第71章 首領への道標
夜明け前の街は、霧に包まれていた。
竜司はアジトの屋上で一人、煙草をくゆらせていた。
東の空がわずかに白み始め、遠くで始発電車の音が響く。
しかし、その穏やかな光景とは裏腹に、竜司の胸の内は嵐のように荒れていた。
――黒羽会首領、天城仁。
名前だけは何度も耳にしてきたが、その姿を見た者はほとんどいない。
表の顔は巨大企業グループの会長、裏の顔は国内外の犯罪網を統べる支配者。
竜司たちが摘発した地下施設も、天城にとっては単なる末端にすぎなかった。
「竜司、これを見ろ」
背後から九条が現れ、分厚いファイルを手渡した。
中には衛星写真、銀行取引記録、そして一枚の鮮明な顔写真が挟まれている。
「……これが天城仁か」
鋭い目と彫りの深い顔立ち、白髪交じりの短髪。表情は冷酷そのものだった。
九条は地図を広げた。
「三日後、天城は表向きの企業パーティーに出席する。場所は大阪の港区にある会員制クラブ“オルフェウス”。警備は民間警備会社と黒羽会の混成部隊だ」
「つまり、そこが唯一の接触機会……だが、まともに突っ込めば蜂の巣だな」
竜司は地図上に赤いマーカーで侵入経路を描きながらつぶやいた。
誠が加わり、ノートパソコンを開いた。
「内部図面を入手した。正面玄関は無理だ。地下駐車場から入るしかない。
ただし、セキュリティは三重。顔認証と静脈認証、それに動体検知カメラだ」
沙希が小さく笑った。
「それなら私の出番ね。二年前に同じメーカーのセキュリティを突破したことがある」
美咲も机に資料を置いた。
「天城は当日、二階のVIPルームに籠もるはず。そこには秘密の金庫がある。
中には、黒羽会と政治家、海外マフィアの癒着を証明する原本書類が保管されてる」
竜司は短くうなずく。
「つまり、天城を仕留めるだけじゃ足りない。奴の牙を抜く証拠も奪う必要がある」
計画は徹底的に練られた。
侵入班は竜司、沙希、誠。
外部支援として九条と美咲が車で待機し、逃走経路を確保する。
必要なら別ルートで海上へ脱出できるよう、港に小型ボートも用意した。
しかし、九条が一つの懸念を口にした。
「情報によれば、天城の護衛には“氷室”がつくらしい」
その名を聞いた瞬間、竜司の背筋が凍る。
氷室──元自衛隊特殊部隊員で、裏社会では伝説とされる傭兵。
竜司が過去の仕事で唯一、手も足も出せなかった相手だった。
夜、竜司は一人で古びた射撃場に向かった。
目の前の的を見据え、無心で引き金を引く。
乾いた銃声が何十発も続き、硝煙の匂いが鼻を突く。
氷室の冷徹な目、そして自分が敗れた日の記憶が蘇る。
「あの日の借り、必ず返す……」
呟いた声は、誰にも届かないほど低かった。
三日後の作戦前夜、アジトの空気は異様に張り詰めていた。
誠は武器の最終整備を終え、沙希はノートPCの画面を睨みながらセキュリティの仮想侵入テストを繰り返す。
九条は港のボートを確認し、美咲は逃走経路の交通状況を調べ続けていた。
深夜、竜司は皆を集めた。
「これは俺たちの総力戦だ。黒羽会を終わらせ、天城仁を地獄に突き落とす。
だが、一人でも欠ければ全てが終わる。絶対に、生きて帰るぞ」
短い沈黙の後、全員がうなずいた。
翌日の夜、作戦は静かに始まった。
大阪港のネオンが水面に揺れ、遠くで花火の音が聞こえる。
竜司たちは黒い作業服に身を包み、会員制クラブ“オルフェウス”の地下駐車場へと向かった。
この先に待つのは、首領との直接対峙──そして、命を懸けた最後の賭けだった。




