がノートPCに接続した小型ジャマーを起動させ、数秒間だけカメラ映像をループ再生に切り替えた。

 「……今だ」

 三人は一気に入り口を通過し、暗がりへと潜り込んだ。


 内部はひんやりとしたコンクリートの匂いが漂い、タイヤのゴム跡が複雑に交差していた。

 奥にあるメンテナンス用扉が、VIPルームへ続く唯一の裏口だ。

 誠が顔認証用のカメラに、事前に用意しておいた偽造データを送り込む。

 次に静脈認証スキャナーへ特殊なゲルパッドを押し当てると、わずかな電子音とともにロックが解除された。


 だが、そこで誠が息を呑んだ。

 「……セキュリティ、追加されてる。熱感知システムだ」

 予定外の防衛に三人は一瞬固まったが、沙希が腰のバッグから熱遮断シートを取り出した。

 「これを体に巻いて進む。持続時間は十数分、それ以上は無理」


 薄暗い廊下を進むと、足音を吸い込む絨毯の感触が靴底に伝わる。

 壁には金色の装飾が施され、シャンデリアの光がぼんやりと反射していた。

 遠くからは生演奏のジャズがかすかに響き、場違いな優雅さが緊張を逆に際立たせる。


 竜司たちは階段手前の陰に身を潜め、上階の様子をうかがった。

 階段の踊り場には二人の護衛、そのさらに奥には氷室の姿があった。

 長身、軍人のような直立姿勢、そして冷ややかな視線──二年前と変わらぬあの圧力が、距離を隔てても肌に刺さる。


 竜司の拳がわずかに震える。だがその震えは恐怖ではなく、復讐心の炎が揺らすものだった。


 「迂回ルートを使う」

 沙希が指差したのは、VIP専用の給仕通路。通常の客は絶対に使わない裏階段だ。

 そこを上がれば、天城のいるVIPルームの真横に出られるはずだった。


 三人は静かに通路へ入り、厨房の裏を通過する。

 熱いスープの匂いと、シャンパンの甘い香りが混ざり、緊張感の中で妙に生々しい。

 だが次の瞬間、厨房の奥から黒服が一人現れた。

 視線が竜司と交わる。


 「……お前、誰だ?」


 刹那、竜司の手が黒服の口を塞ぎ、誠が背後から電磁スタンを押し当てた。

 男は声を上げる暇もなく崩れ落ち、沙希が即座に廊下の陰へ引きずり込む。


 階段を上がると、重厚な木製の扉が目の前に現れた。

 ドアノブには金色の天使の装飾、そして最上級ホテル並みの電子ロック。

 誠が解除作業を始めた瞬間、竜司の耳に無線が入った。


 『竜司……聞こえるか? 天城の護衛配置が変わった。氷室がVIPルームに向かってる』

 九条の声が焦りを帯びていた。


 竜司は扉に背をつけ、深く息を吸う。

 「……逃げ場はないな。やるしかない」


 扉の向こうには、黒羽会の首領。

 そして廊下の奥からは、氷室の足音が規則正しく近づいてくる。


 この瞬間、竜司たちの潜入は、静かな侵入から一転──死地への突入へと変わった。

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